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砂の花  作者: 高千穂ゆずる
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落花流水に疾る 第2話

 午後を回っても気温は一向に上がる気配をみせなかった。

 どんよりと重く垂れ込めた雲は隙間なく天蓋を覆い、太陽の片鱗さえも拒んでいるように見えた。

 自宅三階にある、倉庫兼書庫から陳列用の古書を抱えて店へ戻ってきたレナは、自分のスマートホンが着信を知らせるライトを点滅させているのに気づいた。

 レナは積み上げられた古書で狭苦しい通路を横向きになって急いだ。

「待って待って、今出るから、ちょっと待って……って。もうっ、気が短いわね」

 本をカウンターへ置き、スマートホンに手を伸ばした途端に着信がぷつりと切れた。

「誰よ、このせっかち野郎」

 罵りながら手にしたスマートホンの液晶画面を見ると、ルイスの名前が表示されていた。

「用があればまたかけてくるでしょ」

 ルイスからの電話をさして気にも留めず、それでも次にかかってきた時に備えてスマートホンをエプロンのポケットへ放り込んだ。

 書庫から下ろしてきたばかりの古書を、見栄えがいいようにあれこれと並べ替えていると、

「こんにちは」

と声をかけられた。

 レナの手元にある本の注文客だった。

「お願いしていた撮影用の本なんですけど」

 おずおずと店内に入ってくる客に、レナが店の奥から声をかける。

「奥まで来てもらえる? 何冊か出してみたんだけど」

 女性客が狭い通路に積み上げられた本との接触に注意を図りながらやってくる。店内に軽やかなヒールの音が響いた。

「急にお願いしてごめんなさい。古書ならここが一番品揃えがいいって聞いたから、藁にもすがる思いで、あの……?」

 ツイードジャケットからすらりと伸びた細身のパンツ。明るい栗色の髪を無造作に結わえ、蝶のデザインのヘアクリップで留めている女性客を、レナはじっとみつめた。

「私の顔になにかついています?」

 薄褐色の双眼を瞬かせながら女性客が首を傾げた。

 レナは弾かれたように顔を逸して不躾にみつめたことを謝った。

 心臓がどくどくと音を立てて脈を打っている。その鼓動の激しさとは反対に安堵で胸を撫で下ろしてもいた。

 客はレナが用意した古書すべてを購入し、「次もまたよろしく」と満足そうに笑顔で帰っていった。

「違った」

 金髪でも青い瞳でもなかった。

 もしも、今来た客が被害者と同じ条件だったら自分はどうしただろう。ここへは来ない方がいいと警告しただろうか。

 レジに突っ伏してレナは浅い呼吸を繰り返した。頭に浮かんでいるのは殺された彼女たちの生前の姿だ。

顔なじみになれば商品の受け渡しだけではなく、世間話のひとつやふたつは交わすし、街中で出会えば挨拶もする。笑顔だって向ける。それらのせいで彼女たちは殺されてしまったのだろうか。

「あたしが声をかけたせいで? 笑いかけただけで人を殺したりできるもんなの? 商売していれば愛想笑いなんていくらでもするし、売り上げに繋がるんなら褒め言葉だって言うわよ。それが社交辞令だってことは向こうもわかってることだし。なんでこの程度で人を殺せんのよッ」

