努力の対価、約束の代償 4
六芒殿は、アイゼンヴァルトのそれと、まったく同じ造りだった。皇都を中心に展開された、魔法陣を描く頂点の一つと考えれば、それも当然なのだろう。
瘴気に穢された巨大な空間。
魔導具による灯りで照らされているが、瘴気に阻まれて天井は見えない。床には魔王を封印するための魔法陣が敷かれている。
私はその中心に立ち――浄化の力を発動させた。
空からゆらゆらと降る真っ白な雪。その雪が周囲の瘴気を吸って真っ黒に染まる。そうして地面に落ちた雪は、雪解けのように瘴気と共に消えていった。
「あぁ……やはりノエル皇妃殿下の力は素晴らしいですね。ですが、どうして黒雪の聖女と呼ばれているのでしょう? たしかに黒く染まっていますが、元が白なのは一目瞭然なのに……」
背後に控えているフリーダの呟きが聞こえた。
「ここは天井が低いから、染まる前の雪が見えるだけよ。野外で雪を降らせれば、視認できる頃には既に黒く染まっているわ」
「だから、黒雪の聖女と呼ばれるように?」
「おおむねは、ね」
実際には白い雪を見た者もいるので、白雪の聖女と呼ばれていてもおかしくはなかった。ただ、兄が積極的に私の悪評を広めていたそうなので、その辺りが原因だろう。
なんてことを言うと、またフリーダが暴走しそうだから口にはしない。
「考察もいいけど、タイミングを教えてね」
「タイミング、ですか?」
「浄化が足りなければスタンピードは止まらない。でも浄化しすぎれば、隣の領地にスタンピードが発生するかもしれないでしょう?」
それに備えて、隣接する領地は、可能なレベルで六芒殿を浄化する手はずになっている。けれど、こちらで調整もするべきだろう。というのが私の見解である。
「それならば心配ありません」
「どうして?」
「アイゼンヴァルトでは、ノエル皇妃殿下が完璧に浄化をなさった上に、それによって得られた余力で領地内の瘴気溜まりを浄化して回りましたから」
「あぁ……そんなことを言っていたわね」
「ですから、この六芒殿をすべて浄化したとしても、同じ現象は発生しないと思いますよ。だから……そうですね。前回の八割くらいは、最低でも浄化した方がいいと思います」
「……八割、ね」
それは私にとって少し想定外だった。
それでもやるしかないと、ひたすらに浄化を続ける。
「普段の浄化なら、この辺りで終えています」
フリーダが声を上げたのは、三分の一くらい浄化したときだった。
思ったよりも浄化量が少ない。それだけ、余裕がなかったと、言うことなのでしょうね。
でも、私が目指すのは八割以上。
まだまだ目標には足りないと浄化を続ける。だけど、六割を超えた頃で急に疲労感が押し寄せてきた。座り込みたい衝動に駆られるが、それでも唇を噛んで堪えた。
けれど――
「ノエル皇妃殿下!」
――気が付けば、私は寝転んだ状態で、フリーダに抱きかかえられていた。
「もしかして私、意識を飛ばしてた?」
「一瞬ですが、ふらついたので支えさせていただきました。もしかして、体調が悪いのですか?」
「いいえ。でも……そろそろ限界みたい」
力なく頭を振ると、フリーダが顔を歪ませた。
「やはり、そうだったんですね。皇都の浄化に、アイゼンヴァルト領の六芒殿の浄化。それに続いてグライフナー領の六芒殿まで。いくら白雪の聖女とはいえ、無理が過ぎると思っていました」
「ええ、本当に。……もう、眠くて、眠くて」
泣き言を口にすると、フリーダは「……はい?」と瞬きをした。
「ここのところ、急に決まったパーティーの準備で忙しかったでしょう? しかも、それが終わったらスタンピードの会議で、そのまま徹夜で各領地を渡って、いまここにいるから」
睡眠不足からの徹夜は厳しい。
「……だから眠たいと?」
「ふかふかのベッドが恋しいわ」
切実に訴えかけると、フリーダは無言で私を放した。
彼女に支えられていた私はぽふんと、彼女の膝の上に落ちる。
「……酷い、目が覚めたわ」
「ちょうどいいじゃないですか。というか、これが終わったら存分に寝させてあげますから、あと少しだけ浄化しちゃってください」
「……はぁい」
私はおどけながら、立ち上がるために気合いを入れる。
実際のところ、聖力を使いすぎている。
だけど――と、脳裏によぎったのは、父の帰りを待つアンナの姿。
もう二度と、子供に悲しい思いをさせたくない。
それに、皇国の人々は、私を王太子の妹と嫌いながらも、それでも機会を与えてくれた。
私はそんな人たちに認められたい。
ここに私の居場所を作りたい。
ついでに、私を捨てた兄や父を見返してやりたい。
だから、ここで諦めるなんて出来ないと、歯を食いしばって立ち上がった。
「さぁ、あと少しだけ。浄化を、この地に」
女神に祈りを捧げる。
六芒殿の虚空に白い雪がぽつぽつと浮かび、それが瘴気を吸いながら落ちていく。
そうして降る雪の量は、いままでの半分以下でしかない。
「……ノエル皇妃殿下、もしかして、貴女は既に……っ。それ以上はお身体に障ります! あとは私が連れてきた聖女たちに頼みましょう!」
フリーダが止めようとする。
私はそれを拒絶して、一心不乱に浄化を続けた。
ルートヴィヒは、長引けば長引くほど被害が増えると言っていた。
私も同意見だ。
ここで引き返し、フリーダが連れてきた聖女たちを呼び寄せる時間がもったいない。
「ノエル皇妃殿下、なぜそこまで……」
「私が、そうしたいから」
みんなを救いたい。そして認められたい。
それは、ほかならぬ私の望みだ。
もう誰も悲しませたくない。だから、いまはまだ止まれないと、ただひたすらに浄化する。
「――ノエル皇妃殿下、もう十分です!」
フリーダに腕を引かれた。気付けば、私が降らせる雪はほとんど黒に染まらなくなっていた。
「……これなら、大丈夫ね」
安心した瞬間、一気に意識が遠くなった。ふらついた私を、フリーダがそっと抱き留めた。
「ノエル皇妃殿下、貴女は立派です。貴女が白雪の聖女様じゃなかったとしても、私はきっと、貴女のことを尊敬していたと思いますよ」
遠くから優しい声が聞こえる。私は達成感に満たされながら、ゆっくりと意識を手放した。




