第10話 「六百万、まだたまってないんで」
甲板の空気が変わった。
アブディが電話をしていた。でかい電話だった。アンテナが伸びていた。衛星電話、っていうやつか。大きな声で何か話していた。
電話を切った。何か叫んだ。
ハッサンたちが笑い声を上げた。誰かと肩を叩き合っていた。
終わったらしかった。
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そういえば、マサノリに挨拶しないといけないな。
船内に戻って、廊下を歩いた。部屋のドアをノックした。
「はい」
「俺です。タクです」
間があった。ドアが開いた。
マサノリは眼鏡をかけ直した。
リュックからスケッチブックを出した。渡した。
マサノリが受け取った。何も言わなかった。
「帰るんですか」
「たぶん……」
マサノリが頷いた。何か言いたそうだったけど、しばらく黙っていた。
「……一緒に日本に帰りませんか」
「いや、六百万、まだたまってないんで」
マサノリが目を閉じた。
「……危ないですよ」
「今まで何とかなってきたんで、たぶん大丈夫っすよ」
「……大丈夫じゃないと思いますが」
また沈黙があった。
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「スケッチブック、ありがとうございました」とマサノリが言った。「余白、全部使ってしまいました」
「いいっすよ」
マサノリが何か言いかけて、やめた。
「……お気をつけて」
「マサノリも」
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縄梯子を降りた。海風が来た。
ボートが出た。波が来るたびに、船体が揺れた。
貨物船が遠くなっていった。
甲板に人が出てきていた。マサノリかどうかはわからなかった。遠くて、見えなかった。
マサノリ、無事に日本まで帰れるといいな。元気でな。




