第三十一話 『迷惑誘惑』
「それでこいつ―――」
遠坂姉が、妹に向かって俺のことを話している。
その話というのが、どうも俺をバカにしているように聞こえてならない。
こいつと初めに会った時は、目も向けられないほど汚かっただの、一緒に転入してきた奴の自己紹介が上手で、こいつの自己紹介がしょぼかっただの。
そんな話だ。
まぁ、こいつと会った時の俺は確かに汚かった。
だからその話は、百歩譲ってよしとしよう。
だがしかし。
だがしかしだ。
自己紹介はお前のも酷かったぞ、姉様よ。
俺とそう変わらなかったじゃないか。
キョドっていたか、そうじゃなかったかの違いだけだった。
人のこと言えるのかよ。
それも、そんなに笑いながら。
でもまぁ、遠坂妹が楽しそうにしているからいいか。
そう、遠坂妹が楽しそうにしているのだ。
あの、あまり喋らなかった遠坂妹が楽しそうにしているのだ。
彼女は、きっと人見知りなのだ。
人見知りというのは、相手に慣れてもある程度解消はされる。
だが遠坂妹は、俺相手でも楽しそうに会話してくれる。
それは何を示しているのか。
心を開いてくれた、ということだ。
こうして話してくれるのは、心を開いてくれる、もしくは人見知り自体を克服する。
そのどちらかだ。
遠坂妹に、人見知りを克服した様子はない。
だとすれば、可能性は一つ。
心を開いてくれたのだ。
嬉しい。
このかわいい遠坂妹が俺を信用しくれているということは、嬉しいことだ。
恋愛シミュレーションゲーム的に言うと、攻略対象となったわけだ。
それにしても、この子はかわいいものだ。
うちの妹といい勝負なのではないか?
きっと噂さえなければ、学校内で有名人になることだろう。
もしかすると、入学当初は人気だったのかもしれない。
そうなると、益々親近感が湧くな。
こうして、ゆっくり話しながら帰路に就いているが、分かれ道で別れることがまったくない。
もうそろそろ、俺の家に着いてしまう。
こうして、数人でワイワイしながら帰るのは悪くない。
この時間もそろそろ終わってしまう。
この心地よい時間が。
ただ一つだけ不満があるとすれば、遠坂姉の当りがめっぽう強いことだ。
それも、俺に対してだけだ。
もう、痛いほどに強いですよ。
どうにかしてほしいものだ。
と、もう俺の家(のある丘上崖)に着いてしまった。
結局、最後まで別れることはなかった。
どうやら、俺の家と遠坂家は同じ方向のようだ。
「じゃぁ、ここまでだな」
俺は、彼女らに帰宅の終了を報告する。
「あなた、あの家なの!?」
「まぁ、そうだけど」
遠坂姉は、丘上崖を指さして驚く。
牧田から、俺の家が噂になっていると聞いていたが、まさかここまでとは。
牧田話によると、俺の住んでいるあの家は突然できたらしい。
今まで何もなかった場所に、ある日突然一軒家だ。
そりゃあ、噂にもなるだろう。
この世界に重機はない。
能力があるとはいえ、工事に役立つ能力を持っているのは数人。
ほぼ人力での工事だ。
やはり数日は確実にかかる。
それが一晩でポンだ。
噂にならない方が不思議だというものだ。
俺はそこに住んでいる。
驚かれて当然だ。
遠坂姉は、信じられないといった顔で俺を見ている。
妹はというと、そんなに驚いてなさそうだ。
むしろ寂しそうにしている。
俺と、別れるのがそんなに寂しいのか。
かわいい奴だな。
ちょっと頭を撫ででみようと近づこうとしたとき、さっきまで驚いた顔をしていた姉に、殺されそうな視線を送られたのでやめた。
あらやだ。
なんて情熱的な視線なの。震えてしまいそうだわ。
なんてね。
「あなた、うちの妹に手出したら殺すわよ」
どうやら、『殺されそうな視線』ではなく『殺しそうな視線』だったらしい。
おお、怖い怖い。
震えてしまいそうだわ。
「わかってるよ」
わかっていない。
うわべだけだ。
いやだって、かわいい子に気に入られたいじゃん?
唾つけておきたいじゃん?
誰でも思うことじゃん?
俺は清楚系よりかわいい系の方が好きだ。
遠坂妹は、模範的なかわいい系だろう。
「何それ
まるで、うちの妹が可愛くないみたいな物言いじゃない
ふざけないで」
「えぇ......」
ふざけないで。
そっくりそのままお返ししたいんですけど。
手を出すなと言われたから手を出さないと言ったのに、それはそれで怒られた。
じゃぁ、俺はどうすればいいんだよ。
あなたの妹に、べろんべろんに唾つけちゃいましょうか?
