王女様へのお願いごと
「何も、そんなに怒らなくても良いと思うけど」
「怒ってなんかいません。ただ、学年トップの座を奪っても表情1つ変えない春希くんを見て、悔しいだけです」
「いや、めちゃくちゃ怒ってるように見えるんだが……」
「春希くんの気のせいです」
その日の夜、アルバイトを終えた春希が自宅に帰って来ると、間も無くしてインターホンが鳴る。この家の主人が帰宅したことを察知して、隣の住人が半ば強引に押しかけてきた形となっていた。
既にパジャマ姿であった真冬は、リビングの椅子に座って不機嫌そうな表情を浮かべている。その顔は、普段の学校生活では決して他人に見せることがない顔だった。
キッチンに立ちながら夕飯を食べていた春希は、苦笑いを浮かべながらリビングへと戻ってくる。その両手には、温かなコーヒーが入ったマグカップが握られていた。
「オレはさっさと教室に戻ったから分からなかったけど、真冬が大変だったって渚が教えてくれたよ。周りから問い詰められて、王女様が困ってたって」
「どうして私が春希くんのことを説明しないといけないんですか? 同じ生徒会だからと言って、皆さん私に春希くんの人物像を質問して来るんですよ? 普段から春希くんが周りに愛想良くしていれば、私がこんなに問い詰められることはなかったんです」
「まあ……それに関しては申し訳ないって思うよ。損な役回りをさせてごめんな」
「別に、それに関しては怒ってません。春希くんのことは、同じ生徒会である私も分からない人だって言っておきましたから」
「はは、そこはもう少し語弊の無い言い方をしてもらえると助かるな」
普段は見ることのないであろう真冬の表情を見て、春希は少しだけ優越感に浸っていた。学園中の誰から見ても、このような真冬の姿を見ることは無いであろう。
真冬は唇を尖らせながらも、春希に敗北を喫してしまったことに関しては、潔く負けを認めていたようであった。
「進路指導の先生から言われました。特待生の春希くんが学年トップを取ることが出来れば、大学への進学に関して学校から補助金や推薦状が出ると。これは、特待生として入学している人たちにしか与えられない、隠されたシステムだと言うことを」
「オレはそこまで真冬に話してはなかったんだが、何で一般入学の真冬にそんなことを話したんだ、あの教師……余計なこと言わなくて良いのに」
真冬から告げられた話の内容に、春希は少しだけ不機嫌そうな口調になる。
春希をはじめとした特待生で入学している一部の生徒は、学年トップの座を取ることが出来ると、真冬が言っていた通りの恩恵を得ることが出来る。そのため、特待生組は毎回の定期考査で死に物狂いで学年トップの座を狙っていた。しかし、彼らが入学してから1度としてその頂に立った者は無く、真冬が最後の関門として立ちはだかっていた。どこから聞いたのかは不明であるが、真冬が進路指導の教師に質問すると、あろうことかその教師は簡単に口を割ってしまっていたのだった。
「春希くん……私のことが憎くなかったんですか? 私がいたから、春希くんをはじめとした特待生で入学した人たちは、みんな困っていたと思います」
「だからといって、手を抜いた真冬に勝ったとしても、オレは何の嬉しくもない。自分の力でトップに立ってこそ、その価値が評価されるんだ。おそらく、教師たちも真冬の成績が頭1つ抜けていることを理解していたからこそ、こんなシステムを導入したんだと思うよ、オレは」
「私なら、そんな人の前で平静でいられる自信はありません。だって、自分の人生を左右する邪魔者が目の前にいたら、排除しようと思うのが普通じゃないですか? 大学への進学には多額のお金が必要になる。そのための補助金や推薦制度も利用させてくれると言っているのだから、みんな必死になって勉強してるのではないですか?」
「ああ、そうだ。誰が特待生かなんてオレには分からないけど、みんな必死になって勉強してる。勉強なんて興味がなくて適当に勉強している人間も多い中、オレも真冬を超えるために死に物狂いで勉強してたよ」
「それなら、私を貶めたりしようとは思わなかったんですか? 私を油断させるチャンスはいくらでもあったはずなのに、家の鍵を落とした私を助けてくれたり、ストーカーから守ってくれたりして……私は、春希くんの考えていることが分かりません」
「真冬のことを乗り越えたいと思う気持ちと、真冬のことを助けたいという気持ちは、別の問題だよ。オレが助けようとした人が、たまたま真冬だっただけだよ」
鋭い視線を向けてきた真冬をいなすようにして、春希はコーヒーを飲みながら淡々と話していく。
「それに、今まで特待生のやつらは真冬を敵視していたけれど、これからはオレがその役回りになる。全然関係の無い真冬にそんな視線が向けられているのは、オレとしても不愉快なところがあったからな。まあ、その特典と真冬の成績を見越していた教師たちにも多少なりとは腹は立っているが」
「春希くん……まさか、私を守るためにそんなことを?」
「解釈は真冬に任せるよ。少なくとも、オレは自分自身の目標は達成することが出来た。これからは学年トップの座を防衛する立場になるから、そうもいかないだろうけどな」
「……私、やっぱり春希くんのことが分かりません。優しかったり、思わせぶりな行動を取ったりして、私のことを掻き乱してます」
真冬から苦言を呈され、春希は肩をすくめて苦笑いを浮かべる。飄々と生きている春希の心の内は、誰もが踏み入れることの出来ない領域であった。
「でも……春希くんの気持ちはどうであれ、負けたのは私です。約束通り、春希くんのお願いを聞いてあげます」
「ああ……そんな約束もしてたっけか。すっかり忘れてたよ」
「別に無しでも良いんですよ?」
「はは、冗談だよ。ちゃんと覚えてたさ。学園の王女様にお願い出来る機会なんて、滅多に無いだろうからな」
そっぽを向いて頬を膨らませていた真冬を見て、春希は安心したように息を吐いて表情を崩していく。
学園では真冬は王女様として周囲から崇められている。本人が意図していないところで、知らずのうちに肩に力が入ってしまう場面もあったであろう。春希は決して口にすることはないが、せめて自分と接するときだけは、その肩にかかっている力を抜いたらどうかという思いがあった。自分と接するうちに、少しずつ真冬の感情の表出が増えてきていることに、春希はテストで1位を取った以上の喜びすら感じていた。
「前にも言いましたけど、エッチなのは無しですからね?」
「はは、本当にオレがそういうお願いをしたら、どうするつもりだったんだ?」
「それは……春希くんはそういうことを言わないって信じてますから、想像したこともありませんでした。そもそも、テストで負けることすら想定外だったんですから」
「真冬って、見た目に反して負けず嫌いだよな。そういうところ、もっと周りに見せれば良いのに」
真冬が首を振って拒否する中、春希は真冬に対するお願いを考えていた。
本当であれば、春希の願いは最初から決まっていた。しかし、それを口にするということは、意外にも勇気を必要とすることであった。
春希はコーヒーをゆっくりと飲み干すと、真冬の顔をじっと見つめる。透き通るような白い肌に、少しだけ頬が紅潮している。おそらく春希が帰って来るまでの間に風呂に入っていたと思われ、髪はまだ少しだけ湿り気を帯びていた。
「そうだな……今度の週末、オレと1日デートをしてもらおうかな」
「……え?」
春希からの提案に、真冬は目を丸くしていた。




