第二十三話 『鷲宮明香』
遠坂が帰ってからは、特に何もなかった。
淡々と接客をこなし、黙々と料理を運ぶ。
それだけをひたすら続ける。
今は九時。
バイト終了の時間だ。
九時にもなれば、来客者数はかなり減る。
昼に比べれば、物足りないくらいだ。
いくつかの席に、料理を食べ終わった人達が座っている。
この時間から注文する人は少ない。
この店の営業時間は朝五時から夜十時まで。
閉店まではあと一時間はあるが、たくさんのスタッフが必要な時間では無い。
それに、夕方頃から入ったスタッフいる。
帰っても問題ないだろう。
「お疲れ様です」
すれ違ったスタッフに会釈をして、俺は今日の仕事を終えてロッカールームへと向かう。
ロッカールームですることは少ない。
着替え。それだけだ。
俺は、来た時の服装に着替え直し、ロッカールームから出る。
すると、女性用ロッカールームから、私服姿の誰かが出てきた。
その誰かとは、俺の教育係。
俺に良くしてくれて、一週間足らずで仲良くなった、同い年の女の子。
一言でいえば、いい人だ。
お世辞として、どうでもいい人のことを「いい人」ということがあるらしいが、今回のこれはそういう意味ではない。
単純に、そのままの意味で「いい人」なのだ。
その、いい人である彼女の名前は鷲宮明香。
同級生の、元気いっぱい先輩女の子だ。
明るい茶色髪ポニーテール。
紫紺の瞳。くりっとしたぱっちりお目目。
総合してかわいい。
まぁ、宙ほどではないがね。
うちの妹は特別かわいいのだ。
誰も勝てないよ。
そんな鷲宮は俺を見た途端、こちらへ駆け寄ってくる。
もう九時だというのにも関わらず、彼女は元気いっぱいそうだ。
鷲宮は、若干飛び跳ね気味に近づいて来る。
特に胸部が跳ねている。
め、目が......目が吸い寄せられてしまう。
何とかしなければ。
オレも元気になっちゃいそうだ。
ムズムズしてきた。
何か、何か他のことを考えよう。
こういう時は円周率とか素数とか、終わりのないものを考えていたら良いんだ。
何を考えようかな。
うーん......
おっ?
何を考えようか悩んでいると、なんだか落ち着いてきたぞ。
よしよし。ムズムズが落ち着けば何でもいい。
次に、同じようなことにならなければいいのだ。
あまり、意識しないようにしよう。
俺は鷲宮を見ているのだ。
彼女の胸を見ているわけではない。
まっすぐと顔を見て話そう。
こうして、鷲宮のソレにテンパっている俺だが、別に大きいのが好きだというわけでは無い。
大きかろうが小さかろうが、大事なのは、それがソレであることだ。
大きさなんて、大した問題ではない。
でも、あれだけ揺れていたら目が行きそうになってしまうのは男の性というやつだ。
しょうがないのだ。
「よんちゃん、先に帰ったんじゃなかったか?」
「かけ君より早く帰るはずだったんだけどね
ゆっくりしてたら一緒になっちゃった」
俺が鷲宮に尋ねると、彼女は営業スマイルでは無い、本当のスマイルで会話を続けてくれる。
悪いね男性客諸君。
君たちはこの笑顔が見られないんだろ。
俺が、君たちの分まで、この可愛らしい笑顔を拝んでおいてあげよう。
それにしても可愛らしいな。
この店が、この笑顔にお金を払わせるのも頷ける。
「どうせなら、一緒に帰らない?」
「いいけど、家はどっちなんだ?」
「あっち」
そう言って鷲宮は指をさす。
俺の家と、方向は一緒だが少しだけずれている。
見た感じだと俺の家の隣町、もしくはもう一つ隣町だろう。
でもまぁ、真逆じゃないならいいか。
「なら、帰るか」
「うん」
真逆じゃないなら別に、一緒に帰っても問題ないだろう。
それに、今は九時過ぎ。
かわいい女の子を、夜道を一人で返すのは危険だ。
この世界では法律がない。
前世の世界よりも、誘拐とか頻発してそうだ。
宙の話によると、奴隷制度もあるらしい。
か弱そうな美女が一人で夜道なんて歩いていたもんなら、一瞬でさらわれてしまうだろう。
だから多分、鷲宮の家が逆方向でも一緒に帰っただろう。
宙、大丈夫かな......
彼女もバイトをしている。
帰るのは俺より早いが、それでも暗くなってからだ。
不安だ。
宙はとびきりかわいい。
少しは護身術を教えてはいるが、相手が強ければ何の役にも立たないだろう。
俺も宙と同じバイト先にしておけばよかったかもしれない。
今になって、ちょっと後悔。
だからと言って、このバイト先をやめてそっちに行くわけにはいかない。
俺は、ここが気に入っている。
良くしてくれる仲間もいるし、優しい店長。
まぁ、優しいというよりおかしい店長だが......