いや、さすがにそこまではしないんだけどね。
そんなことした日には、俺の体は原型を留めない無惨な肉塊となっていることだろう。
唾をつけるならちょっとずつだ。
「まぁいいや
じゃあな。また明日」
もうどうしようも無くなった俺は、二人に手を振って坂道を登り始める。
「ええ、また明日」
「はい、さようなら」
二人も手を振り返してくる。
こうして、俺たちは別れた。
下校終了。
丘を登って帰宅する。
「あっ、おにぃ
お帰り」
宙がいた。
俺が学校から帰った時に宙がいるのは、学校に行き始めて以来初かもしれない。
「ただいま、宙」
うんうん。
今日も宙はかわいい。
こう、平坦な声でお帰りという宙は、無表情だ。
それがまたかわいいのだ。
宙は、何をしてもかわいいなぁ
しかし、この時間もすぐに終わる。
俺はこれからバイトなのだ。
学校で時間を使った分、家での時間は少ない。
バイトへ急がなければならない。
でもまぁ、バイトから帰ったらまた会える。
それまで我慢。
俺は妹への愛を心の中でもてあそびつつ、風呂に入っている。
俺のバイトは接客業。
臭いまま働くのはよくないだろう。
こういう時、自分の匂いが分からないのは不便だな。
もし分かれば、「今日は臭い」「今日は臭くない」「今日はいい匂い」などとわかるんだろうなぁ
人に聞く?
例えば宙に?
いやいや、それはない。
宙に、「俺、いい匂いか?」だなんて聞けない。
おそらく。
おそらくだが、俺がそう尋ねると宙は俺の匂いを嗅いで、ジャッジしてくれることだろう。
しかし、それが問題なのではない。
宙に限らず、誰かに自分の匂いがどうかなんて聞くのはなんか嫌だ。
不快な恥ずかしさがある。
俺は宙が俺の匂いを嗅ぐシーンを想像しながら、そんなことを考える。
宙がスンスンと俺の体に顔を押し付けてくる。
そうすると、ちょうど俺の顎あたりに宙の頭が来るだろう。
それを俺は、妹にバレないように嗅いで。
きっといい匂いだろう。
一日学校で過ごした頭。
それでも、いい匂いだろう。
宙の綺麗な汗の匂い。
ぐへへ......
俺は心の中で、気持ち悪い顔をする。
ニチャっとした不気味な笑顔だが、心の中なので問題ない。
考えるだけなら、何をしてもいいのだよ。
とまぁ、何だかんだで俺はバイトへ行くのだ。
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現在、バイト中。
問題が発生しております。
「やっぱりあんた、その恰好笑えるわね......」
「そ、そんなこと言ったらダメだよお姉ちゃん」
俺が接客しているのは、二人組の女性のお客様だ。
片方はいいお客様。
連れの無作法を正そうとしてくれている。
俺は正直、彼女に助けられている。
だが、もう片方はどうだ。
辺りが暗くなってきて、客数が減ってきた頃。
若干静かになり始めたファミレスで、一人だけクスクスと笑っている。
声を抑えようとはしているが、それでも漏れ出てしまっている。
それはもう、完全に浮いている。
一緒にいる彼女がかわいそうだ。
周りを気にしながら、恥ずかしそうにしている。
彼女が不憫で仕方ない。
その二人組の正体は、遠坂姉妹。
二時間と少し前まで一緒にいた姉妹だ。
いいお客と、笑っているお客。
どっちがどっちなのかは、言うまでもないだろう。
それにしてもこの姉、二回目なんだから慣れてほしい。
というかそれ以前に、人を見て笑わないでほしい。
俺のこれは仕事服だぞ。
その姿を笑われるということは、俺の仕事とこの店を笑われているみたいに感じて気分が悪い。
「はぁ......」
おっといけない。
接客業にため息は禁物だ。
いやでも、このため息は遠坂姉のせいだ。
俺は悪くない。
そう、悪くないのだ。
どうも、この姉と仕事中の俺の相性は最悪らしい。
こいつが前にここへ来た時から思っていたことだ。
俺のこの格好、そんなにおかしいだろうか。
こんなに笑われるほど変なのだろうか。
でも、妹の方は笑ってないんだよな。
この二人の姉妹で、何が違うんだろう。
そういえば、遠坂姉とは俺が汚かった時にも会っているが、遠坂妹は俺の汚かった姿を見ていない。
もしかすると、あの汚かった頃のボロボロの俺と、今のキチッとした服に包まれまともに働いているというギャップからの笑いなのかもしれない。
いやいやちょっと待て。
ギャップがどうであれ、笑われるのは嫌だ。
笑われ過ぎて、少々考えがおかしくなっていたようだ。
「ご注文をお伺いします......」
「ランチ定食
ユキは?」
「わ、わたしは......」
遠坂姉はすぐに決めてしまったが、妹の方はそうではないらしい。
「まだ決めてないのに」とでも言いたげな困った顔をして、メニュー表を急いでめくっている。
そして、あるページでめくるのをやめた。
妹の顔は、ソレを見つけて少しホッとしていた。
「ハ、ハンバーグ定食で......」
ハンバーグ、好きなのかな?
遠坂妹は、ハンバーグ定食を見つけホッとしたのと同時に嬉しそうな顔をした。
この店のハンバーグはとびきり美味しいからな。
期待して待っててくれ!
