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貪食開始

 病院の階下を下りるほど硝煙臭さが増していく。


 柿種が今更拳銃一丁だけの心許なさを感じても、そこらに転がっている雑多な小火器には手を付けようとは思わなかった。


 整備が行き届いているかもわからない物に命を預けるのは気が引ける。それに、障害の排除は目的ではなく安全にここを抜けることだ。


(そうだ。見つからなければそれでいい)


 希望的観測が混じっているのは分かっている。まだどこが安全でどこが危険なのかすらわからないのに。


 遠くから銃声が鳴っているが、どうやら近くに人の気配はない。


 人の形をしたものは徐々に廊下に増えていくのだが……。


 仁美の声は震える。


「……これは私たちの」


「何もかも自分のせいにしない方がいい」


 言い切る前に言葉を挟む柿種も歯切れが悪い。


「他人からの圧迫は一瞬だが、自分は永遠に一緒だ」


「それでも」


「今は歩け」


 一階にたどり着けば集団で走り去る音や、さく裂音が響き渡り戦闘がまだ終わらないことを周囲に知らせていた。


 その中を慎重かつ大胆に進みながら、何回目かもわからない集団の足音が近づいていくのを聞いては、机や物陰に身を潜めてやり過ごす。今度は武装した男の死体が横たわっていたが構わずその隣に座り込む。


 必死の息遣いでバタバタと乱雑な足音を立てて無警戒な全力疾走していく集団が通り過ぎた。敵がどこにいるかもわからない状況であんな移動しているのだから、彼らの命運ももうすぐそこだろう。


(あんな素人共が……)


「行こう」


 周囲の音を探りながら柿種が一歩踏み出した瞬間だった。金属音と共に柿種の足先から丸い何かが飛び出して壁に当たる。柿種が眼下の男の死体を見ると男の右人差し指にはピンがひっかけられていた。


 すぐさま仁美を押し倒しながら身を伏せたが、グレネード弾の破片と熱は容赦なく効果範囲に拡散した。


 ―――


 エラハムは双眼鏡で中央病院を見ながらインカムの通信を開く。


「どうだ? 鋼埼のおもちゃはちゃんと動いているか」


『ええ。でも、あなたは医者じゃなかったの?』


 通信先のユリアスは淡々としていた。


「医者さ。ただ生物と武器の工学が趣味のな」


『普通はいない』


 そうかそうかと半笑いでエラハムは答えた。


「元居た場所が普通じゃないのさ。そんなこと言ったら鋼先の坊やはハードや人口知能に強かったが、生体CPUのソフトウェア専門だ。生物工学の点では点で素人のはずだ」


『居たのね。あそこに』


「ああ、ただ2番とは接点は少なかったが。専ら兄貴の方だったからな」


『どれだけすごかったの。彼は?』


「すごいと言うか。通り越して酷いな」


『どういうこと?』


「聞いて驚くなよ。あいつは食うんだよ。人を、文字通り。そのまま吸収しては、構成する物質を体を変形させるパーツに使って人間ではあり得ないことをやって見せた」


 話題が話題なのかエラハムの口調が早くなろうとしたときに通信先から男の声が聞こえる。


『おい。やめてくれよ』


 3番が嫌そうに止めに入る。


「そういや君はそうだったな」


『もうすぐ狙撃地点に入る』


 ぶっきらぼうに3番が言うともう一人通信に参加する。


『近衛だ。目標は杉奈良医師の確保だが、他に留意することはあるのか?』


「柿種余里がいるかもしれない。彼が居た場合は救出すること。後は守れる命は守ってほしい。それだけだ」


『裏付けはあるのか?』


「ない。ただ一つ柿種の身柄引き渡しの放送があった直後にあれだけのドンパチだ。状況によって推測するしかない」


『不確実にもほどがある』


「無茶言うな。規模なんて難民レジスタンス以下なんだぞ。まるで同好会だ」


『分かった。まず杉奈良氏を救出する。A班とB班の配置はこちらが指揮する』


 エラハムが通信を終えて中央病院に向ける双眼鏡の倍率をあげる。二両の車が高速で走っていくのが見えた。


 自然とため息が出る。エラハムの頭に浮かんだ既に失われた幻想がよみがえって消える。


「二鏡『部長』。あんたが死んでからここはもう滅茶苦茶だ」


 ―――


「やめなさい!」


 柿種がふと目を覚ますと仁美の怒声が聞こえる。


(よく聞こえないな……)