 犯人の気持ちが理解できないしわかりたくもなかった。

 殺人者はあくまで殺人者であって、そこにはひと欠片の同情も湧かない。

 彼女たちの遺族が店を訪れたこともあった。

 どんな本が好きだったのか、どの時代に惹かれていたのか――繋がれる部分が見つかるたびに涙を流す家族の姿はレナをどうしようもなく苦しめた。

 遺族が手にとった大切な家族との繋がりを本に託して贈ったりもしたが、レナの心がそれで静まることはなかった。

 自分のせいで殺されたのかもしれないと思うと、心臓を握りつぶされているように苦しい。

 憎むべき犯人は未だ捕まっていないし、おそらく容疑者も浮かんでいないのだろう。

 もし容疑者が誰だかわかっているのならルイスが知らせてくれるはずだ。

「そんなわけないか」

 自分の浅い考えにレナは呆れた。顔には乾いた笑いが張りついていた。

 クソが付くほど真面目な男が、職務上知り得た情報を部外者に漏らすはずがない。それが自分にとってかけがえのない相手に関わることなら尚更だろう。

 視界の端に、空調の風に揺れるヤマハッカの葉が映った。白いまだら模様が鮮やかで、微かに香るハッカの匂いが心を穏やかにしてくれる。

 レジの傍らに置かれたミニ観葉のヤマハッカの葉を、レナは爪で弾いた。

「やっぱり店は畳んだほうがいいのかな」

 どうして自分の周りで人が死ぬのか。

 レナは悔しさに唇を噛んだ。

 ここまで関わりのある人間が立て続けに殺されているのに、自分は無関係だなどと知らん顔はできない。

 だからといって犯人に心当たりがあるわけではないのも事実だ。それはルイスにもローランにも言っている。

 恨みを買っているのなら、なぜ無関係の人間を巻き込むのか。

 敵意や殺意が自分ではなく店の客に向けられたことが、レナは腹が立ったし悔しくて仕方なかった。

「あたしを殺した方が簡単に恨みを晴らせるのに、コイツ、本当に腹が立つ」

 ルイスは烈火のごとく怒るだろうが、最初に自分を殺して恨みを晴らしていれば彼女たちは死ななかったはずだ。

 長い溜息をレナは吐いた。

 周囲から浮き、疎まれていた養護施設時代の記憶がフラッシュバックのように蘇る。気を張っていなければ自分が壊れてしまうと、幼心にもわかっていた暗い時代の記憶だ。

「……まぁ、そんなこと言えるわけないけど。ルイスが真っ赤な顔で怒るところなんて想像するだけで怖いわ」

 恐ろしいと言っているわりに緩んだ表情になってしまうのは仕方がない。

 強面だの堅物で融通が利かないなど好きに言われているルイスだが、周囲が思っている強面ではないし、堅物なのは几帳面な性格の表れなのだ。

 融通については、場合によってはころりと方向転換してくれることだってある。

 愛されている実感をルイスから与えられて、以前のような自暴自棄に囚われることはなくなった。だから、ちらりとでも思ってしまった、

『自分を最初に殺してくれたら良かったのに』

 これは絶対にルイスの前で口にしてはいけないことだ。

 ルイスが怒るから? 悲しむから?

 違う。ルイスに見放されてしまうことが恐ろしいからだ。

 レナは深く息を吸い込んで気持ちを切り替えた。

「ストーカー、ねぇ。あたしみたいな毛色が違うヤツを好むなんて、よっぽどの変態なんじゃないの。あ、それを言っちゃうとルイスも変態ってことになるよね」

 けらけらとレナは肩を揺らして笑った。

 自分にそこまで執着心を抱いているような人間など会ったことがない。

「強いて言うならルイスかな。いやいや執着じゃなくて“一途”ね」

 店の客は確かに女性が多い。会社員、フリーランス、学生、主婦と客層は様々だが疑わしいと感じる人はいない。

 勘違いさせたり怒らせたりするような言動の覚えもない。そもそも顧客相手にプライベートな約束をするはずがない。

 レナは乱暴に髪を掻き回した。

「あたしにそんなつもりはなくても、向こうが勝手にそう受け取ったとしたらどうしようもないよ」

 そうとも限らない、とレナは顔をあげた。

「あたしが愛想を振りまいた。フリーのあたしが」

 恋人がいると誰が見てもわかるようにしておけば、彼女たちは狙われなかったとしたら罪は自分にある。

 真実は犯人がみつかるまでわからないが、レナはそう感じた。

 ふとベンジャミンの顔が浮かんだ。

 静に微笑む養父が差し出した小箱のことを思い出した。ボルドー色のビロードが貼り付けられた小さな宝箱だ。

『私の大切な子どもたち』

と書かれた小さなメッセージカードの下に隠れていたのは、2つの指輪だった。ゴールドとプラチナの指輪はレナとルイスそれぞれのサイズで新調されていた。

 プラチナの指輪は養父母の結婚指輪を溶かして作り直し、裏にはルイスの名前が刻印されている。ゴールドの指輪はベンジャミンが長年愛用していた懐中時計を溶かして作ったもので、裏の刻印はレナだ。

