崩壊
衛利が最初に見たのは白い空間に三角柱の見本図だった。頭部の感覚からHMDに視界は制限されていても自分の体が椅子に座らされ、身動き一つ出来ない状態に置かれていることは分かった。それでも衛利は自然とこの状況が不愉快ながらも慣れており暴れずにむしろ三角柱を見つめ続けた。
「……」
しばらくして女性の声が後ろからかけられる。
「見本は見たわね」
その声をおぼろげな記憶の中からピタリと衛利のピースにハマり。あまり動かせない首を向けて問いかけた。
「ジェミー?」
「どうしたの?」
「いえ。なんでもない」
「じゃあ始めて」
自動的にHMDが上がると衛利は自分の体を見る。演算装置やバッテリーが内蔵された疑似筋力繊維を体に纏い、首には大きな首輪のような装置。
目の前の床にはピンポン玉サイズのモビルマテリアルの球体が粘度を持った媒体ジェルの中で複数転がっている。
衛利はモビルマテリアルが三角柱に組みあがっていく過程を想像する。すると媒体ジェルが揺らめくように動き出し、その動きに合わせてモビルマテリアルが組みあがっていく。
【イメージスキャンを正常に遂行しました】
電子音声が響くとジェレミアは衛利の目の前に歩いていくと頭をなでる。
「よく出来たわ。じゃあ次はこれ」
再びHMDが下りてくると小型の犬のような生物が映し出される。
「これって?」
どこかで見たことがあると感じて衛利は疑問を抱くがジェレミアは答えない。
「集中して」
ただそれだけを言われ再びモビルマテリアルに目を向ける。それは「4足の獣」に形が変わっていく。そして、慎重にその四肢を動かして歩行させる。
だが、少し歩いたところで前足の結合が崩壊し獣は床に倒れて散らばった。
衛利は自分の顔から血の気が引くのを感じた。それから反射的に強く目を閉じて頬への衝撃を覚悟する。
「……」
その時は訪れない。代わりに優しくそっと頬に手が触れる感触。目を開ければジェレミア・アマスーンは問いかけた。
「大丈夫?」
……
【目が覚めたかしら?】
いつもの青い光が満ちる空間に倒れ伏していた衛利は起き上がると、目の前に居る【知恵の実】の判断ソフトは幼い衛利の姿をしていた。
「人の思い出をほじくり返すな」
【そう。これはあなたの記憶から抽出したシチュエーションを五感に植え付けて疑似体験をさせてあげたの】
「何のために?」
【私はあなたに喜んでもらいたいだけよ。この世界で生きることを】
息苦しさを感じて衛利は片膝をついて強く呼吸するが全く改善されることはない。それに最初は自分の存在があいまいに感じたこの世界で自分は足をついていることに気が付いた。
判断ソフトは見透かしたように言った。
【お察しの通り。あなたの電脳へのリンクは既に安全圏を超えている。今の状態ではあなたの意思でログアウトすら不可能な状態よ】
「誰がこんなことを?」
【知りたい?】
青い光が映像に切り替わる。狭い壁を覆う数多の機械から伸びるケーブルやチューブが部屋の中央の処置台に横たわる衛利の肉体に接続されていた。
息をのんだ衛利に判断ソフトは映像を切り替える。ガラスの奥の処置室を見つめる人物。
「鋼埼さん」
その様子を苦渋に満ちた表情で見守る鋼埼と隣居る四角い機械。その後ろに控える赤と青の外骨格。その青い外骨格は素顔を晒して処置室を見ていた。
「ユホン!? なぜ彼女が。じゃあ赤いのは」
【アドルよ。二人はあなたに恨みがあるそうだから】
「……なぜ殺さない」
守礼号の事なら相当の憎悪を抱えているのに想像力はいらない。だが、今こうして自分は生きていて彼らは今すぐにでも手をかけることが出来るのにそれをせず。逆に医療処置を見物しているのが腑に落ちない。
【二人はあなたを利用することで復讐を成し遂げようとしているわ】
「利用? 私をどうするの?」
【そろそろね】
四角い機械が小さなアームでコンソールを入力する。瞬間、衛利の体から自由が硬直し頭がぼうっとして何も考えられなくなる。
「う、……な、んで」
衛利のうなじが光りだすと青い光の線が飛び出して判断ソフトを直撃する。再び自由になった衛利の体がふらつく。何かによって自分の意思が歪められたかのような薄気味悪さを感じる。
「何があったの」
【最上位命令……受信】
判断ソフトがつぶやく。すぐさま判断ソフトに近寄ってその胸倉を摘もうとしてすり抜ける。
「一体何があったの?」
【命令よ。融合率が最も高い生体からのね】
「まさか……命令を確認させて!」
【モビルマテリアル操作。建設物番号9328574を自衛モードに移行】
すぐさま衛利が番号の情報を取り出すと警察庁舎横にある大きな建物が倒壊し、巨大なトカゲが現れる。
「そんな……マテリアルハザードが」
【命令受信】
再度つぶやいた判断ソフトに再び衛利はつかみかかろうとして、すり抜ける。
(止めないと!)
