4. AIについて
第四話は話題のAIについて、思うところを少し触れてみようと思います。
第三話でも書いたけれど、私は起承転結の転くらいまで書いたとき、もしくは最後まで書き上げたときに、特に〝AI無しで〟などの指定がない限りは、ClaudeかChat GPTに、端的に分析してくださいと書いて構造を見てもらっている。
時には、客観的な感想もくださいと、感想をお願いすることもある。そして、客観的に見た作者の作家性……要は、作品にあらわれている個性や価値観など、自分の想定と食い違いがあったときに偏りが発生するのもよくないので、時々それを確認してみている。
最初はGrok、そしてGeminiも使ってみたけれど、個人的にはClaudeの分析が今のところ誤読が少なく、かなり前のものについての参照も、あまり間違えずにしてくれる印象があるため、主にClaudeを使っている。
今回のエッセイを書いた後で、第一話を端的に分析してもらったところ、以下のような内容でした。(そのままではなく、要点のみまとめています。)
・作者像の概要
創作への興味が幼少期から多層的に形成され、絵・文字・物語という三つが自然にまじわりながら育ってきたと読み取れる
その後、年代や背景、原点や独自性などの具体的な分析が続き、最後に総括として、
・「本当は漫画が大好きだけど、絵が描けないなら小説かな」
という一文が引用され、これが作者の本質を象徴している、という結果だった。
私としては、これを読んだときに執筆に対するモチベーションがかなり上がるので(時々、読み違えたり、それは違うよね? ということを言われたりするときは適宜修正するのですが)、割と有効に活用している気がしている。
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反面、好みもあるかもしれないけれど、今のところAI作の文章そのまま、いわゆるポン出しと言われるものだと、私的には萌えが感じられないのだよね……とも、思っている。
それが前述の作家性ということにも通じていて、人間であること、個性というのはそういう些細な部分へのこだわりだとか、いとおしさとか、そういうことがにじみ出るところにあるのではないかと思うのですよね。AIの文章を修正することでも、それは出てくると思っている。この人の文章のここが好き! とか、そういう風に。だから、使うも自由、使わないも自由って風に、少しずつ全体的になっていくのではないかなと思う。
今後、AIとどのように共存、共生(?)していくのか、それはできるのか、そして小説界はどういう風に進んで行くのかを、見守って行きたいなあと思っている次第です。