 ベンジャミンから渡されてからずいぶんと経つが、この指輪の存在をルイスは知らない。伝えるタイミングを逃したまま、ずるずると今に至っている。

 もしかすると今がそのタイミングなのかもしれない。あたしは確かにルイスを愛しているよという小さな主張を伝えるチャンスでもあるのだ。

「あたしの曖昧な態度がかなりルイスを不安にさせてるものね。あたしとしてはちゃんと目で伝えているつもりなんだけどな。わからないかなぁ、鈍感男め」

 愛情というものに苦手意識を持つレナは、当然、自分の中で育った恋愛感情も苦手だった。長い溜息を吐き、

「かといって事件が解決していないのに不謹慎よね。こういうことはちゃんと犯人が捕まって、それから指輪を」

 ぼそぼそと独り言を呟いていると、店のドアが乱暴に開けられた。

 蹴り破られたのではないかと思うほどの激しさで、レナは驚いた拍子にカウンターの角で脛を強かに打った。

「痛ッ。え、ルイス? どうしたの、なんか雰囲気が怖いんだけど」

 ルイスは通路に本が積み上げられていようがお構いなしに、肩をいからせて入ってきた。

 バサバサと床に落ちていく本を目で追いながら、レナがため息を吐く。

 普段のルイスなら本を雑に扱ったりしない。彼自身が本好きということもあるが、レナが大切にしているものはルイスも同じように扱うからだ。

 そのルイスの様子があきらかにおかしい。

「どうして電話に出ないんだ」

 息を切らしながらルイスは早口にまくし立てた。

「またかけてくると思ったし」

 放置したルイスの着信を思い出してレナが答える。

「こういう状況なんだから、電話には、とくに俺からの電話には必ず出てくれよ。レナになにかあったんじゃないかと思って、俺は、俺は……生きた心地がしなくて」

「おおげさねぇ。こういう状況ってなによ。なんか進展であったの?」

「それよりレナ。同じことを聞くが、本当に相手に思い当たる節はないのか? 差出人のない郵便物や贈り物、無言電話なんかもだ」

「ないわよ。あればとっくにアンタに言ってるってば。なんでそんなに焦ってんの」

「レナが気づいていないだけで、なにかに紛れているのかもしれない」

 そう言うなりルイスはレジカウンターの上や来客用のソファを動かして裏を探ってみたり、積まれた古書を乱暴に移動させて闇雲に探し始めた。

「ちょっと、なにやってんのよ。商品なんだから乱暴に扱わないでよ」

 ルイスの後をついて歩きながら、レナはぐちゃぐちゃに荒らされていく本を整理していく。

「最初の事件が起きる前に、店内の改修や修繕に業者を呼んだりしていないか」

「してない。ねぇ、なにを探してんの。あっ、ちょっと。その棚の本は値が張るものだから丁寧に扱ってよ。ルイス、ルイス!」

 高額で買い付けた本の陳列棚に手を差し込んだときは、さすがにレナの声もきつくなった。

 ルイスの肩を掴んで強引に振り向かせた。

「なにを探してるのか言ってよ。あたしが知ってるものならすぐに出せるし、わからなくても一緒に探せばみつかるかもしれないでしょ。こんな風に店の中を荒らされるなんて気分悪いんだけど」

「……うき。……ちょ……う、きだ」

「聞こえない。もっとはっきり言って」

「盗聴器だ」

 吐き捨てるように言ったルイスの顔を、レナは驚いた顔でみつめた。

 盗聴器を仕掛けられるほど重要な古書を買い付けただろうか。

 たまに考古学の調査に必要だとか言われて買い付けたものはあるが、高額取引ではなかったし、学生の間で資料としてかなり役立ったと聞かされた。それくらいしか思い浮かばない。

「なに言ってんのよ。そんな物がうちの店に仕掛けられてるわけないでしょ」

「それなら自宅か」

「話を聞いてる? ちゃんと説明してくれないとあたしにはさっぱり意味がわかんないんだけど」

 慌てて出ていこうとするルイスの腕を掴んで引き止めた。

「犯人のレナの行動を熟知しているように思えるんだ。肝心のレナはわからないとか覚えがないとか言ってまったくの役立たずだし。それなら犯人はどうやって情報を得ているのかを考えたら、盗聴の可能性が出てきたんだよ」

「とりあえず落ち着いて、ルイス」

 突飛なことを言い出すルイスを宥めてみたが、逆に腕を鷲掴まれた。

 有り得ない強さで握り締めてくるルイスの手の上へ、自分の手を重ねて撫でたがルイスは不満そうに眉を寄せた。

「落ち着けるわけがない。もうそんなことを言っていられる状況にないんだ。誰かもわからない相手に監視されて、周囲の人間を殺され続けていて、いつ、その矛先がレナに向けられるかわからないんだぞ。落ち着いてなんかいられるか」

 レナの手を跳ね除けてルイスは古書店を飛び出した。レナの急いで後を追った。

 外階段を駆け上がり、鍵を壊しかねない勢いで玄関ドアを開けたルイスは、部屋に入るなりそこら中を引っ掻き回した。

「もう、好きにしてよ」

 レナは手がつけられない状態になっているルイスの好きにさせることにした。今はなにを言っても聞く耳を持たないだろうから、それなら納得いくまで探させればいい。

「片付けないで帰ったらコロスからね」

 レナは踵を返してキッチンへ行くと、コーヒーの支度にかかった。


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