 目を開けてみると右側の視界が黒く塗りつぶされたように暗く、同時に右耳もだいぶ遠いように思えた。


 柿種は今。床に仰向けに寝ており、仁美の両足が顔の左右に踏み込まれている。


(パンツだ)


 仁美の丸見えの下着を見て何気なく見えた者に感想をつぶやく。


 ふと我に返る。首を起こすと武装した男たちが銃口や指を向け、仁美は拳銃で威嚇していた。


「柿種余里だ。間違いねぇ。映像で見たよりひでぇありさまだが」


「近づくなと言っているんです!」


 仁美の威嚇にも全く動揺せずに男たちの一人が一歩踏みしめる。


(あぁやべえな)


 体を起こそうとしても力が入らずに動けない。不思議な感覚で今までできたことが出来なくなったかのような。自分の体のことすら確認できない。


 ……


 柿種が蹴とばしてしまったグレネードによって負傷し、仁美も破片で小さな傷を負ってはいたが、黒煙の次に現れた武装した集団はお構いなく踏み込んでくる。


 この状況に仁美は本能的にあの時の事を思い出させた。


 自分の判断で自警団に投降した日。あの後部下がみんなどうなってしまったのか。


 だが、状況はあの時と同じだ。ここで抵抗しても望みはない。一発撃てば応射されて死ぬ。


「抵抗するんじゃねえぞ。あんただって死にたくないだろ」


 命がけの場所で興奮しながら極めて冷静な男達。遊んで暮らせる人生の『鍵』を前にしてはいるが、それだけではないことを男たちの視線から読み取れた。


「そんなあぶないものなんておろせよ。なぁ」


 男の一人が歩み寄って仁美を落ち着かせようとするが、この状況でも嬉しそうな顔だ。


「あんた綺麗な顔してんな」


 拳銃を下ろさせて仁美の右腕を掴むと男はさわやかとは言えない笑みを浮かべる。


「だいたい片付いたからよ。ちょっとしたボーナスってところだ」


「……」


 無抵抗のまま仁美が引っ張られ踏み出そうとした時。


「ま、待って」


 仁美の左腕を引っ張るアギが苦しそうな顔で訴えた。


「もうどこにもいかないって言ったじゃないか」


 泣きじゃくりながら仁美を更に強く掴むと男も仁美も一歩引かれてしまう。


「ちっ。邪魔すんな、よ!」


 男は持っていた小銃の銃底でアギの顔を殴りつけるとアギは後ろに転がってしまう。おれた歯が何本か床に散らばるのが見えた。


「アギ!」


「手間かけさせんなよ」


 腹を殴打された仁美が倒れこんだ。


「俺が最初にひっつかんだから一番だよな」


 嬉しそうにする男が仲間の方に向き直る。


 仕方がないと思う者。


 抗議しようと思う者。


 臆病に周囲を警戒する者。


 その中に小柄な男が柿種の方が大事だと男の脇を通り過ぎる。


「さっさと済ませろよ」


「じゃあ俺は口の方を」


 思い思い欲望を口にし始めた男たち。


「お、おい!」


 それに冷や水を浴びせるように周囲を見ていた一人がアギを指さした。皆が一斉に振り向く中で柿種を抱えようとする小柄の男は気が付けない。


 その男はアギの一番近くに居た。


「あん?」


 黙ってしまった仲間の様子を察して柿種から視線を外して顔をあげる。


 暗闇が近づいていくように見えただろう。脳天から鼻の中央までを、アギの一口で噛み千切られ小柄の男の意識は消滅する。


「なっ」


 死体が倒れこむとその顔を仁美は見てしまう。耳の下まで口が裂け人間では到底不可能なほど口が開かれたアギの顔。


 血にまみれいくつもの破片が付着してもかまわず咀嚼する。頬がないためボロボロと血と体液が滴り落ちる。


 のどが躍動し。唾液が溢れる。


 手足が不自然にうごめいて盛り上がり強靭な筋肉を形成する。怒りに満ち、見開いた目は男たちに向いていた。


 大きな腹の音が食事の合図となった。


 目の前に並ぶごちそうにアギの口角は限界まで上がり、先ほど殴られおれた歯がより鋭いモノに生え変わった……。


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