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浜辺にて、出会う

 目を覚ますと、潮風の匂いが鼻腔を侵略した。次に、波音が聴覚を支配した。身体の支配権を海に奪われているな感覚に襲われたが、視覚が戻らなくとも砂浜に打ち上げられた自身の姿だけは鮮明に想像できた。


 少しずつ身体の輪郭を知覚していくと、失われた感覚が蘇っていった。すると、波に打ち消されていた世界の音が耳から脳へと流れ込んできた。


「───ですか……!? 大丈夫ですか……!?」


 どうやら倒れている俺を心配してくれた何者かが声をかけてくれているらしい。声色からして、その声は女性且つ恐らく未成年の、若々しい声だろう。……あまり長く心配をかけるべきではない、か。と指先に力を込め、何とか動かそうとする。


「……動いた!? い、意識はあるんですね……!!」


 よかった。どうやら少しは動けるようになったらしい。意を決して、肺に空気を送りこむイメージを膨らませる。実際に自身の呼吸の程度は分からないが、深呼吸すれば何とか身体が動くかもしれない。


「……はっ!!!」

「わぁっ!?」


 目を開ける。少女が尻もちをついたのが見える。……どうやら、いきなり大きな声を出してしまい、驚かせてしまったようだ。


「ごめん、大丈夫か?」


 俺は思わず少女に手を差し伸べた。その際、始めた彼女の見た目に気付いた。黒い髪は長い割に手入れはされておらず、枝毛が酷く目立っている。服装は厚い布一枚で、全体的に酷く汚れている。それも染みや布の解れだけでなく、単純に経年劣化してボロボロになっているようだった。その布をまるでワンピースのように着ている。一般的に「みすぼらしい」と形容されるような恰好であった。


「駄目です……!! 私に触っては……!!」

「あっ……ごめん、嫌だったよな。悪い」


 俺はこの世界が異世界であることを失念していた。例えば俺が元居た現実世界でも文化や宗教、風習などによって異性との接触が制限されることもあった。さらに、そもそも知らない男性の手をいきなり差し伸べること自体に忌避感があるのかもしれない。であるのに、この世界のことを何も知らない俺の取った行動は軽率すぎたのかもしれなかった。


「い、いえ……心配していただき、ありがとうございます!! ですが、私は見ての通り……【グランペ】ですので」

「グランペ……?」


 グランペ、聞き覚えの無い言葉が出てきた。この世界にしか存在しない被差別階級だろうか。まず情報収集をしなければ、今後の方針さえまとまらない。一先ず彼女に聞ける範囲のことは聞いておこう。


「ごめん、俺って実は記憶喪失でさ。自分の名前……ジュンキってことだけしか思い出せないんだ。もしかして、君って俺の知り合いだったりした……?」


 とりあえず、自然に記憶喪失でも装ってみた。彼女は目を見開き、驚いた様子を見せる。


「き、記憶喪失!? そ、それにグランペの私が他者との関わり合いなんて……そんな恐れ多いことできませんよ!! だって、私、私たちは……【穢れ】ていますからっ……!!」


 穢れ、か……。思えば元居た現実世界でも同じ概念が存在していた。動物の死体などを取り扱うような職業は「穢れ」として疎まれ、一部の家系や集落に受け継がれ、差別され続けるというものだ。このような差別は日本のみならず世界各地に存在していることから察するに、「穢れ」という概念は人類共通の認識だったのだろう。


 だが、俺は別にその「穢れ」とやらの概念が存在したこと自体を批判や、否定はしない。何故なら「仕方がない」部分があったからだ。細菌やウイルスが発見される近代まで、病気の原因は「瘴気」などに代表される「穢れ」にあると考えるのが一般だった時代、実際に疫病発症のリスクが高い職業を隔離するために……いわば、近世以前の社会システムを維持するためには必要な「差別」であったと、歴史を俯瞰してみれば評価できなくもないからだ。仮にその過去を現代的な価値観や倫理観から糾弾しようものなら、それは現代人の傲慢だ。


