王女様と勉強会
「……オレが真冬に教えることは無いと思うのだが?」
「定期考査では私の方が順位は上ですが、国語や英語は春希くんの方が点数が上です。ですから、普段どうやって勉強しているのかを知りたいんです」
真冬が作った夕飯を食べたのも束の間、リビングのテーブルの上に真冬の教科書とノートが広げられていく。その様子を、テーブルの反対側に座っていた春希は不思議そうな目で見守っていた。そして、そのまま黙々と勉強を始めてしまった真冬につられるように、自分も教科書とノートを広げていく。
定期考査で常にワンツーフィニッシュを決めている2人がこの場にいることは、限りなく奇跡に近いと言っても過言ではない。もちろん、他の生徒に見つかってしまっては春希が一方的に非難を浴びることになるため、渚以外の学校関係者がこのことを知ることは無い。
「……春希くん、テスト期間中もアルバイトをしているんですよね? それで私と僅差を保っているのだから、きっと効率の良い勉強をしているんだと思ってました」
「いや、そんなことはないさ。授業で聞いていることを、ただ復習しているだけだ。まあ、成績が悪いと授業料の免除が無くなるから、必死になってるって部分はあるが」
「私は春希くんのようにアルバイトをしているわけではありませんし、生徒会で居残りすることもほとんどありません。それなのに、いつも春希くんと僅かな差しか無いというのは、私にとって危機感しかありませんよ。もしも春希くんが勉強だけに集中出来る時間があれば、私は春希くんに負けていると思います」
「でも、真冬だってトップを守るために努力してるんだろ? だから、オレが真冬に勝てる日は来ないと思うから、安心してくれ」
真冬がシャーペンをノートに走らせていく中、春希は教科書やノートに書かれている文字を眺めていく。そんな時間が続いていくと、やがて真冬が春希の勉強法の異変に気が付いた。
「……春希くん、ノートに書かないんですか?」
「ん? ああ、そうだが? オレはいつも、授業中に板書したノートの要点を確認したり、教科書を読んでテスト対策をしているんだ。テスト用にまとめ直したりはしてないよ」
「それ、天才の勉強法ですよね? 春希くん、自分がどれだけすごいことをやっているか分かりますか?」
ノートに書かれている文字から目を離すことなく、さらりと真冬からの問いかけに答える春希。何1つとして表情を変えることのない春希に、真冬は驚くように目を見開いた。
「まとめ直すのも良いとは思うけど、バイトばっかりやってるとそういう時間は無いんだ。だから、最初から授業で聞いたことは要点にまとめておくんだ。そうすることで、後から見返しても分かりやすいノートになっている」
「……少し見せてもらっても良いですか?」
「ああ、別に構わないぞ」
真冬と同じ英語の勉強をしていた春希のノートを借りて、真冬はそこに記されていた文字に目を落としていく。
とても高校生の男子とは思えない程の綺麗な字で書かれていた板書は、ただただ教師が書いていることを写しているだけではなかった。そこに自分なりの知識と考察を加え、要点を抑えて分かりやすくまとめられている。真冬も何となく板書していることはあったが、このようにまとめられていたノートを見るのは初めてだった。
時間が無い春希なりの勉強法を知った真冬であったが、その口調はどこか棘を含んでいた。
「……なんだか悔しいですね。こうやって天才の勉強法を見せ付けられると、自分のやってることが正しいのか分からなくなります」
「それでも、真冬は今までその勉強法でここまできたんだろ? なら、それを変える必要なんて無いさ。オレのやってることが正しいなんて、自分では思ってないよ」
「きっと、私とは違って春希くんは背負ってる物が違うんだと思います。優秀な成績を取り続けないと、学校にいることが出来なくなる可能性がある春希くんと違って、私は何も背負っている物がありせんから」
「まあ、常に学年10位以内を維持し続けろと言われてはいるから、それなりに頑張ってはいるんだぞ? 9人にしか負けられないのに、そのうちの1人が目の前にいるんだから、オレからしたらプレッシャー以外の何物でも無いよ」
返されたノートに再び視線を落としながら、春希は肩をすくめる。その様子を見て、真冬もまた小さくため息をついた。
「なるほど……私の成績が落ちれば、春希くんはこの学校に居続けられる可能性が高くなると言いたい訳ですね?」
「はは、まあそういうことになるな。でも、学園の王女様が首位の座から陥落なんてしたら、みんなびっくりすると思うぞ?」
「そうならないように、こうして勉強しているんです。春希くんには悪いですが、私はトップ10から落ちることはありませんよ」