「以上でよろしいでしょうか?」
マニュアル通りの対応をする。
まぁ、この店のマニュアルはよんでいないのだが......
だって、読まなくていいって言われたし?
俺、悪くないし?
「あと、ドリンクバーも二人分つけて頂戴」
「承りました
以上でよろしいでしょうか?」
「ええ、いいわ」
いいらしい。
「ご注文を繰り返します」
俺は、この姉妹の注文を淡々と繰り返す。
それにしても、この姉はランチ定食か。
今はほぼ20時。
とてもランチの時間ではない。
まぁ、いいか。
俺がどうこう言うもんじゃない。
姉の勝手だ。
「少々お待ちください」
俺は厨房へと向かう。
あの二人の注文を告げて、次の接客に取り掛かる。
といきたいところだが、もうこの時間になったら新しい客は少なくなってくる。
よんちゃんや他のウェイターのおかげで、まだ注文を終えていない客はゼロだ。
暇な時間になってきた。
のんびりと、ホールを見ている。
大きな窓からは、大通りを歩く人々が目に入る。
家族連れだったり、カップルだったりカップルだったり......
何あいつら。
見せつけて来てんの?
この年齢=恋人いない歴の俺に?
見せつけて来てんの?
何様のつもりなの?
上等!
ぶっ飛ばしてやる。
俺だって、彼女作ってイチャイチャしたいよ。
手をつないで街中を歩いてみたいよ。
ちょっとエッチな会話とかもしてみたいよ。
でも、俺に恋人はできない。
いいよいいよ。
俺は今のままで幸せだよ。
妹と、数人の友達だけいれば十分だよ。
恋人とかいうまがいものの存在なんていらない。
イチャイチャしたいなら宙とするよ。
街中で手をつなぎたくても宙とつなぐよ。
エッチな会話は妹とするわけにはいかないから男友達とするよ。
俺はそれだけで十分だよ。
幸せだよ!
......
なんだか、自分で言っていてむなしくなってきた。
男友達とエッチな会話して何が面白いんだ。
かわいい女の子が、恥じらいながらエッチなことを言っているのがいいんじゃないか。
男が下品な笑顔で下ネタを言っているのを聞いて、何がいいんだ。
はぁ......
彼女、ほしいな......
俺はふと、鷲宮を横目で見る。
こんなかわいい子が、俺の彼女ならなぁ。
そんな鷲宮は俺と違って、ホールで何か問題がないか目を凝らしている。
目を細くして目を―――
「ふわぁ~」
口を両手で隠して、大きなあくびをした。
どうやら、目を凝らしている訳ではなさそうだ。
やっぱり眠たいよな。
俺も眠たい。
俺たちはこの眠気の中、数十分間人の来ないホールを見ていなければならない。
いや、流石にそこまでではないか。
途中でロッカールームに行ったりできる。
休憩はできるのだ。
でもまぁ、休憩できると言ってもすることがない。
スマホとかあればいいんだがな。
と、そんなことを考えていると、遠坂姉妹の料理が完成したようだ。
またあの、遠坂姉のいるテーブルに行かなければならないのか。
ただ料理を運ぶだけなのに、遠坂姉がそこにいるというだけで面倒臭さは倍増だ。
憂鬱だ......
---
あれからは、何もなかった。
特に問題はなかったし、新しい客も数人しか来なかった。
あれからは随分とのんびりとした時間だった。
遠坂姉妹は、俺のバイトが終わる少し前に帰ってしまった。
そして今、俺が何をしているかというと、鷲宮と一緒に帰っている。
それも帰路のラストスパート。
最近、鷲宮はよく俺の後ろを歩く。
しかもすぐ後ろをだ。
俺がスピードを落としても、いつの間にか後ろに回っている。
少し話しにくいから横に来てほしいが、トコトコとついてくるので面白い。
会話もできない訳ではない。
最近ではこれも慣れている。
俺が急に止まったら、多分ぶつかってしまう。
鷲宮が俺の背中にぶつかってくる。
ちょっとやってみたいな......
まぁ、しないけどね。
止まる理由もないし。
ふと、後ろを振り返る。
暗くてよく分からないが、鷲宮の顔が赤くなっているように感じる。
気のせいだろうか。
「?」
鷲宮は、俺の視線に気づいたらしく、首を傾げた。
そして、なぜか恥ずかしそうに目を逸らした。
何かあったのだろうか?
「俺、なんか変か?」
「い、いや
何もないよ」
「そうか......」
何もないのか。
こういうよくわからない会話は、たまに起こる。
何か隠し事があるのだろうが、詮索するのはよくない。
女の子は知られたくないことも多いと聞くからな。
それに、俺にだって隠していることはある。
お互い様だ。
とまぁ、なんだかんだで鷲宮の家に着いた。
今日の帰路でもまた、特に意味のない会話をした。
明日もこんな風にして帰るのだろう。
そんな、意味のない会話も楽しみだ。
疲れが吹き飛ぶ。
鷲宮は、癒し効果を持っているのだ。
だが、鷲宮も帰ってしまった。
ということで、俺は次の癒しを求めて家へと向かう。
次の癒し、宙を求めて......




