早すぎた始まり
放送から5時間後に病院は地獄となった。
院内にいるのは病人やけが人だけではない。先日の大火で家を失った人々の多くがここを拠点に生活をしていた。
自前で住居を整備する者達もいるが、そういう者たちはハン・ミングの反乱後に半ば犯罪結社と化した自警団に抱えられている。金や物資。彼らを「満足させるサービス」を提供すれば頼めないことはないが、それも出来ない弱者が寄り添っていた。
イヌモが崩壊してからも抗争の不可侵地帯である習慣がここの平穏の助けにはなった。
しかし。
『難民区に逃亡した柿種余里の引き渡せば、一生遊んで暮らせる』
その知らせを聞いた自警団の幹部やはぐれ者が一斉にここに集い始めたのだ。
物々しい雰囲気は院内の緊迫感を熟成し、顔を何かで隠すものは容赦なく剥がされ失望の八つ当たりの餌食になった。次第にはぐれ者たちが本丸から外れてつまみ食いをし始める。
爆発したのはそれぞれ所属が別の二人の自警団の男が、一人の女の取り合いになったときである。
激しい口論と罵倒。そして銃声。
仲間が殺され猛り狂う者達はお構いなしに自分の仲間以外の者を殺傷し、流れ弾が別の集団に襲い掛かる。
連鎖反応はゆっくりと広がって、自分と仲間以外は問答無用で敵として抹殺する悲惨な戦闘へと発展していた。
……
階下の杉奈良から惨状を伝えられた柿種は病室の中で仁美と向かい合っていた。
「自警団共が暴れまわっている。いつここにきてもおかしくないそうだ」
「そんな!私たちの居場所が相手に悟られて……」
「可能性はなくはないが、消去法でいけばここに目をつけられてもおかしくはない。脱出も危険だが、ここにいれば袋小路だ」
拳銃を取り出した柿種。仁美は少しためらうも寝ているアギを起こしはじめる。
階段踊り場に設置された電子掲示板を地図に切り替え、ルートや部屋を確認する。いつでも襲撃されてもいいように柿種は頭に叩き込んではいるが再確認を行う。
そんな彼の後ろからアギの鳴き声が響いた。
「やだやだ!もうどこにも行きたくないの!」
「ダメよ。ここは危ない場所に……」
「仁美さんもどこかにいっちゃうの? みんなみたいに!?」
「どこにもいかないから。ずっとそばにいるから」
「みんなそう言ったよ!それからみんないなくなるんだ!」
柿種が戻ると泣きながらわめいているアギを落ち着かせようとする仁美が居た。
「柿種さん……」
助けを求めるように顔を向ける仁美に構わず、柿種はアギの前に歩み寄りながら、ポケットから取り出した青い小さなゴム質のボールに漏斗状の噴出口がついた物。
驚いた仁美は反射的に自分の手で鼻と口を抑えた。
「柿種さん?」
問答無用でボールを握り噴出口から出てくる青い煙をアギの顔にかける。
「ぐぼぉ。げへ」
変なせき込みをしながら床に崩れるアギ。苦しそうにせき込み泣きわめきながら転げまわる。
「何をしてるんですか!ひどい!」
「ここで死ぬよりはマシだろ!」
柿種の怒声に気おされた仁美。鎮圧ガスによって呼吸を阻害され、前後不覚に陥ったアギが気絶するまで5分程かかった。
「いこう……」
意識のないアギを背負った仁美の視線はひどく冷たい。それでも柿種は階段を下りていくしかない。エレベーターではもしもの時に逃げ場がない。
「……」
振り返る柿種。仁美はしっかりとついてはきている。懸念事はそれではない。
(突然起きだしたりしないよな?)
先ほど使った鎮圧ガス。麻酔、一時的な呼吸困難、平衡感覚の喪失などこれでもかと効能を詰め込んだ前体制でよく使用された遺物。
これを吸えばたちまち大の大人も一分も持たずに意識を失ってしまう。
「……」
前体制では機構員ではなかった仁美からすれば違和感も何もないのだが、柿種からすればアギの気絶するまでの時間は掛かりすぎであると不安にさせた。
(遺伝か?)
もしかすればアギ自身や親がガスの浴びすぎで耐性がついたのかもしれない。ともすればここを脱出するまではアギの体内の薬には時間を稼いでほしい。
柿種はそのリスクにも怯えながら銃声が未だに響く階下へと降りていく。
沈黙を保っているが仁美も柿種の行動には憤慨しても、今の状況ではどうしようもないことは分かっている。
(冷静になれ)
ともかく柿種を責めるのは後でも出来るだろう。そんなこと考えていると自身の背中が暑いことに気が付き、振り返ると眠るアギ。そして、段々と体温が温かくなっていく。
(えっなんなの?)
困惑する仁美も柿種のハンドサインが目に入りすぐさま目の前の現実に引き戻されてしまう。
……
中央病院付近のエリア付近にぼろ布を被った女がつぶやく。
「駆けつけてみれば。もう始まったか……」
つぶやきと共に脳波で男が語り掛ける。
『先行してくれ。あとでおいつく』
「了解。でも無理はするなよ」
勢いよくぼろ布が飛び上がると紫電の残滓がその場の空間に取り残された。




