第2章 悪役令嬢ルクレツィア 6
ルクレツィアや私と歳の近い貴族の子女子弟とはいえども、既に一部では交友関係は出来上がっている。
そんな彼ら彼女らの好奇の視線と、小声での話題が私に向いているのは当然のことだった。
なにせ私はこれまで社交の場に出たことが一度もない、正体不明のハーフエルフの令嬢だ。
ただバスティオン辺境伯の娘がハーフエルフである、というのは誰もが知る事実なので推測は容易だろう。
「本日はお集まりいただき、ありがとうございます。エルファリア様をはじめ、皆様にお越しいただき、とても嬉しく存じます。どうぞごゆるりとお過ごしくださいませ」
ルクレツィアの挨拶は失礼もなく無難で、よく練られている。
筆頭として挙げられた私の名前に、会場にいる同年代の子女たちの間に小さな波紋が広がった。
令嬢たちの視線は好奇心に満ち、なかには明らかに値踏みするような鋭い目をしている者もいる。
「あの方が……辺境伯家の」と誰かが囁き、すぐに周囲が「しっ」と制する気配がした。少年たちの中には、素直に興味を示してこちらを見つめている者も少なくない。
――当然の反応だ。
辺境伯家の長女が、しかもこれまで社交界に一切姿を現さなかったハーフエルフの令嬢が、急に現れたのだから。
原作で見知った顔がいないか、さりげなく会場を見渡す。
――この金髪縦ロールは、間違えようがない。
ルクレツィア以上に悪役令嬢らしい、華やかな金髪の縦ロールと派手めのドレス。
しかし原作での彼女は、そんな見た目に反して驚くほど温厚で、士官学校では医療班として時折顔を出す程度のサブキャラクターだったはずだ。
「エルファリア様、こちらは……リンデ伯爵家の三女、アンネリーゼ・ボーモン・リンデ様です。モントクレールとは長く貿易で強い絆を結んでおり、私も大変お世話になっております」
「エルファリア様、はじめましてー。私、アンネリーゼ・ボーモン・リンデと申しますー。ルクレツィアからお噂は伺っていましたけどー、実際にお会いできてとても嬉しいですー」
この見た目でこのゆったりとした喋り。しかし所作は洗練されている。
そして社交の場で見知らぬ顔に対する周囲の反応に、我関せずといった態度だった。
……ある意味、かなりの大物かもしれない。
それも当然だ。彼女はルクレツィアのことを呼び捨てにするほど親しい間柄だが、原作では取り巻きの一員ではなかった。
むしろルクレツィアの潔癖とも言えるほどに濃縮された『公正』に嫌気が差したのか、距離を置くようになり、士官学校に入学後は比較的早い段階でアリアの側に立つサブキャラクターだったはずだ。
アンネリーゼを最初に私に紹介したということは――まだこの時点ではルクレツィアの取り巻きが固まっていないということか。
もし派閥が完成していれば、もっと信頼の置ける側近を最初に押し出してくるはずだ。
「バスティオン領のソーセージ、すごく美味しいと聞きましたー。特に、燻製を長く効かせた粗挽きのものがー。うちの領ではあそこまで重厚な味は出せなくてー」
アンネリーゼは私のドレスにも一応興味を示したが、それ以上にバスティオン領の保存食文化に強く食いついた。
……この何もかもが噛み合っていない感じが、原作では描写が少ないわりに男性ファンが多かった理由なのだろう。端的に言うなら出る作品を間違えている。
派手な金髪縦ロールに悪役令嬢らしいドレスを着て、のんびりとした口調でソーセージの話に目を輝かせる。
そんなギャップの塊のような人物が、静かに人気を集めていたのも頷ける。
内面的にはあまり貴族らしくなく、言葉に秘めた意図のようなものをほとんど感じられない。
非常に話しやすい相手だと私は素直に思った。
アンネリーゼとニ、三往復の世間話をしたところで、ルクレツィアが自然に次の相手へと話を移した。
「こちらはヴァルモン子爵家の二女、アデル・ルソー・ヴァルモン様です。私の親しいお友達で、いつも相談に乗ってくださっていますわ」
次にルクレツィアに紹介されたのは……正直、会いたくない相手だ。
悪役令嬢へと成長したルクレツィアの取り巻きのひとり、アデル。いわゆる取り巻きAだ。
彼女は赤毛をきっちりと後ろでまとめ、背筋を伸ばした姿勢がまるで堅物で生真面目な雰囲気をまとっていた。
ドレスもルクレツィアや他の令嬢たちに比べて装飾が控えめで、動きやすさを意識した実用的なデザイン。そういえばヴァルモン家の二女は知力だけではなく、武力にも自信があるらしい……という噂を聞いた記憶がある。