「そうか……残念だ。1位になれば、授業料の免除の他に進学や就職を優遇してくれると、校長か教頭から聞いていた気がするんだけどな」
「……え?」
それは、春希からのささやかな陽動作戦だった。そんなことを聞いては、真冬が手を抜いて首位の座を明け渡してくれるのではないかと、春希はその優しさを利用していた。もちろん、真冬がそのようなことで動揺するはずがないと、春希は最初から分かっていた上での発言である。
案の定、真冬は厳しい視線を春希に向けたままであった。
「……あいにくですが、そのようなことで私の心は揺れたりしませんよ? そんなことを期待していると、2位の座からも転落してしまいますよ?」
「そうだな……1位になったら王女様に何でもお願い出来るとかってご褒美でもあれば良いんだけどな」
「……良いでしょう」
「……何だって?」
苦笑いを浮かべていた春希の冗談に、真冬は真っ向から立ち向かっていた。そのような返答が来るとは思っていなかった春希は、思わず視線を上げて真冬の顔を見つめていく。
いつ見ても、真冬の顔は綺麗に整っていると、この状況ながらに春希はそう感じていた。
「春希くんには色々とお世話になっていますから、それくらいお安い御用です。そもそも、春希くんが私に勝てるという保証が無いのだから、私がそんな心配をする必要もありません」
「……変なお願いをされるとは思ってないのか?」
「……春希くん、私に変なことしたいんですか?」
「いや、そういうわけじゃないが……真冬からそんな返事が来るとは思ってなかったから、意外だなって思って」
「……これでも、私は春希くんに感謝してるんですよ」
真っ直ぐな視線を向けられ、春希はその瞳に吸い込まれそうになる。手を伸ばせば届くのに、真冬との距離はどこか遠くに感じられていた。
何かの間違いが無ければ、春希と真冬がこのように混じり合うことは無い。しかし、その間違いは図らずとも運命に引き寄せられるように起こっていた。
「家の鍵を無くしたときも、ストーカーに追われていたときも、春希くんは私のことを守ってくれました。周りの友人たちから聞いていた春希くんとはかけ離れている程に、春希くんは優しくて頼りになる人だなって思います。それなのに、私は春希くんに何もしてあげられてないですよね? 今日だって、本当は勉強会に私も参加しないといけないのに、春希くんは1人で背負ってたじゃないですか」
「目の前であんなに困ってたら、放っておけるはずないだろ? それに、山形や秋田に勉強を教えるのはオレの運命みたいなものだ。あいつらから逃げられるなんて思ってもないし、真冬があいつらに絡まれて困っているところも見たくない。別に大変だなんて思ってないから、真冬が心配するようなことは何も無いよ。それで、オレが真冬に何か対価を要求することも無い」
「……そんな風に思えるの、春希くんだけですよ?」
「はは、そうかもな。でも、そんなことを話したのは真冬が初めてだよ」
「そうなんですか? 渚さんとはこういう話はしないんですか?」
真冬が首を傾げている間に、春希はゆっくりと立ち上がってキッチンへと向かう。そして、慣れた手付きでコーヒーを淹れて戻って来ると、真冬の前にもコーヒーカップを置いていく。
「渚はあくまでも、仲の良いバイト仲間って感じだからな。こんなシリアスな話を持ちかけたりはしないさ」
「そうなんですね。私はてっきり、渚さんとは男女の仲として親しいのかと思ってました」
「オレと渚も、そう思ったことは無いな。むしろ、渚は他にちゃんと好きな男がいるから心配するな」
「えっ、そうなんですか!?」
思いもよらないことを告げられ、真冬は手に持っていたコーヒーカップを落としそうになってしまう。いつも明るく話しかけてくれる渚にそのような人物がいたとは、真冬にとって驚くべきことであった。
「ああ。でも、オレから聞いたなんて言うなよ? 真冬のことを信じているから、こんなことが言えるんだから」
「い、言いませんよそんなこと! 大体、そんなびっくりするようなことをいきなり言わないでください!」
「いや、これで真冬が動揺してくれれば良いかなって思って。真冬に勝ったら、何をしてもらおうかなっと」
「……エッチなことはダメですよ?」
「あのなぁ……何度も言うが、オレがその気になってたら、とっくにそうしてるっての」
本当にそうなってしまったとき、果たして真冬はどのような反応を示すのだろうか。
そのような邪念を振り払いつつ、春希は再びテスト対策をしていく。お互いの苦手としている部分をフォローするかのように、春希は主に国語や英語を真冬に教え、真冬は数学や理科を春希にアドバイスしていく。
黙々と教科書やノートと向き合っていく2人の勉強が一段落した頃には、時計の針は日付を跨いでいた。




