第2章 悪役令嬢ルクレツィア 3
落ち着いた調度品に風景画。そして水の魔石を組み込んだ浴槽。使用人用の控室も設備は一通り揃っている。
窓からはモントクレール領の象徴ともいえる、山間に夕日が沈む風景が見える。
他の高位貴族も屋敷に宿泊しているようだが、夕食会を打診されたのは私――バスティオン家のみ。
――最上級の扱い、ということか。
「お嬢様、御髪を整えさせていただきます」
リーシャに用意させたアイスブルーのドレス。装飾品にはブローチを選んだ。
……ただの装飾品ではない。【ストレージ】から持ち出した『抗毒の宝珠』。見た目は翡翠のブローチにしか見えない。
ちなみに私は解毒の魔法も使えるので、単に装飾品として選んだだけだ。
リーシャに身支度を整えさせたが、鏡に映った自分の姿はいつになっても慣れない。妖精の姫が鏡の中にいた。
これでいて屋敷を抜け出して教練所に行くようなお転婆、というのは我ながら冗談か何かだと思う。
「リーシャ、貴女から見てルアーヴルはどう思う?」
「……道幅が広く、侵入経路も多い。防衛線の構築は難しいかと。城壁は厚いですが、攻城兵器を持ち込まれれば――」
「……そうじゃなくて、魅力的かという話――いえ、これは私も悪いわね。そうではなく、貴女の思ったことを言って頂戴」
なにも私は軍事一辺倒ではないつもりなのだが。これはリーシャもだいぶ私の思考に染まってきたのだろうか。
リーシャの忖度のない評価を記憶しておく。これはいずれ武器になる。
私たちが護ることはないだろうが、他にも改めて戦線維持などについても考えを共有。
こういうシミュレーションを積み重ねていけば、分断された際に司令塔を担えるようになる。そうならないように盤面を整えるのが私の役割だが。
そうして時間を潰しているとノックの音。思わず腰を浮かせかけたが、リーシャが対応のために向かう。
「お嬢様、夕食の準備が整ったとのことです。いかがなさいますか」
「ええ、参りましょう」
私の言葉と首肯を受け、リーシャは使用人へ案内を願い出る。
私たちを先導するのは老齢の女性。品位のある佇まいから彼女が侯爵家のメイド長と推察。案内する歩みも配慮も無駄がない。
……この格を使うか。
ルクレツィアとの事前の顔合わせなら非公式のお茶会で事足りる――これは侯爵自ら私と交渉したい意思の表明だ。
私自身が自然に受け入れているが、夕食会というのは『大人』の場だ。令嬢が同席することはあっても、それは大人のついで。
今回私は一部の他の家とは違い、親が同伴していない。つまり――バスティオンそのものとして扱われている。
「側仕えの方には別室をご用意しております――そこの者、案内を」
リーシャは年若い侯爵家の使用人に、晩餐の間からやや離れた部屋へ案内される。リーシャは私に一瞬だけ視線を合わせ、小さく口を動かした。
――ご武運を、か。
これから私が臨むのはある種の戦場だ。間違えてはいないが少しずれた言葉に、肩の力が抜けたような気がした。
「エルファリア・ニヴ・バスティオン様のご到着にございます」
メイド長が声がけし、一呼吸置いてから男性使用人ニ名が扉を開ける。
……これは演出としては卑怯だ。
まず私の視界に入るのは、客間と同じく山間に夕日が沈む風景。だが客間より深く、主賓を際立たせるように夕日が私を照らす。
舞台へ上がるものを峻別するギミックを仕掛けてくるとは、流石は王都でも有数の商会と縁のある家柄。
「お招きいただき光栄に存じます。 本日は学びの多い席となることを楽しみにしております」
一歩だけ前に出て、カーテシーでの一礼と共に簡潔な口上。
「遠路ご足労いただき、感謝します――席へどうぞ」
お父様と比べると幾分か柔らかいが、しっかりと圧の感じられる侯爵の言葉で、顔を上げる。
細面に口髭を蓄えた紳士。お母様から事前に聞いていた通りの容貌だ。
夕日を背にしたまま、老メイドに席へと案内される。誰と話すにも視線が交わる位置だ。
――舞台の中央に立たせる、ということね。
ルアーヴルを栄えさせ続ける侯爵家相手に、もとより和やかな夕食会というものは期待していない。
現に――侯爵の隣、白いドレスの少女の視線は、私の一挙一投足を見逃していない。
もう少し自然に観察するものではないだろうか――あるいは、気付かせているのか。
侯爵が手のひらを差し向けたので着席。椅子もしっかりとクッション性がある実用的な高級品。
グラスに果実水が注がれる。
水差しに輪切りで浮かべられているのは、皮付きのレモン――モントクレール領に隣接する子爵領の名産だ。
高級品というわけではないが、バスティオンにはあまり入ってこない果実。
……ここでは安定して供給がある、ということか。
侯爵はこれが当然として提供しているのだろう。だが、これをどう読むか――そこを見ている。
まともな貴族令嬢に課す水準ではない。あるいは、最初からその枠で見ていないのか。
グラスを掲げ、侯爵が乾杯の口上を述べる。
私のわずかな反応から、思考を読んだとでもいうのだろうか。その言葉は柔らかい。
……だが、意味は明確だ。
「モントクレールとバスティオン――その縁が、実りあるものとなることを願って」




