表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
砂の花  作者: 高千穂ゆずる
35/48

落花流水に疾る 第3話

 挽きたてのコーヒー豆と淹れたばかりのコーヒーの匂いでも嗅げば、妙な焦燥感など吹き飛んでしまうだろう。

カミルが焙煎してくれた豆で淹れたコーヒーは怪しげなサプリや薬なんかより効くのだ。

「とりあえずモノは壊さないでよぉ」

 派手な音を立てていたルイスの手が止まったらしく、部屋が急にしんと静まり返る。

「落ち着いた?」

 声をかけたが返事がない。

 なにか壊しでもして動揺しているのだろうか。

「まぁいいか」

 サーバーに落ちていく琥珀色の液体を眺めていたが、一向にルイスからの反応がない。

 いったいなにを壊したのか。考えるのが怖くなっていく。

 キッチンから覗き込むようにルイスが漁っていた寝室へ視線を向けると、開きっぱなしのワードローブの扉が見えた。

 あとはサーバーに落ちていくだけのコーヒーを放置して、レナは寝室へ向かった。

「懐かしいものを引っ張り出してるわね」

 ルイスの手にあるのはフード付きの子供用コートだった。

 矢車菊色の鮮やかな青色はすっかり落ちてくすんでしまったが、大切に着ていたので綻びはほとんどない。

 ルイスの足元にあるダンボールに視線を移すと、そこには懐かしいものばかりが収められていた。レナがベンジャミンに引き取られた頃のものだ。

「アンタの探しものってそれなの?」

 懐かしさにレナの頬が思わず緩んだ。

 段ボール箱から取り出した着古したデニムの膝にはりんごとクマのアップリケが縫いつけられている。

「父さんの書斎の机に、このコートを着たレナと父さんがいっしょに写っている写真が飾ってあった」

「そうなの?」

 施設から引き取られた頃に見た記憶はあるが、ルイスが生まれてからは家族写真ばかりを飾っていたはずだ。

「俺の知らないレナを父さんは知っている」

「なに当たり前のこと言ってんの。アンタは今さ、犯人の手がかりみたいなヤツを探してるんでしょ。それはちゃんとみつかったの?」

 ルイスの手からコートをひったくるように奪い、レナは自分が持っていたデニムといっしょに段ボール箱へ突っ込んだ。

「コーヒーを淹れたから、一息つこうか」

 棒のように突っ立ったままのルイスの腕を引っ張り、リビングへと連れていく。

「アデライドのこともそうだ。本当は彼女の為じゃなくて、父さんに会う為の口実じゃなかったのか。俺にバレた時の都合のいい言い訳にもなる」

「そういうのいい加減にして。捜査のこととかしつこく訊いたりしないから。とりあえず今はちょっと休もう、ね?」

 レナにとって可愛いく思える嫉妬でも、度が過ぎれば呆れてくる。

 ほらほらとルイスの背中を押しながらレナは小さくため息を吐いた。

「DVDでも観る?」

 テレビの電源を入れると、見覚えのある場所が画面いっぱいに映し出された。

 レナの横でルイスが息を飲んだ。

 レナの手から滑り落ちたリモコンが、ラグの上で鈍い音を立てた。さっきまでリモコンを掴んでいた左手が、震えながら握り込まれていく。

「レナ……これは、その」

「この店……カミルのとこでしょ? え? ちょっと意味わかんないんだけど。だってルイス、あたしんとこ来てから一言も言ってないよね」

 震え出す声。

「それは」

「客? あたしのとこみたいにカミルの店の客が殺されたの? あたしのとは別の事件の話よね」

 言い淀むルイスに縋るような視線を向けながらレナは訊いた。そうだと答えて欲しいと強く願いながら。

「違うよね。カミルじゃないよね。店の中で客同士がケンカしたとか、そういうヤツでしょ。うちの事件とは関係ないよね。カミルじゃないって言って、誰も死んでないって言ってよ、ルイス」

「……」

 なにも答えない代わりに視線を落としたルイスの仕草が答えだった。

 瞬間、レナの中で燻っていた感情に火が点いた。

「カミルはうちの客とは違うでしょ。アンタだって知ってるよね。カミルはあたしにとってもアンタにとっても大事な友人じゃないの。はっ! あたしんとこ来て最初に話すべきことがあったんじゃないの。こういう大事なことよ。あたし宛の不審な郵便物やら盗聴器やらを気にする前に、もっとほかに犯人に繋がるものを探しなさいよ。――ベンとのことを邪推する前にやることあるでしょうがッ」

「それがレナなんじゃないか! 繋がるものがレナしかいないんだ、レナしか。カミルはレナとかなり親しい。その彼が殺されてしまったんだ。レナの店の客が標的ではなく、レナに関わる人すべてが被害者になり得るってことなんだ。平静でいられるわけないだろ」

 あまり本音を見せないレナが激しく感情をぶちまけたことで、ルイスは冷静さを取り戻した。

 事件のことと父親のことは関係ないのだ。

 カミルが殺されたことで、レナが衝撃を受けるのは当然だった。気遣わなければいけなかったのに、とルイスは後悔の念でいっぱいだった。

 確かに、まだ心の奥では感情が暴れている。レナの大切な存在が次々に奪われていくとしたら、レナの心はどうなるのか。

 ルイスはレナの顔をまともに見られず視線を床へ落とした。

 リビングには淡々と事件を報道していくニュースキャスターの抑揚の少ない声だけが響く。

「ごめん。あたしも感情的になり過ぎてた。いろいろ調べることもルイスの仕事なのに、責めるとかバカなことした」

 泣き声のような裏返った声でレナが謝った。

「違う。悪いのは俺の方だ。俺の口からカミルの件は話しておくべきだったんだ。それなのに犯人がレナの個人的な人間関係まで知り尽くしているのかもしれないと思ったら、怖ろしくて気持ちが先走った。ちゃんと話す」

 ニュース番組から情報を得るよりも、自分の口から説明した方がいいとルイスはテレビのスイッチを切った。

 頭がすっかり冷えて落ち着きを取り戻したルイスは、レナの代わりにキッチンからコーヒーを運んできた。

 腰が抜けたように、すとんとソファへ座り込んだレナの前にカップを差し出す。

「俺を気遣う必要はない。レナが言ったように、カミルは俺たち二人の大切な友人だから悲しんでいいんだし、そうすべきなんだ。それなのに俺は、事件とは少しも関係のないことでレナを責めるなんて、どうしようもない人間だな」

「あたしはルイスのおねえちゃんでもあるから、あたしの方こそもっと気遣うべきだった」

 カップの中で揺れる濃い飴色の液体を、レナはじっとみつめた。

「今、俺の目の前にいるのは義姉さんじゃない。恋人だから。友人を亡くして悲しみに暮れている大切なひとだから」

 ゆっくりと顔をあげるレナの夕焼け色の瞳が、細かく揺れながら細められていく。

 歯を食いしばり、込み上げてくる嗚咽を喉の奥で必死に抑えているのが傍目にもわかった。

「レナ」

 言葉をかけるルイスの声に、義弟の影はまったくなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