第四十二話 ――地獄の始まり――
「おはよう……かわいい子供たち。」
その声は、血の匂いをまとっていた。
入れ物の中から、ザバリと立ち上がったのは──トリグレア。
滴り落ちる血液が、赤黒い水面に輪を描く。
「お前たち、おいたがすぎたようね」
血で濡れた髪をゆっくりとかき上げながら、
トリグレアはローランドとレイヴァンを見下ろした。
「お前たちの誰かが、あともう少しで私の優秀な器になれるところだったのに。
どうして逃げ出したりしたのかしら?」
人差し指を顎に当て、楽しげに考え込む。
「人のまねごとがしたかったの?」
「なんでだ……この手で殺ったはずなのに……」
ローランドが震える声で呟く。
「残念だったわね。私、意外としぶといのよ?」
トリグレアはウインクした。
「025。私、器にするならお前って思ってたのよ。
だって誰より美しいでしょ? 私にピッタリじゃない」
嬉々とした声が、部屋の空気を歪ませる。
「私の理想よ。だから器になる前に抱かれてみたかった。
箱の中じゃ叶わないから582を使って誘惑したのに……
やっぱり私よりイケてない582じゃ無理だったのね。
直接お願いしたら抱いてくれたかしら?」
「頭おかしいんじゃねぇか? お前、どう見ても男だろ!!」
ローランドが吐き捨てた。
その声には、露骨な嫌悪が滲んでいる。
「あら、傷つくわね。心は純粋な乙女よ」
トリグレアはこちらに背を向けるように入れ物の縁に腰掛け、
腰だけをひねって振り返った。
男とは思えない、しなやかで不自然な姿勢のまま、いやらしい笑みを浮かべる。
レイヴァンの奥歯が、怒りでぎり、と鳴った。
「……そんなつまんねぇことで……キャロルを利用したのかよ!」
「あら、つまんなくはないわよ、005。
私がこうして動けるようになるまで、きちんとサポートしてもらったんだから」
「……どういうことだ?」
「簡単な話よ。こうなることも考えて、あらかじめ“保険”をかけておいたの。
お前たちの中に乗っ取れる駒を用意してた。
うまく繋がった中で582を選んだってだけよ。
どうせなら女で行動してみたいじゃない?」
「!!」
「造りがいいから男たちはホイホイ引っかかってくれたわ。
それに女だったら子供にも警戒されないし。
だからうまい具合に贄を補充できたの。最高よ」
トリグレアは楽しそうに笑った。
「でも、やっぱり女はイヤね。
不細工なくせに、その汚らしい身体で025に近づくものだから……
何人かこっそり殺っちゃったわ。
これ以上汚される前に、早く私に身体をちょうだい?」
ローランドに向けられた笑顔は、狂気そのものだった。
二人は睨みつける。
「ねぇ、どうして眼帯なんてするのよ。
せっかく綺麗な瞳をプレゼントしたのに。……外しなさいよ!」
叫ぶトリグレア。
ローランドは反射的に眼帯を押さえた。
「あら、嫌われたものね……じゃあ、ここでまた蠱毒を始めましょ。
生き残ったら、025、お前を諦めてあげるわ」
「調子のいい事言いやがって!
それでロウが残ったらしめしめって思ってんだろ!」
レイヴァンがいきり立つ。
トリグレアはレイヴァンを一瞥した。
その瞳には、もはや興味の欠片すらなかった。
「お前が生き残ることはないわね、005。
582を殺せる? できないでしょ?」
「……」
「言っとくけど、582は私が操らせてもらうわよ。
三人でかかってこられたらちょっと面倒だし」
その声を聞いた瞬間──
キャロルが、ゆっくりと立ち上がった。
トリグレアは腰掛けたまま、ぴくりとも動かない。
「さぁ、始めなさい!」
キャロルがいきなり襲いかかってきた。
爪が長く伸び、空気を裂く。
「582は素早いわよ。
もたもたしてたら切り刻まれちゃうわね」
トリグレアの楽しげな声が響く。
キャロルの気配が、一瞬で間合いを詰めてきた。
ローランドとレイヴァンは、反射的に身構える。
──ここからが、本当の地獄の始まりだった。