そんなこともあり、俺はバイト先を変えたくない。
宙には、きっといい人が付いている。
これまで何事もなかった彼女だ。
うまくやっているのだろう。
宙と誰かが一緒に帰っている、か......
男か?女か?
男ならお兄ちゃんが見極めないとな。
お兄ちゃんより強くないと認めないぞ。
俺と鷲宮は、夜の帰路につく。
―――鷲宮明香視点―――
かけ君と一緒に帰ることになった。
彼の家がどこにあるかは知らないけど、私の家がどっちにあるのかを教えると、一緒に帰ってくれると言ったから、きっと同じ方向なのだろう。
一緒に帰れるなんて嬉しいし頼もしい。
私がこう思うのは、きっと彼が好きだからだろう。
最初は自覚もしていなかった。
何せ、今まで恋をしたことなんてなかった。
友達が、「誰誰が好き」とか「誰と誰が付き合い始めた」とか、そんな話をしていた。
私もその話に参加することはあったが、なんとなく乗っかっていただけ。
よくわかっていなかった。
恋とは何なのかと、聞いたこともあった。
その時、友達は快く教えてくれたが、それでもよく分からなかった。
男の人なんて、どう好きになったらいいのか分からなかった。
私とではなく私の胸と話しているのではないかと思えるほどチラチラと見てくる人ばかり。
時には、何も気にせずに、堂々と見てくる人だっていた。
私の胸を見ない、というよりは、興味がない人もいた。
でも、とても好きにはなれなかった。
確かに、私の胸は大きい。
でも、巨大というわけではない。
男というものは、大きければ大きいものほどより好むと聞く。
しかし私のはE。
確かに大きいことは大きいが、私より大きい人など探せばいくらでもいると思う。
それなのに、なぜ私のモノを凝視するのか分からない。
私はこの、周囲から卑猥な視線を向けられる元凶である胸が嫌いだ。
どうしてこんなものが私についているのか。
周りの女の子は、これがいいと言ってくるが、言い訳がない。
彼女らは、この苦労が分からないのだ。
バイト先でもそうだ。
バイト先の男の人は、みんな優しい。
私と話しているときは、無自然なくらいに私の目を見て話してくれる。
そう、私と話しているときは、不自然なくらいに、だ。
私と話していないときは、チラチラとバレないように見てくる。
バレないとでも思っているのだろうか。
いや、バレていないとまで思っているのだろう。
男の人が思っているより、女の子はそういう視線に敏感なのだ。
男の人は、そうゆうことはないのだろうか。
人の視線を、あんまり気にして生きていないのだろうか。
きっとそうなのだろう。
店長には良くしてもらってたけど、そろそろ辞めようかと思っていた。
そんなときに現れたのは、同年代の少年。
かけ君だった。
初めは、「ちょっとカッコイイけど、結局彼も男なんだ」と思っていた。
「どうせ、彼も胸ばかり見てくるんだろう」と。
でも違った。
多分、気になってはいるんだろう。
しかし、私を気遣ってか、見ないようにしてくれている。
遠くにいてもチラ見してこない。
普通のことなのかもしれない。
普通のことかもしれないが、私にとっては普通のことではなかった。
こういう人は私にとって、珍しいのだ。
とは言っても、それだけで好きになったりするほど、私も単純ではない。
他にも見てこない人はいるのだ。
レアなだけで、存在はするのだ。
しかし、そう簡単に恋はしない。
なら、なぜ彼に恋をしたのか。
それは私にも分からない。
恋に理由なんていらないのだ。
高校二年生で初恋を迎えた子が、何を言っているんだと、自分でも笑ってしまう。
でも、実際にそうだと思う。
私は、いつの間にか、彼に恋をしていたのだ。
強いて理由を述べるなら、優しくてカッコイイからだろうか。
そうじゃない気もするし、それだけではない気もする。
理由なんて分からない。
理由なんて、ないのかもしれない。
いちいち理由付けをしなければならない恋なんて、面白くない。
理由付けをしたいのならして、したくないならしなければいい。
それだけだ。
とにかく、私は、彼が好きなのだ。
恋しているのだ。
そして今、愛しのかけ君と一緒に帰っている。
愛しのだなんて恥ずかしい。
自分で思ったことなのに、恥ずかしくなってくる。
頬が、赤くなってしまいそうだ。
かけ君に見られてないよね?
暗いから、大丈夫だよね?
もし見られてたら、恥ずかしくて消えてしまうかもしれない。
だ、大丈夫だよね。
隣には、かけ君が歩いている。
特に何かを話すわけでもなく、まっすぐ前を向いて歩いている。
「よんちゃんは、今まで一人で帰っていたのか?」
「うん、一人で帰ってたよ」
今まで、一人で帰っていたけど......