「エルファリア様、お初にお目にかかります――早速ですが、噂についての真偽を問いたい」
……どの噂なのか皆目検討もつかない。
私の『やらかし』は大小問わず多すぎて、どれを指しているのか特定できないのだ。
それにしてもアデルは交渉というものを知らないのだろうか。
いきなりこのように敵意をあからさまにして、相手が素直に答えると思う方がどうかしている。
形式と正しさを重んじる彼女らしい、実にストレートで、実に効率の悪いやり方だ。
「専属の使用人として平民を指名したと聞いた。通例であれば、男爵家、あるいは子爵家の末席の子女が淑女教育を兼ねて辺境伯家に奉公に来るはずだ。その点について、いかがお考えか?」
「……ご指摘の通り、通例とは異なる選択です。しかしリーシャは私にとって特別に信頼できる人物ですので、家柄よりもその忠誠と実力を優先いたしました」
正確には私がリーシャとアリアを手元に置ける最も適切な理由が私の専属である、という立場だと判断したからだ。
そして主人の護衛も使用人の責務の一つ。その点において、奉公に来ている男爵家の令嬢たちの中で、リーシャに勝る者はそういない。
私の返答にアデルはあからさまに言葉には出さなかったが、不満を隠しきれていないのがわかった。
ルクレツィアは一瞬、言葉に詰まったように見えた。
しかしすぐに柔らかな微笑みを浮かべ、穏やかながらも芯のある声で言った。
「……アデル、エルファリア様のご判断に、形式だけで異を唱えるのは如何かと思いますわ。忠誠と実力を重視される方が、むしろ辺境伯家では通例と伺っておりますわ」
失礼しました、とアデルは軽く謝罪するが――私は特に反応を示そうとは思わなかった。
恐らく原作のアンネリーゼは、ルクレツィアの思想が濃縮され硬直していく過程に嫌気が差して、早い段階で距離を置くようになっていたのだろう。
のんびりとした性格の彼女にとって、あまりにも純粋で息苦しい『正しさ』は、到底居心地の良いものではなかったはずだ。
それにしてもルクレツィアはアデルに同意するかと思ったが、否定的な態度を示すとは意外だった。
夕食会で何か思うところがあったのか、それとも最重要ゲストである私の気を損ねないためか。
「……申し訳ございません、エルファリア様。わたくしの友人のアデルが失礼な態度を」
アデルに声が聞こえない位置で、ルクレツィアが即座に謝罪する。もちろん事前にアデルがそういう人物だということは知っていたので、私はさほど気にしていない。
それよりも興味深いのは、ルクレツィアがアデルの発言を失礼と認識し、フォローしたことだ。
今の彼女は、少なくとも一定の基準をある程度持っているということか。
もちろん、この場であのような糾弾じみた発言をすることが『公正』ではない、という判断もあるのだろう。
「形式的には正しいのでしょうが、あくまでも私個人の感情としてはルクレツィア様の謝罪は不要……とは考えますが、謝罪を受け入れます。そして失礼と言えば――ルクレツィア様、アンネリーゼ様とアデル様、あまり近づけない方がよいかと思います」
ルクレツィアは扇を口元に当てて、わずかに首を傾げた。
今はまだ適度な距離感のように見えたが、知識通りなら近い未来、彼女たちの関係に大きな亀裂が入るのは間違いない。
また、それは恐らく避けられない出来事で――ルクレツィアにとって最も深い付き合いの友人を失くすことと同義だ。
「率直に言うと――アンネリーゼ様が無理をされている面があるように感じます。もちろん、直接ルクレツィア様がお聞きになってもそんなことはない、と仰るでしょうが」
爆発するか、自然と疎遠になるようにするか。恐らく後者だろう。
ルクレツィアは扇を口元に当て、わずかに目を細めた。微笑みは崩さなかったが、声にわずかな硬さが混じる。
「……アンネリーゼが、無理をしていると? それは少し、言い過ぎではございませんか? 彼女はわたくしの大切なお友達ですわ」
ルクレツィアは、規格内では確かに完璧な令嬢だ。
しかし視野が狭い。
自分の正義と派閥の調和に囚われすぎて、アンネリーゼが感じている息苦しさや、アデルの硬直がもたらす将来の亀裂に、気づけていない。
まだ『自分の世界』の中でしか物事を見ていないのだろう。私自身、そこまで人間関係が得意なわけではないが――それでもこの程度のことは判別できる。
――とにかく忠告はした。後はルクレツィアがどう受け止めるか。