 しかし、心情的なこととなると話は別だ。目の前に居るこの子は、名も知らぬ誰か、というか、俺を心配してくれた。近づいただけで疎まれる可能性さえあるのに、他人を心配するなんて、俺にはできようもない。そんな少女がこの世界の「正しさ」によって、「穢れ」とされている。俺とは違って、澄んだ綺麗な心をしている彼女が穢れているはずなどない。


 これは客観的な事実でも、論理的思考でもない。ただの、俺の感情だ。───憤怒。やはり、この世界も俺にとっては「腐っている」……異世界から来たたった一人の人間がこの世界にジャッジを下すのは傲慢かもしれない。それでも俺は、不快なものを目の前から取り払う。そのために、彼女の手を取った。そして、尻もちをついていた彼女を引き起こして、向き合う。軽率な行為でも、これが俺の選択だ。


「えっ……!? そ、そんな、駄目ですっ……!!」

「もう一度自己紹介をしよう。俺はジュンキ……何も記憶がない。分からないから君が知っていることを全て教えて欲しい……君は?」

「はっ……はわっ……わ、私はリーカ……です。ケイリ、をしています」


 リーカは俺の言葉の勢いに圧されて、目をそらしながらも名前を教えてくれた。……それにしても経理……? 妙だ。事務や計算の仕事でもしているのか、それとも俺の聞き間違いか……?


「経理って言ったか……?」

「はいっ、普段は、罪人の、首を……跳ね飛ばしたりっ、していますっ」

「……へっ」


 その一言に度肝を抜かれた。そう、リーカは刑吏───つまり、死刑執行人だったのだ。確かに、刑吏は中世や近世のヨーロッパでは差別的扱いを受けていた職業だった。か弱そうな細い腕や心優しさから自然と選択肢から外していたが……ここは異世界だ、現実的にあり得ないという偏見は通用しない。先入観は命取りとなる。それを気付かされたという意味では、最初に彼女と出会ったのは幸運だったのかもしれない───これが加護なのか? ヴェリオッタめ……。


「あのっ、もう手を放していただけると……」

「あぁ、ごめん!!」

「へへっ♪ なんかジュンキさん。謝ってばかりですね。グランペ相手なのに……」


 慌てて手を放す。彼女の服装をよく観察すると、その分厚い布に付いた無数の茶色い染みが乾ききった返り血であることに気付いた。想像し難いが、どうやら事実と見るべきだろう。


「ところで、グランペってなんだ?」

「そういえばジュンキさんは記憶喪失でしたよね……私、初めて他人と普通に会話したので……すこし舞い上がってしまいました。では一から説明しますね───」


 リーカに適宜質問を投げつつ、彼女の説明に耳を傾けた。予想の範疇ではあったが、彼女はまともな教育を受けておらず、一部の社会構造の知識しかないようだった。得られた情報は以下の三点だけだった。


・この地はジャルヴァナ公国の領地だ

・人々はマグヌス教という宗教を信仰している。

・階級ごとに明確な序列はあるが、少なくともグランペと呼ばれる階級はほとんどの権利を有していない


 率直に言って、役立つ情報は無かった。公国というのであればその上位に王国や帝国があるかもしれないが、彼女は何も知らないらしい。宗教の教義もあやふやで、処刑の際の儀礼しか分からないらしい。さらに、階級の序列も不明慮で、グランペと呼ばれる階級の職業の種類も分からなかった。


「困ったな……」

「あの……良ければ、私の住んでいるところ……案内します。できれば……泊って欲しいです」


 渡りに船、とはこのことだ。俺は外の世界から来たイレギュラーである故に、当面の間の拠点さえ確保することがままならなかったからだ。だが、この世界で最底辺の扱いを受けているはずの彼女に俺を泊める余裕があるとは思えなかった。


「良いのか?」

「当たり前です!! ジュンキさんは記憶が無くて困ってるし……それに、初めての……こういうの、なんて言うんですか?」

「友達、とかか?」

「……はい!! 私の、人生初めての友達ですっ!! へへっ♪」


 リーカは目を細めて、特徴的な笑い声を上げる。その姿はあどけなく、まさしく可愛らしい少女のもので、刑吏や被差別階級であることを忘れさせた。

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