こんなこと聞いて、どうするんだろう。
「いつも、どれくらいの時間に帰ってるんだ?」
「九時ごろに帰っています」
「そうか......」
どうして、そんなにいろいろ聞いてくるんだろう。
も、もしかして......
かけ君も、私のこと......す、す、す......///
「九時か......
俺と同じくらいだな......
よし、ならこれからも一緒に帰ろう。だめか?」
「いいよ」
そうか、一緒に帰りたいだけか。
そっか......
えっ?
一緒に帰りたい?
かけ君が、私と一緒に帰りたい!?
どういうこと?どういうこと?
これって、もしかして本当に私のこと......///!!
いやいや、早まっちゃいけない。
これは何かの間違いだ。
こんなに都合よく、恋が進むわけない。
友達だって、恋の相談を頻繁にしていた。
それに、恋は病だと聞く。
難病だと。
そのように聞く恋が、こんなに簡単なわけがない。
何か彼に、裏があるのかもしれない。
いや、それこそ絶対にない。
彼は優しいのだ。私を利用する姿なんて、想像もつかない。
なら、どうして一緒に帰りたいなんて言い出したんだろう。
もしかして、夜道を一人で帰すなんて危険だと、心配してくれているのだろうか。
やっぱりかけ君は優しいなぁ
彼の前世。
日本でどうだったのかは知らないが、能力が使えるこの世界では、自分の身は自分で守るのが普通とされている。
危ないから一緒に帰るなんて常識、存在しないのだ。
力の弱い者は、群れを作って生活する。
群れが作れず、襲われてしまっても、それは当人のせいだとして扱われる。
あっ、でも、彼も自分を守るために私と帰っているのかもしれない。
彼はカッコイイが、かわいい所もあるのだ。
かけ君の能力は『統水』、水を操るというもの。
決して、強い能力ではないと思う。
私と一緒に帰って、私も彼自身も、お互い助け合おうということなのかもしれない。
やっぱりかけ君は優しいなぁ
---
あれから、結構話した。
とは言っても、そんなに内容のある話ではなかった。
特に、私の話ばかりしていた。
彼の話もしたが、この世界に来てからのことしか話してくれなかった。
過去については、何一つ話そうとしなかった。
何か聞いても、いつの間にか会話を変えられていた。
過去について、話したくないのだろう。
そう思い、それ以上は詮索しなかった。
この世界に来て日の浅い彼の話は、長くは続かない。
となれば、必然的に私の話になる。
私は、友達とのこと、学校でのこと、バイトでのこと、他にもたくさんの話をした。
どの話をしているときも、かけ君は笑顔で、楽しそうに聞いてくれた。
相槌をうって、たまに冗談を挟んでくる。
夜の九時すぎだというのに、夜道を歩きながら声を出して笑ってしまった。
無論、大きな声ででは無い。
近所迷惑にならない程度の声で、笑いあった。
帰り道、ずっと笑っていた気がする。
こんな日々が、ほぼ毎日続くと思うと気持ちが昂ってしまう。
毎日、好きな人と楽しい話をしながら帰る。
とてもうれしい。
これが、恋というやつなんだなぁ
そう、これがクラスのみんなが一日中、毎日話していても飽きない恋愛というものだ。
病と言われる意味が分かった気がする。
しかし、もう少しで私の家についてしまう。
この幸せな時間が終わってしまう。
少し遠回りして帰りたいな。
そうは思うが、こんな時間だ。
自分の都合に、彼を巻き込むのはいけない。
申し訳ないのもあるが、何よりもかけ君に嫌われたくない。
だから、今日の所はおとなしく帰ろう。
わがままを言ってはいけない。
明日もこうやって、二人で帰れるんだ。
我慢、我慢......
私の家に着いた。
二階建ての一軒家。
白と茶色を基調とした一般住宅だ。
この時間だと、共働きのお父さんもお母さんも帰っている。
帰ったらおいしいご飯ができているだろう。
お腹が空いていて、早く食べたい。
なのに、今は帰りたくないのだ。
でもまぁ、仕方ない。
「着いたよ
ありがとね。かけ君は大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫
俺の家もここから近いから
また明日」
彼はそう言って手を振ってくれる。
私も、肩の前で振り返す。
彼は、後ろ姿もカッコイイ。
申し訳ないなぁ
かけ君は、「ここから近いから大丈夫」と言った。
でも多分、彼の家は結構遠い。
それでも、文句を言わずに最後までついてきてくれた。
明日は、ちょうどいい所で別れようかな。
翌日以降の帰り道、かけ君は途中で別れようとしなかった。
結局かけ君は、最後までついてきてくれるようになったのだ。




