第二話 ――交差する朝――
――また、あの夢だ。
炎の色。
焦げた匂い。
アイラの瞳。
声を出しちゃダメ、と言ったあの視線。
胸の奥がきしむ。
伸ばした手が、また届かない。
(……アイラ……!)
まぶたの裏に残る赤が、朝の光に溶けていく。
リンクは息を呑んで、目を開けた。
額には汗がにじみ、呼吸が浅い。
夢の残り香が、身体に張りついているようだった。
視界に入るのは、見慣れない天井。
ここはマキナードの鑑定屋──ヨゼフの店だ。
復讐のために前のパーティーを抜け、
数日前にひとりでこの街へ来た。
今はこの店の一角で寝泊まりしている。
落ち着こうとして寝返りを打った、その瞬間。
支えていたものが、ふっと消えた。
「……!」
視界が傾き、ソファの縁が遠ざかる。
ドサッ。
「……いって……」
床の冷たさが、目覚めたばかりの身体に鋭く染みた。
リンクはしばらく動けずにいた。
夢の残滓が胸の奥でまだくすぶっている。
あの夜のにおいが、鼻の奥にこびりついて離れない。
ゆっくりと身体を起こし、乱れた前髪をかき上げる。
窓の外では、マキナードの朝が始まっていた。
奥の部屋からヨゼフが顔を出す。
「……朝からうるせぇぞ」
隠す気のない不機嫌さだ。
「……すみません。ちょっと、寝覚めが悪くて」
苦笑いのリンクを見て、ヨゼフは肩をすくめる。
「起きたなら掃除しとけ。働かないなら泊めねぇぞ」
相変わらずそっけない。
昔、父が冒険者だった頃の仲間で、街でも有名な目利き。
だが店を開けたり閉めたり、働く気があるのかわからない。
それでも古株たちはヨゼフの鑑定を信頼している。
そんなヨゼフに、リンクの父は紹介状を書いた。
偏屈なヨゼフでも、国家鑑定士1級の資格を持つリンクなら
邪険には扱わないだろうと考えたからだ。
だが実際のところ、ヨゼフはすでにリンクを
“邪魔な居候”としか思っていない。
あの夜から十二年。
トリグレアの痕跡を追うことだけが、
リンクを前へ進ませていた。
寝覚めは最悪だが、掃除を終えると
朝食がてら街を散策しようと外に出た。
ダンジョン──“マキマキシ(悠久の眠り)”にも行きたいが、
まずは街にトリグレアが紛れていないか確認したい。
マキナードは、ダンジョン“マキマキシ”から扇状に広がる街だ。
いわゆるダンジョンを中心に栄えた街で、
冒険者、商人、鍛冶屋──
さまざまな生き方の者たちが、種族を越えて行き交っている。
人が集まるギルド近くを目指せば、
トリグレアの手がかりに出くわす可能性もある。
しかし、ヨゼフの店は歓楽街に近い外れた場所にあった。
ギルドまでは遠い。加えて、ガラの悪い連中も多かった。
案の定、店のそばでどこかの奉公人が絡まれていた。
「おいガキ、どこに目ぇつけて歩いてんだよ!」
「す、すみません……!」
リンクは眉をひそめた。
(……鑑定屋の近くで騒ぐなよ)
ため息をつき、二人の間に割って入る。
「そのへんにしとけよ。朝っぱらから近所迷惑だろ」
「はぁ? なんだテメェ──」
男たちは腕をまくり、飛びかかろうとする。
リンクはポーチから小瓶を取り出し、
迷いなく投げつけた。
パリン。
瓶が割れ、強烈な悪臭があたりに広がる。
「うっ……なんだこれ……!」
「くっせぇぇぇ!!」
迷宮品の臭い液だ。
洗わなければ一週間は臭いが落ちない。
「早く身体を洗った方がいいんじゃないか」
男たちは悲鳴を上げて走り去った。
奉公人は、何度も頭を下げて駆けていく。
リンクはほっと息をついた。
──そのときだった。
歓楽街の入口側から、
複数の足音と笑い声が近づいてくる。
リンクは何気なく顔を上げた。
長い銀髪を緩く結んだ男が、
片目を黒い眼帯で隠し、
両腕に着崩した娼婦を抱えて歩いてくる。
見えている左目はハニーオレンジで、
朝の光を受けてきらきらと揺れている。
その顔立ちは、誰が見ても振り返るほど整っていた。
その場の空気を味わうように、軽く笑みを浮かべている。
その男──ローランドと、目が合った。
リンクは反射的に顔をしかめる。
(……うわ。朝から女とイチャついてんのかよ)
声には出さない。
ただ、露骨に表情に出た。
本当はこのまま通りを抜けるつもりだった。
だが、あんな軽そうな男の横を通る気にはなれない。
リンクはすぐに視線をそらし、
足早にヨゼフの店の裏手へ続く生活道へ向かう。
影のように姿を消した。
──ローランドは、その背中を呆然と見つめていた。
両腕に娼婦を抱えたまま、
軽い笑みを浮かべた姿勢で固まる。
胸の奥が、わずかにざわついた。
目が合った瞬間の、
右目の奥のかすかな疼き。
初めて見るはずの顔なのに、
妙に引っかかる。
理由は分からない。
それなのに、背中が見えなくなるまで
目が離せなかった。
「ねぇ、ローランド? どうしたの?」
娼婦の声で我に返り、軽く笑い直す。
(……気のせいか)
そう片づけてしまえる程度の違和感。
けれど、その日のうちに、
同じざわつきが胸をよぎることになる──
今の彼はまだ、その意味を知らない。




