逃亡者
事件発生直後に潜伏している警察機構の工作員達によって難民区の全ての橋が落とされ、モビルマテリアルが運搬可能な巨大輸送システムもすべて破壊された。もちろん柿種の指示によって確認されている全ての地下へと通じる通路も破壊された。
「突発的反乱時の輸送手段破壊活動」に則ったものだが、本来難民区で発生した軍勢があらゆる輸送手段で邦人区に入り込もうとするのを阻止するものだった。
想定されたシチュエーションとは逆に、邦人区で発生した脅威を封じ込めるために工作を行うのは皮肉と考えた工作員も少なくはなかった。
……
難民区 中央病院最上階の個室病棟。
邦人が運ばれた際に使うために用意されたものだが、難民区の中央にあり、邦人が集中する岸近くにも小さいが施設が整ったクリニックがあるため非常時でない今は誰も使う人はいない。
その中で柿種と二鏡は海外のニュースを読み漁り、今のイヌモの現状が一切メディアに流されていないことを知った。
諦めてタブレットの電源を切る柿種。
「今日もか」
中国、米国、双方も今のイヌモの現状を報道することはない。ミングの反乱以降出された渡航制限や危険地域指定によって外国人ジャーナリストのほとんどは退去させられ、非難する記事も出されてはいたが、現在では誰もこの事態を報じる民間人はいない。
それでも、両政府は衛星や偵察機でこのことを知らないはずはない。仁美は独り言のような感想をつぶやく。
「慎重になっているのでしょう。あれを相手にするのは難しいでしょうから」
モビルマテリアル。自由自在に姿かたちをその場で組み上げることが出来る鉄球の群体。それが今、明らかに人ではない何かの意思によって操られ人々を虐殺していると知れば、たちまち大国の軍隊が踏み込んで鎮圧されても仕方がない状況だ。
「まだ情報を統制している」
もし世界がそれを知れば例え自律的な戦闘機械だろうと人間の手足となっている「クライスアーリア」を超えた脅威として認識されてしまうだろう。
さらに言えば。どちらかが問題解決のために軍隊でも送り込めばもう一方を刺激し、友好関係が一気に険悪になる可能性もある。世界が混沌へと向かう中で大国間でこれ以上の問題は避けたい思惑も当然予測できる。
肩を落とす柿種。
「もしかすれば。もう一生このままなのかもな」
「柿種さん……」
「もう終わりだ」
守るべきものはすべて破壊された。すぐに頭を横に振る。既に守るべきものはなかった。3年前のあの日から。
重苦しい空気を読まずに突然ドアが開け放たれる。
「柿種さぁん。お昼だよぉ」
アギが3本の栄養スティックを抱えてやってきた。仁美はすぐテーブルと椅子を用意すると、アギはスティックをむいて柿種に手渡す。
「はい」
「ああ……ありがとう」
受け取った柿種を嬉しそうに眺めるアギを奇妙に思うが、そんなことも気にせずアギは手を合わせて祈りのポーズをとる。
アギと共にいる時のいつもの光景だ。いただきますではなく何かに言葉を届けているようだ。
「何に祈ってるの?」
仁美が聞くと恥ずかしそうにアギは口をつぐむ。
「ふふふ。誰にも言えないんだ」
楽しそうにスティックを頬張る仁美にアギもスティックにかぶりついた。何気なく柿種も口に入れると3人はしばし食事を舌で楽しむ。柿種は自分の食べたスティックの袋の成分表示をみた。
(こんな状態になると楽しみになるものだな)
そんなことを考えている一方。突然気になったことを仁美はアギに問いかけた。
「ねぇ。アギって歳はいくつなの?」
アギは左手を広げて仁美に向けた。
「5歳だよ!」
「え?」
仁美が目を見開いて驚き、柿種も顔を向けた。
「もう10歳ぐらいだと思ってた」
「すぐ大きくなるってグランマに褒められたんだ」
「へぇ……」
すぐさま仁美は難民の中には教育を受けておらず、大人になっても指の数以上を数えられない人もいることを思い出した。
そのまま食事をしている時にふいに扉に2回ノックがされてから杉奈良の姿が見えた。
「先生」
「すいません柿種さん。ちょっと」
招かれた柿種はすぐ杉奈良と共に廊下に消える。アギはスティックを食べ終えてからしばらくボーッとして眠りこけてしまう。
すぐさま仁美はアギを抱えてベッドへ寝かしつける。
その直後にアギの腹から大きな空腹の音が鳴り響く。
「……」
今の仁美にはアギの頭をなでる以外の事しか出来ない。
「せっかく決意を固めたのに」
遅すぎたのかもしれない。すぐに頭によぎる後悔を振り払い、自分に出来ることをしようと端末を点けて情報をたどる。
……
廊下の奥で柿種は杉奈良が持つタブレットの映像を見ていた。
そこに映るのはORIGINの映像だ。痛めつけられたヘッドはすっかり修理され、見る者を威圧する巨体は身じろぎもせずに宣告する。
『こちらは新たなイヌモ政府だ。難民区に居る自警団達に告げる。我らの敵、元警察機構3課課長柿種余里の身柄を引き渡してほしい。そうなれば君たちは我らの敵ではなくなる。引き渡した者には約束として役員職を保証し一生……』
「これが今朝放送されていました。復興支援に設置された各所のテレビからもです」
「ふん。いずれそんなことになると思った」
腑に落ちない点はいくつかあるものの、橋を落とし、確認している地下への出入口はすべて破壊して瓦礫の下に埋めた。相手は攻めあぐねていると二人は思っている。
だが、屈服を要求するとなれば話は別だ。今は侵入できなくとも今のうちにORIGIN側についてこなければいずれは……。と想像させれるだけでいい。
「既に自警団のはぐれ者が何人か病院に訪れています」
「これでは出歩けないな」
「病院の地上階は危険です。栄養スティックもご自身では取りにいかないように」
「……」
うなづいた柿種。日に日に追い詰められていくのは確かだが、そこまで動揺せずにいられた。
背を向ける杉奈良に柿種は声をかけた。
「先生」
「はい?」
「もしもの時は私を売っても構わない。ここも必要な場所だ」
「な、なんてこと言うんです……」
「もう一つ。今の感情もそのうち慣れる。今はとは言わないが、だから今は生きることにだけに集中するんだ。あなたの助けを求めている人たちがいる」
見透かされたような言葉。柿種から目を背けて杉奈良は言った。
「まだ彼女(衛利)は死んだと決まったわけではありません」
「……そうだな」
遺体がないだけ諦めがつきにくいのかもしれない。そうぼんやりと考えて柿種は病室に戻った。
階下から銃声が響いたのはそれからしばらくしてからのことだった。




