王女様との夜
「おかえりなさい、春希くん。遅くまでお疲れさまでした」
「真冬……ただいま」
「ご飯、出来てますよ? 勝手なんですけど、お風呂も沸かしておきました。どちらにされますか?」
「じゃあ、真冬が良いかな」
「えっ?」
アルバイトを終えた春希が自宅へ戻ると、玄関で真冬が出迎える。夕飯を作っていた真冬はエプロン姿で、長い髪を後ろで1つにまとめていた。
その姿に見惚れていた春希は、思わず真冬を抱きしめる。少しだけ驚いたように目を見開いた真冬であったが、すぐに春希の背中に手を回して抱きしめ返す。渚に散々尋問されて疲労度が増していた春希にとって、真冬は何よりの癒しであった。
「真冬にずっと会いたかったよ」
「私もです。早く帰って来ないかなって、何度も時計を見てしまいました」
「真冬と結婚したら、毎日こんなことが出来るんだろうな、きっと」
「はい、もちろんです。毎日ご奉仕しますよ、旦那様」
「……そういう可愛いことを言うのは反則だと思うぞ」
「いつもは春希くんにからかわれてばかりですから、たまには良いでしょう? それに、私は冗談でそんなことを言うと思いますか?」
「今すぐ区役所に行って婚姻届をもらってきたくなるからやめてくれ……オレが悪かったよ」
隣人から恋人という関係に変わった影響からか、春希から見た真冬は今までよりも雰囲気が違って見えていた。そして、恋人なったことで遠慮せずに春希に踏み込んできており、春希としては意外に思うところもあった。
しかし、それは春希にとって非常に心地よい気持ちとなっており、今まで誰かの温もりを感じたことのない春希からして見れば、真冬の温かさをいつまでも感じていたかった。
「それでなんだけどさ……真冬に謝らないといけないことがあるんだ」
「私にですか? 春希くん、私に何かしましたっけ?」
「渚に、オレたちの関係がバレてしまった」
「渚さんに?」
「本当にごめん。オレの軽率なミスだ」
真冬が作っていた夕飯を食べながら、春希は真冬に謝罪する。深々と頭を下げる春希に、真冬は憤慨することなく冷静であった。
話の経緯を聞き、真冬は苦笑いを浮かべる。
「渚さんの罠にまんまとハマってしまったんですね。春希くんにしては珍しいですね」
「本当にごめん。真冬はオレとの関係を周りに知られたくないって分かってたのに、渚の誘導に乗ってしまった」
「いいえ、私は怒ってなんかいませんよ? むしろ、春希くんとの関係性なら周りに知られても良いと思っていますから」
「えっ?」
真冬からの意外な返答に、春希は驚いたように視線を上げる。真冬は穏やかな微笑みを浮かべながら、強かな様子で口を開く。
「渚さんにはストーカー騒ぎのときにお世話になりましたし、春希くんとの関わりからすごく信頼できる人だと分かっていました。私からいずれ、渚さんには話すつもりでいたんです。春希くんと同じマンションに住んでいると周囲に知られるのは嫌でしたが、今はもう恋人になったんですから、このことを隠しておく必要もないでしょう? それに、春希くんのことを狙っている女の子への最大の抑止力になると思っていますから」
「まあ、確かに渚は信頼に値する人物だし、そうそう周りに言いふらすようなことはしない。でも、周りの女子たちへの抑止力ってどういう意味なんだ?」
「春希くんは、自分で言っているようなモテない人なんかじゃありませんから。実際に、この前のテストの後から春希くんのことを良いなって思ってる女の子がたくさんいるんです。そういう人から春希くんの話が出てくる度に、ものすごく不安になるんですよ?」
「いや、そうなのか? にわかには信じ難い話だけど……」
「なので、渚さんが周りに言いふらしてもらった方が良いんです。それで周りの女の子たちが春希くんを諦めてくれれば、私が悩む必要もないですから」
「それを言うなら、オレの方が心配してるぞ? 学校内で、真冬を狙っている男たちがどれくらいいると思っているんだ?」
真冬が心配している以上に、春希の心配は当然のことであった。
真冬は学園内で王女様と崇められており、その隣に立つべく幾多の男たちが真冬の前で散っていった。運動部のエースも、文化部で特選に入る者でも、真冬の心を射止めることは出来なかった。
「大丈夫ですよ。私、春希くん以外の男の人を好きになったりしませんから」
「それでオレが自信を持てれば良いんだけどな……オレ以外の男がここに住んでいても、今と同じ境遇になっているんじゃないかって思うよ」
「春希くん、怒りますよ? そんなこと言うのは、春希くんを好きな私に失礼だと思います。それに、春希くんが今まで私にかけてくれた言葉は嘘だと言うのですか?」
自信を無くしているような春希を叱咤するように、真冬は鋭い視線を春希に向ける。その視線すらも、学園では他の誰にも向けたことのない、春希にだけ見せる真冬の素顔であった。
「真冬のことは大好きだよ。今すぐにでも結婚して自分のものにしたいくらい、真冬が欲しい」
「そ、そんなに恥ずかしいことは言わなくて良いんです! ただ、春希くんはもっと自分に自信を持つべきです! 私は、春希くんでなければ絶対に好きになったりしませんでしたよ? か、彼女の言うこと……信じられないんですか?」
「そういう顔をさせると弱いな……自分に自信を持つってのは、真冬が言う以上に難しいことだぞ?」
「なら、自信がつくまで私がずっと側にいます。それなら大丈夫でしょう?」
テーブルの向こう側にいた真冬は、手を伸ばして春希の手を取る。そして、春希の手を自分の額に当てて、ゆっくり目を閉じる。
「私も大好きですよ、春希くん」
穏やかな声だが、その声は真っ直ぐに春希の心に届いていた。




