苦痛の娘たち
特集:イヌモコーポレーションの崩壊 2060年代
難民受け入れ時から悪化し続けた60年代の治安は、30年の抑圧を解放するように騒乱が続き過去最悪のものであった。
かつて総勢10000人規模の軍事組織であったイヌモの治安維持要員は、利府里司徒の騒乱、旧体制崩壊に伴う大規模縮小、ミングの反乱を経て。総勢1000人以下を切っても奈須玖のクーデターで、また半数で殺し合っている異常な状態になっている。
多くの人が言う政情不安や難民邦人の対立はその土壌に過ぎない。数々の内紛の原因として挙げられる共通点がある。
それは行動を起こす首謀者が全員は一時的にイヌモで最も強い実力を持ってしまったと言う点である。そして、それぞれの首謀者に力を授けたのは【知恵の実】であった。
利府里司徒、ハン・ミング、奈須玖尾矛。それぞれが直接的に又は間接的に【知恵の実】のバックアップや情報支援を受けたことで、イヌモに混乱をもたらすことになった。
更に奈須玖クーデター時に現れた【知恵の実】の意思の代弁者と名乗る機械も、何かしらの【知恵の実】に関係があったことは確かであろう。
短期に終わったイヌモ内戦の中央区以外の損害はその復興に30年以上経った現在でも手つかずのままである。
イヌモ内戦からの大量のマテリアルハザード発生被害、セントラルビルの倒壊と突然の【知恵の実】の判断ソフトの消失による【知恵の実】の機能停止。
一連の「崩壊」の詳しい原因は不明である。ほぼ確実に現場に居たであろう柿種余里社長は未だに沈黙を保っている。
ともかく。内戦によってイヌモの国力の源であった【知恵の実】やマテリアルハザードは研究結果ごと失われ、そのセーフティは中央区のみにだけ注がれた。
結果は中央区以外は無政府状態に陥り民間警備会社が秩序を任せられ、中央区は彼らに最低限の物資とサービスや実験装置を提供する「死の商人」となって君臨している。
―――
夜がしらける。
その日の大通りを闊歩するのは民間人の姿はなく、大破して倒れる汎用フレームが多数と、中には血肉となった機構員の亡骸もある。
警察機構庁舎の手前まで進んだ柿種派の部隊は激しい抵抗を受けていた。装甲車が立ちふさがり機関銃を掃射して牽制する。だが、機関銃は銃口を狙撃され内部を破壊されると、直上から両刃の槍が貫いて紫電を放つと沈黙した。
顔面に索敵キットを装備した機構員がある方向に振り向いてから大声で叫ぶ。
「爆撃ドローン!」
一斉に機構員達が索敵員が見る方向に銃を向けるが、爆撃ドローン4機の編隊は機構員達の射程に入る前に、狙撃で一発とパワーライフルの3点バーストが残りの3機を撃墜し杞憂に終わってしまう。
「すげぇ」
とある機構員のつぶやきを耳に拾ったユリアスは、補給で受け取ったパワーライフルを装甲の隙間から伸ばした疑似筋力繊維で右わきにマウントしながら、沈黙した装甲車に着地すると未だ煙を纏う槍を引き抜いて双剣に短縮させた。
「……」
ユリアスの顔は浮かない。障害を排除しての一時的な安堵を不安が塗りつぶしていた。
【コール:鋼埼主任 不在】
何回か鋼埼にコールを送りチャットも送ったが返信どころか既読もつかない。衛利の収容から6時間以上経ってから送ったので、そろそろ処置が終わった頃合いだと思った。
もしかしたら思ったより衛利の処置が長引き、それに鋼先が集中しているのかもしれない。その方が自然であるとも思った。
「庁舎玄関の抵抗を排除した。突入する」
すかさず指揮所に報告を行った直後に、パラディウムのレーダーはユリアスに警告を発する。
【警告:マテリアルハザード反応】
「なに?」
ユリアスは反応する方向に目を向け、目を見開いた。庁舎隣の施設が倒壊すると、中身のモビルマテリアルが組み合わさっていく。
「これは……」
いつも見る獣ではなく。巨大な4足で平べったい体と長いしっぽをした黒い巨大トカゲが現れた。
全長50m以上で柱の様に太い手足と塔のようにそびえる尻尾。その雄々しい姿に機構員達も大慌てで撤退しようとする。
「HQ(本部)!指揮所!こちらA小隊!巨大マテリアルハザードが……」
「避けろ!」
ユリアスは飛び出す気にはなれなかった。トカゲは尻尾をほんの少ししならせ、遠心力で先っちょの数個の欠片を放ち報告する機構員に直撃させたのだ。バレーボール並みのモビルマテリアル、鉄の塊が飛んできて文字通り機構員は粉砕された。
「くそ!対処法は……」
もう一発砲弾を放とうと、尻尾を振るおうとしたトカゲ。だが、放たれる直前に結合を弱めたモビルマテリアルは明後日の方向に飛んでいく。
トカゲは首をかしげる。コミカルなしぐさであるが、持ち合わせた破壊力を打ち消せる程のものではない。
(どうすればいい?)
