来し方
この流れの延長線上、義輝・晴元軍三千が近江坂本に五月三日到着。
五月七日に、無銘の太刀と銭五貫を改元の祝儀に献上している。本当に、行軍の最中であり、ダンディズムであり、若き将軍の気概かもしれない。「今がどういう状況か分かっているのか!?」だ。
そして、広橋国光から、改元の通達を受けておらず「永禄」が使えないのだが、五月二十一日、在京幕臣を通じて、万里小路惟房から、改元の通達を受けている。
たしかに、正規ルートでの通達は受けていない。だがここで「永禄」を使用する契機にする方法もあったのではないか。
義輝は、こうした。
「自分は依然、武家伝奏からお達しを受けてはおりませぬ」と「弘治」を使用しつづけた。
こうなると、寡少な祝儀も「わたしはそんな話は聞いていないぞ」という皮肉の可能性もある。
そして、いい加減、元号にこだわりすぎかもしれないが、義輝の、この「永禄」をはねつける態度・・いわば「広橋国光が筋を通すまで、自分は朝廷の改元に従うつもりはない」という日野家への示威行為ではなかったのか。
暗躍する日野家の行蔵を追うと、この上洛戦が、足利将軍家対日野御台所家の性格をもっているように映ってしまう。
いや、征夷大将軍対、室町幕府の闇将軍、か・・
五月十三日、幕府軍は、左京区一乗寺瓜生山にまで進軍。京中の緊張は一気に高まった。
『山の名前の由来には、牛頭天王が関係する。牛頭天王は、京都祇園にある八坂神社の主祭神である。
現在の兵庫県南部である播磨国から今の祇園社に移し祀られる前に、この山にしばらく鎮座されたという。そこで、牛頭天王が胡瓜が好きだった故事から瓜生山と付けられたのだそう。』 (『瓜生通信』京都芸術大学)
ーー牛頭天王にキュウリを供える風俗がある。これは、キュウリの断面が八坂神社の紋に似ているためといわれるが、キュウリは、もちろん河童の好物。
ひょうすべは、九州の河童である。
なんなら、キュウリを囓る四頭身以下の牛頭天王が、この日、霊界の瓜生山に顕現していたやもしれぬ。(潤うてきたわい・・胡瓜、瓜を割って、天を分かつ・・天の川、か)天の安川・・ーー
眼下に展開する幕府軍三千を、四つの魔眼で見つめる。
「いずれもわが眷属、というのが、辛いところぞ」石清水八幡宮の八幡大菩薩も、ささやいた。
「息長流日野家と、その庶流たる義国流足利家・・八幡太郎義家の末裔」
「なんだかんだで、幕末でな」牛頭天王は、ため息を吐いた。「前の幕末を顧みてみよ・・日野家が、大人しゅうしておったか?」
「確かに」
『正中の変は、後醍醐天皇と腹心の日野資朝、日野俊基が倒幕を計画し、これが幕府に漏洩、資朝が佐渡に遠流となった、そういう事件だ。』
『後醍醐帝には、倒幕などするつもりはなかった。しかし、どうも周囲は、そのつもりになっている。
こうなると「無礼講」という茶会、自分の身分に不相応な衣を着ることで、あえて正体を分からなくし、純粋に茶の才能のみをきそわせる茶会を開催し、それをとがめられて幕府に逮捕された二人、日野資朝と日野俊基にも、うたがいの目を向けるしかない。』
鎌倉幕末にも、日野資朝、日野俊基の二人が、元来持明院統である日野家から大覚寺統に転んで、後醍醐帝とともに倒幕を目指した。資朝の娘は、奥州の、いや、陸奥将軍府の雄・北畠顕家に嫁ぎ、建武勢力の一翼を担った。
大活躍である。
「ーーそれは、暗躍せぬはずがないのよ。武家勢力はなべて息長氏の氏子、その府が傾けば、新たな体制を打ち立てるべく策謀する」
「ーーー」
(厄介なのは)
牛頭四眼の魔神は、三上山、御上神社の神体山に陣取った、後光を負った御影を・・天之御影命を一瞥する。
