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江源武鑑批判者への批判

 そして、調べれば調べるほど、だ。

 

 『寛文(1661年 - 1673年)年間に成立した神戸能房の「伊勢記」では「加入筆、有義秀・義弼等之作名、皆偽也、彼沢田氏郷者」と、すでに沢田源内による偽書であるという評価が行われていた』 (ウィキペディア:江源武鑑)

 江源武鑑を攻撃した神戸能房は、蒲(・)生(・)家(・)の(・)家(・)臣(・)で(・)あ(・)る(・)。

 

 【『伊勢記』の編者神戸能房は、慶長一四(一六〇九)年ごろ、会津で誕生。初名、良政。当時、父・政房は会津藩の蒲生家に仕えていた。蒲生家の転封に伴い、能房は伊予に移り、藩主蒲生忠知の逝去(寛永十一(一六三四)年)の後、牢人となって父祖の本国である伊勢に移る。】    

 (「神戸能房編『伊勢記』の著述意図と内容的特徴」勢田道生氏、大阪大学大学院人文学研究科、准教授)

 

 蒲生家の家臣であった神戸能房(よしふさ)が、どうかんがえても蒲生氏の名前を持つ六角氏義実流を「偽」だ、と、攻撃しているのだ。ーー先に述べたとおり、六角氏が義実流を成立させるにあたって、秀行娘その他の嫡流娘を娶った蓋然性が高い。つまり、蒲生家は義実流の下風に立たされる。加えて、勢田道生氏はこう述べられている。

 

 【神戸政房(能房の父、作者註)の父・高嶋勝政は、北畠・神戸両氏の断絶を嘆き、政房をして「北畠家神道文武法」を学ばしめ、また、もし子孫が侍従以上に任ぜられたならば「北畠」と称すべし、と言ったという。勝政がこのように述べる前提には、いうまでもなく、自身とその男・政房が北畠家の血を引く存在だということがある。

 高嶋勝政の先祖を遡ると、祖父・神戸具盛からその父・北畠材親へ、さらに北畠親房へと繋がる。すなわち、『伊勢記』が記す北畠氏歴代の事跡は、編者能房の父祖の事跡でもあるのである。

 そうである以上、北畠・神戸両氏の断絶を前提として記される右の記事は、能房にとって、北畠家の血を引く自身の由緒を強調するという意味をもつ。以上を要するに、『伊勢記』の編纂には、正応から天正までについての正確な史書を編纂するという目的とともに、北畠家の血統を継ぐ自身の由緒を宣揚するという意図もあったと考えられる。】

 

 高嶋勝政の祖父は、伊勢国神戸氏四代当主「四代目神戸具盛」だ

 神戸能房に至る系譜は

 四代目神戸具盛─高嶋政光─高嶋勝政─神戸政房─神戸能房となる。

 

 非常にややこしいが「四代目神戸具盛」と表記したとおり、神戸氏には「七代目神戸具盛」もいる。

 七(・)代(・)目(・)神(・)戸(・)具(・)盛(・)の(・)妻(・)は(・)、(・)蒲(・)生(・)定(・)秀(・)娘(・)だ。

 八幡旗手・高郷流蒲生氏の血が、神戸氏には入っている!! 十分関係者なのだ。

 

 そもそも神戸氏は、伊勢国鈴鹿郡の豪族・関氏から分かれた。関氏は北隣・近江の六角氏に服し、蒲生家とは同僚だった。

 六(・)代(・)当(・)主(・)関(・)盛(・)信(・)は(・)、(・)妻(・)に(・)蒲(・)生(・)定(・)秀(・)娘(・)を迎えている。

 

 関氏とその庶家・神戸氏(かんべ氏)は、ともに定秀の息子なのだ。

 やはり、定頼─定秀のラインは偉大だ。

 

 そして、この縁が効いて、豊臣家重臣になった蒲生氏郷に、関氏─神戸氏ともども仕えることになる。神戸能房も、この範にいる。

 

 つまり、神戸能房が、その著『伊勢記』で江源武鑑をこき下ろしたのは、高郷流蒲生氏による、秀行流、嫡流蒲生氏への攻撃だったのではないか。

 

 当年、六角義賢父子江州没落、然而氏郷偽作江源武鑑云、以義賢・義弼為一族、以義実・義秀為惣領、是作名也、先祖高頼、嫡子氏綱、次男定頼云々、非也、(嫡子氏綱と二男定頼までは既存史観でも史実だが、作者註)…氏郷云己称其子孫、偽作江源武鑑、剰今世三十巻之大系図、并太田泉州之関原軍記等、加入筆、有義秀・義弼等之作名、皆偽也(おのれが義実流の子孫と称する氏郷の偽作江源武鑑のみならず、三十巻の大系図、並びに太田泉州の関原軍記などに、義秀や義弼等の名がある、皆偽也)彼沢田氏郷者、沢田夫兵衛之子也、元在京而作浄琉璃本送身命、偽習之作己系図(元は京都で浄瑠璃本の作成に関わっており? おのれの系図を偽作する術を覚えた)自慶安比、名乗六角兵部云々(自らを六角兵部氏郷などと偽り名乗った)大国賊也

 

 「皆偽也」「大国賊也」というのは、ずいぶん感情的だ。一応、関氏神戸氏は、六角氏に仕えていた時期もあるが、観音寺城の陥落(一五六八)以来織田家に服属しており、蒲生氏郷の出頭後は、蒲生家家臣として、会津で、伊予松山で仕えた。この経歴を見れば、六角氏の正統を問う江源武鑑を口を極めて攻撃する理由は薄い。

 だが、高郷流蒲生氏、能房自身二十代まで仕えていた主家の軽重が問われていたのなら、話は別だ。この唾を飛ばす如き語気も、納得ではないか。本稿で述べている通り、八幡旗手の神聖権威を神戸能房が意識していたのなら、主家の上に君臨していた六角姓蒲生氏を公表する文書に反応してもおかしくない。



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