唯識論的世界の再解釈による価値観の再定義の否定、及び自己発露と新世界への目標提示
俺はソファーに座り、リーカがシャワーから出てくるのを待っていた。
この世界に来てから初めて浴びたシャワーだった。無論、そもそもこの世界に存在してはいけない設備ではあり、湿度の低い地中海的気候をしているコンスティナ帝国ではシャワーを浴びる必要性はないのかもしれない。だが、それでも幾分かは気持ちが晴れやかになり、リフレッシュしたといったところだ。
「ジュンキさん、身体綺麗にしてきました!!」
「そうか……っておい!?」
脱衣所のある方から、微かにリーカの肌色が見えた。慌てて目を伏せて、彼女を手で制す。
「まさか、何も着てないのか?」
「あっ……忘れてましたっ」
「頼む。着替えてから出てくれ……」
「はいっ!!」
彼女は元気よく返事して、恐らくだが脱衣所の方に戻っていった。ほっと息を吐いて、心を整えなおそうとする。
「全く、調子狂うな……」
俺は、まだあのインチキ女神からのメッセージ「この部屋は二人がふか~く愛し合うまで出られない部屋です」という言葉を、彼女に伝えることができずにいた。このふざけた言葉を彼女に伝えるのも気恥ずかしいし、なにより二人きりの部屋で男女二人愛し合えと言われれば、多少なりとも意識してしまうのは仕方がないことではあった。
しかし、リーカに対して「そういった感情」を持つこと自体、俺には間違っていることのように思えた。彼女に好意を持っていない訳ではないし、彼女も俺に好意を寄せていることはある程度察している。一方で、互いに男女交際の無い人間の「好意」など、結局のところ単純接触効果によるものでしかなく、リーカに関していえば、まるで俺が社会的な弱者の隙に付き込んで惚れさせたように思えて、客観的に見て気持ちの悪い人間だと思ってしまうのだ。
さらに言えば、リーカは年齢こそ俺より年上の大人だが、見た目に関していえば自分より十歳ほど下に見えないこともないほど若く見え、性格的にもあまりにも俺に対し従順で、意思決定能力にも不安がある。率直に言って、彼女に「手を出す」のは卑怯者のやることだった。
「しかし、どうする。このままでは埒があかないぞ……」
部屋は完全に施錠されていた。内にも外にも鍵はなく、かといって監視カメラ等がある訳でもない。唯一残された可能性は人間より上位の存在が別次元から監視し、俺たちを「見守っている」ということくらいだろう。
「お待たせしましたっ♪」
「……今度はちゃんと服着てるんだろうな」
「もちろんですっ」
目を開けると、そこには薄着を着たリーカが立っていた。シャワーの熱気を纏い、濡れた髪から大粒の雫が床に滴り落ちている。血色の良い肌に付着した水滴からは微かに石鹸の香りが漂っており、力の無さそうに見える細い身体のラインが、キャミソール越しにくっきりと映る。普段とは違った雰囲気を纏う彼女を見て胸が締め付けられるような感覚に襲われるが、言われた通りに服を着てきたのに、これ以上何かを指摘するのは心苦しかった。
「髪が濡れたままだ……こっちに来てくれ。拭いてやる」
「はいっ!!」
俺はリーカに隣に座ってくれという意味でその言葉を発したのだが、何を思ってか彼女は俺の膝の上に乗っかって来た。このままではこちらの服も濡れてしまうので、即刻彼女をどかさなければならなかった。
「……どうかしましたか?」
「いや、なんでもない。……拭くぞ」
俺は、何も言わなかった。何故だか分からないが、結局、膝上の彼女をどかせずに、そのまま髪を拭き始めた。女性の髪にしてはそこまで長い方ではない髪だから、そこまでの時間を要せずに事を終えることができると思ったのだが───。
「……ッ」
「……?」
たった数分のことだとしても、一度意識してしまえば数十分でも数時間でも、時間が引き延ばされたような感覚に陥ることがある。その身体の温かさ、不快に感じない体臭、鷲掴みできそうな小さな頭、内臓が詰まってるのか疑問に思うほど細い腰、意外とくせ毛の一つもない柔らかい髪の毛、へし折れそうなほど細い首、うなじから特徴的ななで肩を伝う一滴の汗───何もかもが示唆的に映り、妙な高揚感をもたらした。
「なんか、ジュンキさんヘンじゃないですか……?」
「そんなことはない……はずだ。髪、拭き終わったぞ」
「ありがとうございますっ♪」
嬉しそうにはしゃぐ彼女の姿を見て、ある疑問が浮かぶ。
「そんな服、どこにあったんだ……?」
「しゃわー? をした後に着替えようとしたら元の服が見当たらなくて……その代わりに薄くて涼しそうな服がたくさん置いてました」
「……確認しよう」
俺は脱衣所を確認する。確かに元々あった服はなく……洗濯機の中に入っていたのだ。そして、洗濯カゴの中にはリーカのサイズに合うような、様々な服が入っていた。
「……なるほど。あの女神、やはりこちらを監視しているようだ。他にも数十着、リーカが選んだのはマトモな部類の服のようだな。……こんな透けてる破廉恥な布は服とも呼べないだろ、ふざけやがって」