(貴様まで噛んできたことだ。三上流蒲生稲置氏。ーーいや、こう言おうか?〝婿殿〟よ)
その影は京洛と向き合っている。湖畔・・あの巨大湖を隔てて、いつも隣り合っていた。
近つ淡海の核心。
『天之御影神、という神号からは、だれか貴人が、正体をかくしている影、という印象をうける。
だれが正体をかくしている?』
『まだまだ、思案ともいかない想像の段階ながら、これは、維新章がおわったあとにでも検証しようとおもっているのだが
作者は、天之御影神とは、十四代仲哀天皇皇子、かごさか皇子(麛坂皇子)おしくま皇子(忍熊皇子)いずれかか、あるいは両方を神格化したものだとかんがえている。
ーーまだまだ、断定できず、もう【古代編】をやって、じっくり検証するしかないとかんがえているのだが
記紀を照合していると、どうも、麛坂皇子と忍熊皇子との間で、天之御影神の正体が揺れる。
だが、後者ではないか。
弟の忍熊皇子、そして神功皇后こそが、天之御影神の正体ではないかとかんがえるようになってきている。
これは、神号としては、大国主命であり、宗像氏の三女神・田心姫(たごり姫)だ。
『田心姫神は、大国主命の后である。
「この大国主神、胸形(むなかた、宗像)の奥津宮(沖津宮)に坐す神、
「多紀理毘売命(たきりびめ命、田心姫神)を娶して」 (『古事記』)』
『あくまで、仮定だが、こうもかんがえているのだ。文献上初めて登場する息長氏、天之御影神娘、息長水依姫。
彼女は、じつは、系譜上、後世息長氏に編入されただけなのではないか。記紀成立は八世紀初頭なのだ。そのとき、後付けで、息長氏の初出になった。彼女には、べつの名前があった。それは、例えば
宗像水依姫、だったのではないかとかんがえている。』
『濡れ女は目を見開いた。「膝を折りながらも支えよったか!? よかろう! 俵藤太ほどではないが、よき男の子よ! 拉がれつつも担うことを選びし勇者よ。
「お主は天下を担うに足る!」
息長帯姫はいった。
その瞬間、オクルミの重みが消えた。ーー柔らかい。温かい。
愛おしさのみがあふれている。
尊氏は、立ち上がった。
「虚勢を張りつづける烟々羅、内なる鬼に追われる童
「その葛藤。
「妾は尊いと思う」
「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
濡れ女は笑う・・少しばかり、距離が縮まったように。
「どうした? なにかものを言え。天下様」
尊氏は、女を見返した。
「ーー三上に、同族がいるな?」』
要するに作者は、明立天之御影命の正体は、人物としては、忍熊皇子と神功皇后(息長帯姫)神号としては、大国主命とその后・田心姫、宗像氏の女神だとかんがえている。
これはまだ、声を低くして言うしかないが、息長水依姫(九代開化天皇皇子・日子坐王の后)こそが、じつは、息長帯姫そのもの、後世、息長氏に編入された、宗像氏出身の十四代仲哀天皇后ではないか、そんな風にかんがえるようになっている。
息長帯姫、忍熊皇子、皇位を巡って争った両者を、天之御影神は習合している。
それが、神号では、田心姫と大国主命という、夫婦神になる。
[いや、正確に言うと、天之御影神にはもう一神、阿遅鋤髙日子根という、表記するのも大変な神が習合しているとかんがえるようになった。これは、大国主と田心姫の子供で、作者としては、なんというのか「その手があったか」というところだ]
古事記の魔法、季節と循環の魔法。
後世が過去に繰り込まれる。
紆余曲折と、弥縫だらけで、なんなら、輪廻転生さえしているが
そうやって、万世一系は成立しているのだ。