自分の肉体の隣の部屋に居る彼らの目的は分からないが、その手段を潰さなければ大変なことになることだけは理解したからだ。
再びうなじから青い光が放出されていくのに悶えながら判断ソフトに訴えかける。
「命令を中止して!私は」
【中止要請を受信】
「これで……」
【命令再送信】
無慈悲な言葉が鳴り響く。臆さずに命令中止の言葉を出そうとするが、パタリと体が倒れて動けなくなる。
【生体意思抑制プロトコルが入力されました】
諦めずに何とか中止命令を出そうとするが、今度は頭が動かない。
【命令受信】
(中止しろ)
衛利の思考から中止の文字が削除される。
【生体ワードブロック追加:「中止」 命令再受信】
(停止)
【生体ワードブロック追加:「停止」 命令遂行。次命令受信。生体意思抑制プロトコルレベル2に引き上げ】
途端に思考が定まらなくなると自分がなぜ目の前の事を止めたがっているのかが思い出せなくなる。するとうなじからの光が絶え間なくあふれ出して判断ソフトに降り注ぐのを見た。
「やめろ……」
うなじからの光は一切止まらない。強烈な脳への干渉に衛利の思考は闇に呑まれて消えた。
―――
揺れる車の後部座席で目を覚ました柿種はあたりを見回した。慌てて時間を確認すると既に朝だった。
「目が覚めましたか?」
焦燥した声で運転席で車を運転する仁美は柿種に声をかける。口の中のべっとりした血を唾で薄めて飲みこんだ。
「二鏡。お前」
「今はのんびりしてる場合じゃないですよ」
しきりに仁美が後ろを気にしているのを柿種が気が付いて後ろを見ると。
建物の壁の中からマテリアルハザードの獣たちが大量に現れる。骨組みであったモビルマテリアルが引き抜かれることで支えを失った建物は倒壊してしまう。
「どうしたんだ?」
「知りません。ともかくセントラルビルは包囲されかけています」
「奈須玖は!?」
「分かりません。でも、今はここから逃げないといけません」
問答無用の雰囲気で柿種を黙らせる。通過していく街並みが徐々に崩れていくのを目の当たりにする。
「なんだ?」
高層から落下する瓦礫に混ざる数多の影。
落ちて、砕けて、割れていく。
内臓がすくみ上るのを柿種は感じて目を背ける。
「状況はどうなってる?」
「各小隊からの連絡は途絶。マテリアルハザードが邦人居住区で大量に発生しています」
傍にある端末を拾い上げてホログラムを映し出す。
「マテリアルハザードは無差別に人間を襲っているのか?」
「いいえ。児扶についた人間だけには攻撃していません」
頭を抱える柿種に仁美は付け加えた。
「今から難民居住区に逃げ込みます」
「他の職員は?」
「私たちだけです。セントラルビルから脱出する時に」
「……クソ」
部下たちの顔を思い出して柿種が拳銃を取り出す。
「やめてください!小さな子供もいるんですよ!マテリアルハザードに狙われるような真似は」
「子供?」
いぶかしむ柿種は仁美の助手席に座る赤いワンピースを着た女の子が、小型の犬型ロボットを抱えて泣きはらした頬で寝ているのが目に入った。これだけ揺れているのに疲れからか一切目を開けようとしない。
「途中で保護したんです」
「……わかったよ」
拳銃をしまった柿種は苛立たし気に返す。後ろを見れば建物から出てきた人が追跡してきた獣に押しつぶされた。
「今は逃げましょう」
車は住宅地を抜けると大きな川に差し掛かっていた。
―――
ユリアスは3番を抱えて青白い光を放つ部屋に踏み入れる。
「うん?」
保管されていた汎用フレームは胴体などのパーツには見慣れた物が使われているが、四肢や関節が延長されており。ロボット然とした汎用フレームから有機的な印象を持つ曲線的フォルムの機体が収められていた。
「見たことがない機体だな」
だが、これでは3番の傷をふさげない。ESP能力を用いて外の部屋に誰もいないことを確認して穴の開いた扉から出る。
廊下には誰もいない。だが、武器保管庫や備蓄保管庫と書かれたプレートが表示された自動ドアがある。疑似筋力繊維を回路に接続して【知恵の実】の支援を受けたハッキングはセキュリティを秒殺する。
中にある医療キットや食料を見つけたユリアスは喜ぶ間もなく穴の開いた部屋から3番を背負って戻ってくる。
扉から影になるような場所に陣取って3番を寝かせる。
「待ってろ」
医療用キットを広げたユリアスの網膜に生体CPUにインストールされた「医療支援ビジョン」が投影される。赤い線が3番の体に表示され、処置の順番や道具が羅列されていく。
……
「ふぅ」
ユリアスが一通り処置を終える。あんな傷を負ったのに致命傷は避ける3番の悪運の強さに驚嘆せざる終えなかった。
意識を失っている3番の手をユリアスは握る。
「なんでこんなことになったんだよ……」
シスターグランマを失い。これから守ると決めた平和も消えた。地上ではどうなっているのだろうか? それすらも確認できない。指揮所との連絡も途絶した。
「みじめだろ。こんなの」
ただ無力感だけが打ちのめしてくる。こんな力をもらったのに自分は隣に居る人間すら守れない。
(神よ。今だけはあなたを信じますから)
都合の良いことは分かっている。しばらくシスターとして過ごしても本当は格好だけだった。
「どうすればいい。どうしたら」
この感情の処理がESP能力探知を遮り、突然部屋に侵入してきた誰かに気付くことが出来なかった。
扉が開かれる音。ユリアスはナイフを抜いて様子をうかがう。
オレンジの囚人服を着た男。どうやら食べ物を探すのに夢中らしい。
(脱獄囚か?)
殺すことも考えたが恐らく囚人であるならば警察機構に後戻りはしないかもしれない。つまり協力できるかもしれない。
考えがついたユリアスは囚人の視覚外からイオンスラスターを吹かして飛び上がり囚人を蹴り飛ばす。馬乗りになってナイフを構えると男は叫びもせずに手で顔をかばう。
「お前は誰だ?」
囚人から聞かれたユリアスはドスの効いた声で返す。
「まずお前から名乗れ」
「わ、私の名前は近衛だ。元4課課長の近衛だ」




