第二十話 『ファーストコンタクト』
神様は小会議室を出て行った。
目を逸らしたまま、後ろ歩きで逃げるように。
神様が入ってきたことにより開いていた扉が、彼が出ていくときにピシャリと閉められた。
また一人だ。
もう読む本もない。
何をして暇をつぶそうか......
そう思っていたが、そんな悩みもすぐに解消される。
さっきの先生が、迎えに来たのだ。
栗髪くせっ毛先生が。
『ガラガラ』と音を立てて扉が開く。
開けられたり閉められたり。
扉も大変だな。
結局、人間に作られたものは人間のために動かなければ行けないのだ。
それは人間も例外では無い。
人間から生まれた人間は、必ず人間のために動かなければならないのだ。
指導者として、労働者として、消費者として。
種類は様々だが、何かしらの形で人間の役に立たなければならない。
人間はそういうものだ。
人間社会はそうやってできている。
指導者としては別として、労働者や消費者として人間の役に立つことは誰でもできる。
その当たり前ができない人が、ニートだとか引きこもりだとか言って馬鹿にされる。
その行為に理由があってもだ。
俺もそうだ。
労働者として役立たずだった。
消費はしていたが、自分の金を使ってではなかった。
働かずに人の金を使って引きこもっていた。
いわゆるクズニートってやつだ。
俺にどんな理由があっても、周りから見れば疑うこともなくクズニート判定だ。
残念ながら、クズニートというものは、自分で決めるものではなく他人に貼られるレッテルだ。
そのせいで俺は周囲の数少ない数人以外の人から、クズニートというレッテルを貼られた。
そのレッテルは、常人以上のことをしなければ剝がせない。
もし剝がせたとしても完全には剥がしきれず、多くのべたつきが残る。
そのべたつきはいずれ汚れていき、汚名を残す。
一度悪いレッテルを貼られてしまえば、元の状態に戻ることは不可能なのだ。
俺もレッテルを剥がすために頑張ったことはあった。
その結果、引きこもりではなくなった。
だが俺は、地域で有名なクズニートだったため、仕事にはつけなかった。
何とかバイトはできたが、結局フリーターどまりだった。
貼られたレッテルというものは、自分では生涯どうすることもできないのだ。
あれ、なんの話ししてたんだっけ。
そうだ、迎えが来たんだ。念願の迎えが。
「お待たせしてしまいました
では、付いてきてください」
「はい」
どうやら、また付いて行かなければいけないらしい。
次はどこに連れていかれるんだろう。
先生の背中を追い、小会議室を出るとそこには一人の男が立っていた。
そいつは制服を着ている。
こいつも学生のようだ。
でも、どっかで見たような、ないような。
「それでは二人とも、行きましょう」
そう言って先生はスタスタと歩き出す。
その先生を追って、男が歩き出した。
俺もその男を追うように歩き出す。
すると男が歩きながら振り返り、笑顔で小さく手を振ってくる。
俺も笑顔で振り返す。
誰なんだ?こいつ。
見覚えだけはあるんだけどな。
どうも俺は、人を覚えるのが苦手らしい。
覚えられる人は覚えられるが、覚えられない人はことごとく覚えられない。
それはきっと、俺が覚えるべき人とそうではない人を、無意識で分けているからだろう。
今後、学校で集団行動をしていく上で、この癖は直さなければならない。
学校で人に会う度、「あなたは誰ですか」なんて聞いていられない。
できるだけ、人の名前は覚えていくことにしよう。
俺は、記憶力が悪いわけでは無いはずだ。
積極的に覚えられるよう、心がけよう。
そんなことを考えていると、いつの間にか到着していた。
扉の上の看板には2-4と書いてある。
長年学校に行っていない俺でも分かる。
ここは教室だ。
そしておそらく、俺はこのクラスに入るのだろう。
隣の男と一緒に。
同じクラスに二人同時に転入ってのは結構珍しいんじゃないか?
ん、転入?
転入という単語が、何かに引っかかった気がしたが、何に引っかかったのか分からない。
ここは第一校舎の三階。
この階層にある、全部で九つの教室のうち、右から数えて四番目。
この教室のすぐ後ろには、渡り廊下がある。
外から見たところ、どうやら反対側にも渡り廊下がある。
渡り廊下は、二階と三階に通っており、一階はその下を、四階はその上を通れるようになっているようだ。
「ちょっとみんなに話してきます。少し待っててくださいね」
先生はそう言って、先に教室へ入って行ってしまった。
教室の中からは、たくさんの声が聞こえてくる。
「お前、このクラスだったんだな」とか「宿題終わったか?」とか。
特に聞こうとも思わないので、今の俺にはガヤガヤした音だけが壁越しに伝わってくる。
隣に立っている男は、何もしゃべらない。
だが、緊張しているようではない。
早くこの教室に入りたくて仕方がないと言わんばかりにうずうずしている。
見えるはずのない教室内を、すりガラス越しにのぞき込もうとしている。
そんなにいろんな角度から見ようとしても、すりガラスの向こうは見えないよ。
というより、なんでこんなにワクワクしているんだこいつは。
やっぱり新しいことには、誰でもワクワクするのだろうか。
分からんな。
俺は今、緊張で倒れそうだ。
不安で不安で仕方ない。
心臓の動きが早まっている。
早すぎて心臓が爆発しそうだ。
そもそも、人と接するのが苦手なんだ。
大人数の前で紹介されるなんて論外だ。
軽く紹介された後、自分での自己紹介もあるだろう。
まともに自己紹介なんてできる気がしない。
足の震えを全力で抑えている。
隣の男は期待で足を動かしている。それに対し俺は不安で足が動いている。
なんか負けた気がする。
いや、別に争ってるわけではないんだけどさ。
彼は、学校の楽しみ方が上手いようだ。
教えてほしいな。
こうして、すりガラスの向こうをのぞき込もうとしている彼を見ていると、なんだか俺も中を見たくなってくる。
中の様子はどんな感じだろう。
今は、さっきまで聞こえていた、教室内からの騒がしい音は聞こえてこない。
先生が教室に入ってから少しして、静かになった。
連絡事項などを伝えているようだ。
と、先生の話をしっかりと聞いているはずの教室が、急に騒がしくなった。
話が終わったのか?