「私の服、ありましたか……?」
「あぁ、どうやらあの女神が俺たちの代わりに洗ってくれているようだ」
「ヴェリオッタ様が!?」
「といっても、俺が元居た世界にある機械を使ってるようだがな」
「も、元の世界……?」
俺はこの部屋にある物が、全て俺が元々居た世界の、現代文明によってもたらされたものだと教えた。ついでに女神ヴェリオッタがその世界を元にしてこのアナザーワールドを創造したことも伝えた。
「えっ、えっ……えっ!?」
「しまった。『ついで』の情報が重すぎたか?」
「こんな……なんでもある世界からジュンキさんは来たんですか!?」
「なんでもはないな。多少科学や技術が発展しているというだけだ。この世界の文明水準もそこまで悪いものではなかったから、数百年もあればこれくらい自力で作れるようになってるかもな」
リーカは、未知の装置に手を触れる。それは左右に振動し、中で彼女の服を高速で回転させていた。
「凄い。私たちの【ケガレ】みたい……」
「そうだな。なんなら、グランペの能力の一部は、やがて科学文明の利便性に取って代わられるものもあるかもしれない。そうなれば君たちを恐れる人間も居なくなる可能性も捨てきれない。……だがそれ以前に迫害や隔たりを無くさなければ、そんな未来が来ようともグランペと他の人間の間にはわだかまりが残ることになる。別の世界でまで、俺は歴史を繰り替えさせたくない」
これは俺のエゴだ。ただの思想だ。彼女に語るべきものではないのかもしれない。だが、不思議と言葉が溢れてくる。
「ジュンキさんの世界にもグランペは居たんですか?」
「居ないな。だからリーカの力には驚かされた。……だが、仮にグランペのように特殊な力を持っていなかったとしても、人間は何らかの理由付けをして、罪のない人間を『穢れ』扱いして遠ざけたり、不当な扱いを行うものだ」
「普通の人間を、ですか?」
普通の人間───俺にとっては、そんなもの存在しないと同義だ。
「まず、『普通の人間』という存在は、常に再定義され続ける物なんだ。……分かりにくいか、例えば君たちグランペはこの世界では『普通の人間』ではないし、それをリーカも当たり前のことだと思っているだろ?」
「当たり前じゃないんですか……?」
当たり前、常識───無意識化に刷り込まれた倫理は、正しさの担保にはならない。
「その、『当たり前』を決めるのが『価値観』だ。人間の価値観は時代の移ろいと共に変化し、その価値観によって『普通の人間』と『そうでない人間』を区別するようになる。今俺たちが居るこの世界のこの時間では、グランペが『そうでない人間』に分類されているだけで、将来的にどちらに分類されるようになるかはまだ分からない、というのが俺の考えだ」
「そんなこと、あり得るんですか?」
それが世界の真理に反していても、俺は言い切る。
「あり得る。いや、むしろそうでなくてはならないと思っている。例えば、俺が居た世界で───俺が産まれるより少し前までの話だ。男同士で恋をしたり、女同士で恋をするような人間は『普通の人間』ではなく、今のグランペのように『穢れ』扱いされて、迫害されてきた」
「ジュンキさんの産まれた後は、違うんですか?」
宗教的な禁忌、性感染症の流行、悪質な流言飛語の応酬、様々な理由で迫害され、正当化された人権の侵害が行われた。長い闘いの中で権利を勝ち取った彼らは、現代的価値観で守られる存在となった。
「あぁ。彼らは『普通の人間』として認められ、むしろ同性愛を理由に迫害することや、非難することは許されないという価値観に『変わった』。さらに、過剰なまでに新たな価値観を守ろうという運動も起き、それに反発し、過剰な古い価値観を守る連中も現れた」
「それは……良いことなんですか?」
歴史の流れに善悪はない。時が流れる以上、どこかで必ず争いは発生する。彼らのどちらかが正しいかも、俺が決めることではない。だが、一つだけ……俺には唯一、譲れない思想があった。
「善悪は、俺が決めることじゃない。ただ、俺はこうも思うんだ。……そもそも、時代で変わる『普通の人間』の定義や、攻撃してもいい『そうでない人間』の定義といった価値観、それらを再定義する必要なんて元々ない。最初から全ての人間を普通の人間として扱えばいいんだ。どうせ、百年後や二百年後には考えなんて変わってるかもしれないんだからな」
「つまり、グランペも将来的に『普通の人間』になるかもしれないから、今の内に『普通の人間』としてみんなに認めさせよう、ということですか……?」
「そういうことだ。グランペにしろ、他の人間にしろ、普通じゃないなんて謂れを受ける人間は存在しない。世界を縛る価値観なんて、糞くらえだ!! たとえそれが必要悪だとしても、俺は許せない。俺は、俺が許せない全ての仕組みを否定する……!!」
俺はソファーから立ち上がり、叫ぶような声でそう言った。
どらごんずさよならまけしちゃった
かなしい




