髙国の旅
この情勢に
・享禄元年(一五二八)十二月二十日、大内義興死去
が、挿まれている。
翌享禄二年(一五二九)六月に、柳本賢治と松井宗信が、江州公方との和睦に踏み出す。
本稿の唱える旧義稙派のレコンキスタ(再上洛)にあって、堺公方義維に娘を嫁がせている義興は、間違いなく大黒柱だ。
その義興が没した時、柳本賢治は、江州公方へ、転ぶことを決めたのではないか?
定頼にも、父の代から義稙の番兵だった巨魁の死は、曙光だっただろう。
柳本賢治は、切り崩した。
しかし、彼と、六郎(晴元)を真に懐柔するには、現京兆家当主・細川髙国を、生け贄に捧げなくてはならない。
見捨てられた髙国は哀れなもので、各地を放浪して、有力者に遊説、上洛の軍を請うていた。伊賀国の仁木高広(足利支流、『江源武鑑』と史実を突き合わせると、六角氏綱二男の可能性がある)伊勢国司・北畠晴具、越前の朝倉孝景を訪ねている。
鷲尾隆康『二水記』享禄元年(一五二八)閏九月廿二十日条に、こうある。
『道永(髙国)進退無巷説、如何々々』髙国が今どこにいるのか、さっぱり伝わってこない、というのだ。
朽木谷を追い出され、あてどなく放浪する。定頼にも見放された。往時の、等持院の戦いの巻き返しを思い
(京を奪還せぬことには、蒲生対い鶴御所に、わしの居場所はない)
そう思い詰めていたのだろう。
この後、彼の有力者を訪ねて回る旅は、播磨の赤松氏、備前松田氏、とつづいて
ついに、出雲の尼子経久を頼るのである。
これは、もちろん上洛は断られたわけだが、本稿としては、大いに混乱させられる。旧義稙派のレコンキスタには、尼子氏も加わっており、だからこそ、六角定頼への強烈なプレッシャーになっている、そう仮定している。また、浅井亮政が北近江で出頭したのは、尼子娘が側室になっている時期であり、二人の子供が久政、という尼子家の通字を名前にしていることから、北近江の情勢と中国の尼子氏は連動していたとかんがえている。
その尼子氏を訪ねていくということは、これはもう、蒲生対い鶴御所への裏切りまで視野に入れていた、ということだろうか。
しかし、調べてみると、どうもこれは、尼子経久というより、その二男の尼子国久を頼った、という方が実情なのだろう。この国久、永正九年(一五一二)に髙国の偏諱を授かっているのだ。経久と髙国が、ともに義稙に仕えていた旧誼である。髙国は、尼子氏の躍進を支えた戦闘集団「新宮党」の党首であり、その地位は重い。伯耆攻めでは諸城を陥落させ、髙国が訪ねた時期には、三十八歳ほどだ。実質尼子氏を率いているといえる。
(次郎〈大内義興〉殿も没した。義稙公恩顧の諸侯も揺れておる。国久殿に頼み込めば、あるいは)そんな風に、猟師の懐に飛び込む窮鳥の気分だったのではないか。
経久は、髙国との面会は避けただろう。(義稙公に仕えたもの同士、そして国久の義父としてのよしみよ)
ふと、旧日を思い、口をつぐむ時間を持ったかもしれない。謀聖、などとドスの利いた名で呼ばれているが、吝嗇といわれるくらい節約家だったり、その一方で配下が自分の持ち物を褒めるとすぐにくれてやるので家臣らが大変に気をつかった、などと、人間味のあるエピソードがある人物である。
(懐かしいな、管領殿・・あの頃、六角はわれらの敵であったが)
甲賀大明神・高頼は、近江御所に義澄を保護し、かと思えば義稙に接近する、という寝技の使い手だった。そうでありながら、嫡子氏綱に義澄妹をもらっている(そういう体裁にしている)という点で、全く油断ならなかった。
(京に旗を立てるのは夢ではあるが)そうなれば、北近江の京極宗家が勢いづく、ということで、当代の定頼が四苦八苦しているらしい。
(相変わらず、寝技に励むことだ。われらは京を目指しているだけだ)
思えば、上洛の栄光を味わったのも、義稙公の麾下にあった折りだ。
まこと、あの放浪の公方は、おおくの遺産を扶植して回ったのだ。
逆説的にかんがえると、ここで髙国が訪ねたということは、尼子氏は、やはり、上洛を有望視される実力者と見なされていた、ということだろうか。しかし、尼子氏にも、出兵は断られた。
公家の清原業賢の日記によれば、髙国は、他にも、美濃や尾張にも声をかけている。近江の国人にも、書状を送った。高野瀬氏(佐々木源氏支流)ほかに「蒲生太郎」なる人物が挙がっている。当代の蒲生定秀の別名ではなさそうだが、近江蒲生氏は始祖惟俊から数代が「蒲生太郎」を名乗っており、近江蒲生氏当主は「太郎」で通じていた可能性もある。
「尼子を懐柔できれば大金星じゃ。再び蒲生御所で重用されようぞ」あるいは
「蒲生殿から取りなしてもらえば、江州に容れられるのではないか」といった必死の工作を汲み取れそうな気もするが、さすがにうがち過ぎか。
さて、髙国必死の遊説は、ついに、報われる。
享禄二年(一五二九)九月、備前の浦上村宗が、京都奪還の兵を出すことを約束したのだ。