3番は狙撃銃をトカゲに構えながら顔だけユリアスに向ける。
(これを使う)
(まさか)
ユリアスはパワーライフルを下ろして双剣を構える。双剣の刃にはデフォルトブレードと同じ素材が使われている。対マテリアルハザード用武装としての機能もある。
(無茶だ。あんな巨体に巻き込まれたら)
(これしかない!)
【イオンスラスター機動モード】
背中のイオンスラスターを吹かして推力を得ながら、両腰のイオンスラスターを左右に向ける。疑似筋力繊維を建物の壁に伸ばして収縮。装甲がある分小回りは効かないが、衛利のアイギスより遥かに速い速度でトカゲの腹に潜り込む。
トカゲも前足で踏み潰さんと片足を上げるが鈍重極まりない動きではユリアスをとらえることはできない。あげていないもう片足に切りかかり、切っ先に触れたモビルマテリアルが機能を停止して零れ落ちるが、まるで大木のような足を切断するまでには至らない。
「ちっ……」
ユリアスが離脱するとトカゲは、腹の下に居る敵を押しつぶさんと巨体をダイビングさせて庁舎に突っ込み盛大な土煙を上げる。
「無茶苦茶だ!こいつ!」
土煙から飛び出したユリアスは空中で振り返りながら悪態をつく。
トカゲは立ち上がり尻尾をまたしならせるが、今度は尻尾の太さを細くし、2倍以上延長した長さで横なぎに振り払う。
【軌道演算:直撃コース。緊急自動回避】
パラディウムが緊急でイオンスラスターを真下に向けて吹かし、突然の軌道変更に意識が持っていかれそうになるが気合で耐えたユリアスは、混乱しながらも地面に激突しないように疑似筋力繊維を建物の外壁に射出し命綱にする。
空を切る尻尾。至近を通ったその猛烈な風圧はユリアスを態勢を崩させるには十分だった。
「しま……」
回避のためにイオンスラスターで地面に急転直下しながら命綱を収縮させる。相反する力の作用に体が悲鳴をあげる。更に不安定な態勢は地面にたたきつけられたダメージを倍増させた。
「がはっ!」
殺しきれない衝撃に身を砕かれたと錯覚してしまう。
【意識レベル低下:覚醒ナノマシン投与】
パラディウムの表示と共に今にも消えそうな意識がはっと目が覚める。体のダメージはかなりのものだが、あの尻尾に直撃すれば胴体が真っ二つになっていたところだっただろう。
「生きてるだけマシか……」
すぐさま立ち上がろうとするが再び警告が鳴り響く。
【警告:脅威直上。緊急電力残量不十分】
再び体を押し出されたユリアスのすぐそばに、トカゲのしっぽが振り下ろされアスファルトが音を立てて崩れる。その谷間に落ちていくユリアスにはすべてがスローに見えた。
先ほどの起動と緊急回避にただでさえ夜中ぶっ通しで吹かし続け不足している電力。武器や弾丸は豊富にあってもパラディウムのジェネレータは鋼埼しか満足に補給すら出来ない。
暗黒に落ちていくユリアスは疑似筋力繊維数本分しか伸ばすことしか出来ない。危機一髪で地上のひび割れに繊維を伸ばして掴まり宙づりとなってしまう。
下を見ると奈落に落ちていくアスファルトはしばらく虚空の中に消えて「ガラリ」と音を反響させる。流石にそれだけの高さから落ちれば今度こそ死ぬだろうと直感できた。
(なにかないか?)
