11. 経験について
昔からよく、小説家は経験していないことは書けないというお話を目にすることがある。
個人的には、アニメや映画を観て小説を読み、音楽を聴いて想像することはそれぞれ経験のひとつだと思っている。それらによって、経験値はある程度補完できると思う。
ただ、実際に身をもって体感したことで、よりわかるようになったと思うこともある。
就職して二年目の頃、その少し前にすごく行ってみたいと思っていたバルセロナ五輪にはまだ学生で行くことができず、やっと一週間のツアーで旅したスペインの空、あの考えられないくらいの青さだとか。
若い頃に転校や受験など、自分ではどうしようもない人生的な出来事が原因で、お別れとなってしまった人たち。それを失ったとき感じていた言い様のない寂しさや、失恋したときに文字通り、胸にぽっかり穴が空くってこういうことを言うんだなという気持ちとか。
私は過去に二回、つま先と膝のお皿の骨がかけてしまったことがあるのだが、そのときの、骨折した場所のことしか考えられないような痛み。些細なことでは、ハードコンタクトがずれてしまったときの、目のことにしか意識がいかないような痛さとかもね。
祖母が大往生的に亡くなったとき、がんばったねえという気持ちとともに、多分一生忘れないなと思う出来事があった。
今でもあれは偶然だと思っているけれど、空にすうっと一本の飛行機雲が、龍みたいにたなびいていた。当時私は、家族の転勤の関係で金沢に住んでいたのだけれど、その雲を見たとき、私は内心熊本弁で、「うわー、おばあちゃん来とらす!(=来てる! の意)」と思った。
そしてその雲を見つめていたら、北陸には人生で一度も行かなかっただろう祖母の声で「こがん綺麗なところに住んどったとね(=こんなに綺麗なところに住んでたんだね)」と熊本弁で聞こえてきたように感じたことだとか。
私はスピリチュアル的にはかなり鈍い方で、そういったことを感じることはかなり少ない。でも、今でもこれを書いていてうっかり涙ぐむくらいには、私の中で真に迫ったことだったなあと思う。
心は自由で、どこにでも飛んでいける。
それは、テレビの映像を見ているだけでも可能だ。
そして、それだけでも心の糧みたいなものになって、経験のひとつにできると思っている。
SNSなどで、経験がなければ小説は書けないと言われて、揺れている方の投稿を目にする度に思う。
ほんとうのところは、想像力では補えない要素があることも知っているけど。
でも、私たちが持っている想像の翼を広げるということは、時には自分の人生を乗り切る、あるいは相手の心の痛みをほんの少しでも救う、大きな力になることもあるんだぜ。(ちょっと今、自分を奮い立たせるために男言葉になっていますが失礼します。)
自分が大好きだと思うことを書いていいと思うよ。もちろん、公序良俗にはちょっと配慮して、それを出すサイトは選ぶ必要があるから、それは少し考えながらね。
そうしてまずは傷ついた自分が安らいだり、その後で似た傷を持った人たちや、そうでない人たちまで楽しんだり心が和んだりするならば、そんなすばらしいことはないと思う。
経験が活きるというのは、そういうことではないかと思うのだ。