すると教室の扉が開く。
その開いた扉からは、先生がヒョッコリと顔をのぞかせ、手招きをしてくる。
こっちに来いというわけだ。
隣の男は、ようやくこの時が来たと歩き出す。
俺は、とうとうこの時が来てしまったと歩き出す。
二人の表情が違いすぎるせいか、先生は軽く苦笑いして、教室へと戻っていく。
男もその先生に続いて教室に入る。
俺もそれに続くが、教室に入る前に一度深呼吸をする。
大きく吸って、その息をそのまま吐き出す。
教室に入る。
騒がしかった教室は、少し静かになった。
主に男子が。
「なんだ女子じゃないのか~」みたいな、残念そうな声が聞こえてくる。
期待するのは自由だけど、口に出して悲しまないでほしい。
なんか申し訳なくなるじゃないか。
俺は悪くないぞ。
勝手に期待した君たちが悪いんだぞ。
「ちょっと、男子ぃ~!」とか言いたくなる。
まぁ、言いたくなるだけで言うことはないのだが。
「それでは、自己紹介をお願いします」
先生がそう言った途端、クラス全員の視線が転入生二人に向けられた。
自己紹介なんて、長らくしていない。
何を言おう。
こういう展開は予想していたはずなのに、いざその時になると何を言っていいのか分からない。
こういう場では、できるだけ印象に残る自己紹介をした方がいい。
そんな気がする。
そうしないと、充実した学校生活がしにくくなると直感的に思う。
ここが。
この一時が、運命の分かれ道だ。
学校生活最初の分岐点だ。
俺が何を言うか悩んでいると、俺じゃない転入生が自己紹介を始めた。
彼が喋りだしたのを見て、先生は「あっ」と思い出したように動き出す。
チョークを取って黒板に何かを書き始めた。
自己紹介中の男の後ろに、漢字を書いていく。
「佐」と書いた下に、「々」と書く。
きっと、その下には「木」と書くだろう。
ほらね、書いた。
最終的には「佐々木翔琉」と書いた。
予想どうりだ。
俺の名前を、漢字で黒板に書いてくれるのはありがたい。
ありがたいのだが。
そこに書くと、そいつが「佐々木翔琉」みたいじゃないか。
「佐々木翔琉」はこの俺だ。
俺こそが「佐々木翔琉」だ。
あっ、もしかするとこいつも「佐々木翔琉」なのか?
その可能性も、無くはない。
少し様子を見てみよう。
すると先生は、俺の後ろに知らない人名を書き始めた。
このままにしていていいのだろうか。
いや、いけない。
このままだと、あいつが俺で俺があいつだと覚えられてしまう。
俺は「あの......」と、小声で声をかける。
この先生は天然なのだろうか。
彼女は「なんですか」と言いつつ、キョトン顔で振り向く。
俺が名前が逆に書かれていることを伝えると、彼女は慌てて名前を消した。
無かったことにした。
そしてその後、慎重に書き直していた。
「まぁ、そんなわけで、
これからよろしくお願いします」
隣の男が自己紹介を終えた。
随分と長い自己紹介だったな。
まぁ、俺はそのほとんどを聞いていないが......
というわけで、次は俺の番というわけだが。
何を言うのか全く考えていない。
ドジっ子栗色くせっ毛先生のせいで、それどころでは無かった。
苦手な会話の内容を、事前に考えることができなかった。
あぁ、どうしようかな。
俺の番になったことで、クラスのほぼ全ての視線が俺に集まる。
やめて、そんなにあたしを見ないで!
ていうか、なんで俺の前にあんなにいい自己紹介するの?お隣さん?
俺はそんなに聞いていなかったが、クラスからは大きな拍手が巻き起こっていた。
きっと、きっといい自己紹介ができたのだろう。
その社交性、分けてくれませんか?
こいつはどんな自己紹介をするんだ、と、期待の眼差しを向けてくる。
視線という銃弾に貫かれそうだ。
もう、すでに風穴があいているんじゃないか。
そう思えるほどに、視線が痛い。
人からの視線って、苦手なんだよなぁ。
もう、視線に耐えられない。
何か言わないと。
「さ、佐々木翔琉です......
えっと......
よろしくお願いします」
クラスの大半が「えっ、それだけ?」みたいな顔で俺を見てくる。
それ以外の人は、「やっぱり、こいつは無理だと思ってたよ」みたいな呆れ顔をしている。
いやいや、勝手に期待したのは君たちですよ。
残念そうな顔しないでほしい。
俺が自己紹介を終えて、少し間があった。
徐々に、控えめな拍手が、まばらに聞こえだす。
「しなきゃいけないんだろ?」みたいな拍手が。
「そういう雰囲気なんだろ?」みたいな拍手が。
失敗したなぁ......




