第四十三話 ――抱擁の代償――
キャロルの爪が、風を裂いた。
「うおっ……!」
ローランドは身をひねってかわす。
キャロルはこわれた人形のような無表情で、
床を蹴るたびに影が跳ねた。
「おいおい、582って……こんな動きだったか?」
ローランドが息を切らしながら言う。
「ああ、俺も見たこたぁねぇ、なっ……!」
レイヴァンも横で必死に避けながら返す。
キャロルが再び跳んだ。
ローランドの正面へ一直線に迫る。
「ちっ……!」
ローランドは身をひねってかわす。しかし──
爪が髪をかすめ、眼帯ごと切り裂いた。
布が宙に舞う。
そのとき──
トリグレアの甲高い笑い声が響いた。
「いいわぁ! やっぱりその瞳、素敵よ025!」
ローランドの足元には、
裂けた眼帯が、しぼんだように落ちていた。
切り裂かれた布が、まだ微かに揺れている。
ローランドは苛立ちを隠せず、
トリグレアを鋭く睨みつけた。
その視線を、すぐにレイヴァンへ戻す。
「お前の女なんだろ? そのくらい分かっとけよ!」
「うるせぇ! キャロルは無口なんだよ!」
レイヴァンが顔を赤くしながら怒鳴る。
その瞬間──
キャロルがローランドへ向けて再び飛びかかった。
「ロウ、下がれ!」
レイヴァンが割り込む。
続けざまに、
キャロルの爪がレイヴァンの胸に深々と突き刺さった。
「……っぐ……!」
レイヴァンの口から血が溢れる。
それでも彼はキャロルの腕を掴み、
逃がさないようにぐっと引き寄せた。
「レイ!!」
「大丈夫だって……っ、げほ……! 心配ねぇよ……」
吐血しながらも、レイヴァンは笑う。
「……時には、大胆に愛を表現しねぇとな……」
そして──
胸に爪を刺したままのキャロルを、
そのまま抱きしめた。
近づこうとするローランドを目で制す。
「邪魔すんなよ……頼むから。
こんなに密着したこと、ねぇんだぜ……」
その声は震えていたが、
どこか嬉しそうでもあった。
キャロルは無表情のまま、
空いている手でレイヴァンの脇腹や背中をめちゃくちゃに引き裂こうとする。
それでもレイヴァンは、
すべてを受け入れるように抱きしめ続け、
体をひねりながら後ろへ下がった。
ローランドの胸が、ひどく泡立った。
──やめろよ、そんな無茶……。
思わず伸びかけた手が、空中で止まる。
助けに飛び込みたいのに、足が動かなかった。
胸に爪を刺されたままキャロルを抱きしめるレイヴァンを見つめた。
絶望と怒りと、どうしようもない焦りが入り混じった眼差し。
レイヴァンはその視線に気づき、
照れ隠しのように顔をそむけた。
「ロウ……あんま、こっち見んなよ……恥ずかしいだろ……」
二人の距離が離れていく。
レイヴァンはキャロルを抱えたまま、通路側へと移動していた。
ローランドの手は、伸ばせないまま震えていた。