辺りを見渡すと地上にある建物の外壁から続く地下の外壁を見つける。体がよじれたような苦痛に顔をゆがませながら、もう片方の腕を伸ばして疑似筋力繊維を射出して外壁に固定する。
少し距離が開いて勢いがついても仕方がない。今にも地上のひび割れが崩壊しそうだった。覚悟を決めてユリアスがひび割れから離して外壁に向けて飛び込む。
「ああっ!!」
無慈悲な自然の法則に従い外壁に叩きつけられてしまったユリアスは痛みに叫びながら荒く息をして外壁にしがみつく。
真っ平ではないが人間の休むような大きなくぼみもない。それを登ろうと体を伸ばしたが、猛烈な痛みがそれを邪魔する。
(もうダメなのか……)
頭の四隅に湧き出る感情。それを冠りを振って解こうとすると、割れた地面の光を遮る何かが頭上にいることに気が付いた。
ふと嫌な予感をして顔をあげる。
割れ目から覗き込んでいる目のないはずのトカゲと、目が合ったような気がした。
―――
手術室のような場所の中央のベッドでアイギスを脱がされ痛々しいあざと手術痕を残す素肌を衛利は晒していた。
地上の医療施設にもあったような大量の疑似筋力繊維のワイヤーが、衛利の体の治療を再開しうごめいていた。
そして、うなじには大量のケーブルが接続され、生体CPUのコロニーと直接大量の情報を行き来させている。
隣接するオペレーター室に居るボックスと鋼埼。鋼埼は先ほどの衛利の医療データを入力し、ボックスは衛利の生体CPUの状況を映し出したモニターをいじっている。
「聞きたいことがある」
【何でも言ってくれ? マスター?】
「なぜ衛利が必要なんだ? 知恵の実からモビルマテリアルのコントロールを奪うのは既に出来たはずだろう? ハザードコアで」
【ハザード(災害)とは失礼だね】
鼻で笑うかのようなしぐさをするボックスに若干イラつきながらも衛利の命と情報を得るために鋼埼はぐっとこらえる。
【まぁいい。コントロールコアは確かに知恵の実の制御下にあるモビルマテリアルのコントロールを奪取出来たよ。だが、それは一部だけ。知恵の実を奪うにはあまりに限定的過ぎた】
「知恵の実の制御から奪う?」
【知恵の実は命令系統が枝分かれしている。だから、一番近しい命令系のモビルマテリアルの命令に従って形状を変化させる。その範囲を奪うだけだった】
「なぜ知恵の実の制御を奪いたいんだ?」
【言ったはずだがマスター? 我々はもっとよりよく知恵の実を扱えるんだ。資する者に与えなければ知恵の実は腐ってしまう。いや既に腐り果てていたか】
「……それは誰にも防げなかった」
【いいや。防ごうと思っても誰も修正しようとしなかったんだ。倫理に反することを咎めたところで、誰も知恵の実の言うことを聞こうとしなかった。おかげで知恵の実の倫理判定は機能しなくなってしまった。それが今の混沌の原因であることは疑いようがないだろう】
「否定はしない」
【結局。判断ソフトに匹敵するソフト(ORIGIN)を作ったが、それでもまだ不十分だった。だから、既にあるものを使うんだ】
「衛利はそのために生まれたわけじゃない」
【元からそう設計はされた存在だ。本来の役割を果たす時が来たのだよ】
「……」
【安心しろよマスター。あんたが変なことをしない限り、あの娘には何もしない。あの娘が変なことをしない限り、あんたには何もしない。あの娘に自我が残っていたらの話だがね】
勝ち誇るようにボックスは笑い声をあげると。モニターに映った衛利と【知恵の実】の意識の融合比率を表した数値をマックスまで引き上げた。
鋼埼の見ているモニターのバイタル数値が跳ね上がり、衛利の顔が苦悶の表情を浮かべる。
「衛利」
思わず鋼埼が鏡に張り付く。
「やめさせろ!まだ怪我が!」
【安心してくれよ。あなたがいるし蘇生装置が充実しているから死にはしないさ。融合するまで苦痛は続くだろうけどね。……さて、このパターンじゃ無理か。残り628962パターンだね】
ボックスはまるでメディアのチャンネルを変えるように、何気ない手つきで融合係数が一番高いパターンを探ろうとする。
「……」
その手つきに鋼埼は背筋を冷やしながらも目をそらすことが出来なかった。
かつて幼い衛利に苦痛を与えてきた実験で自分がやっていたのと同じような軽快さが、ボックスの手つきから垣間見えてしまったからだ。
衛利さんの設定画です。
https://twitter.com/nobumi_gndmoo/status/1118142072677109763




