それぞれの準備
工場のラインが駆動音を唸らせて稼働している。流れるものに機械が被さり加工を施すと次に流されていく。ラインに乗せられた物が人間である以外には至って普通の工場の光景。
ボックスは下層を掌握して下層の制御を【ORIGIN】に任せると、下層に居る人間全てをこの施設に収容した。元より下層の組織が互いの抗争のための金を払って強化した従順な兵士を作り出す狂気を、ボックスは下層に居る全ての人間に適用させようと更に拡大させていた。
「ボックス。さすがにこの事態はモスクワも懸念を伝えているぞ」
大型モニターから工場の様子を見ているボックス。その後ろからセルゲイが歩み寄る。
「そうだろうね。だけど僕の目的は世界平和とその後に行われる宇宙開発に過ぎない。君たちの祖国が邪魔をしなければ危害を加えるつもりはないよ」
並べられる人間の首に注入される廉価版の生体CPU。繋がれれば最後、思考を全て【ORIGIN】に統合され自我を失い始める。全て【ORIGIN】の意志一つで寸分の狂いもなく動く人形になり果てる。
「それに私は、彼らのように無意味で消費ばかりの人生に意味を与えてやっているのだよ。君たち『人間』は常に惑わされてばかり。だから一心にブレない信念を持つ者の為にユニット化させたほうが社会はもっとよくなる」
「流石にやりすぎだ」
「ふむ。しかし、人間は使うものと使われるものが居るだろう。使うものに進化や賢さを求めるなら、使われる側にも忠誠と適応を求めるのはずっと昔から行われてきたことだ。私はただ、その延長線でしているだけのことだよ」
「……」
セルゲイもこれ以上は言わない。祖国の人間が意思も確認されずにこういう目に合えばもちろん反抗はしただろうが。目の前で処置されているのは祖国の人間ではないからだ。
「それに、この世に存続する国の政府に今更非人道と言う言葉は言われたくはない。地獄と言うのはこの世界そのものを指すのではないかと思っているぐらい混沌としている」
半世紀前の平穏は完全に消え失せ。科学技術の発展にすら歯止めがかかり、移民難民の決起や現地住民の反感が蓄積、限られた資源を巡って内戦と対立はどこの国もコントロール不可能な状態に陥っている。
「人類は存続の危機に立たされているが誰もそれに気付いていても戦う事をやめられない。だったら誰かが全てを掌握し、まとめなければならないだろう。私はこの手段が最も正しいと思っているのだがね」
自我を失った人間たちは武器を取り整列する。生体CPUと共に注入された有機型ナノマシンが全身に回っては変異し、見えない形でパフォーマンスを向上させていく。その一部が瞳で変異し、形成された暗視器官が発生すると、僅かに赤い光が瞬いた。
「まぁ既に手遅れさ。【ORIGIN】はどの人間の集団を超えている。君たち人間がどうあがこうとも我々の相手にはならない」
セルゲイはたまらずに口を開く。
「これを世界が知ればお前は終わりだ。九州に居る人間全てを死滅させてでもロシアは核攻撃を辞さないぞ」
「やりたいならやればいい。米中はどう思うかな? 核戦争なんてやりたくないだろう? それに……」
ボックスはカメラアイをセルゲイに向ける。
「それどころか『反物質兵器』を用意してから我々を脅してほしいものだ。君たちには二鏡が設計図を渡したばかりだろう? 君たちの核攻撃を無効化出来るどころか。君たちの故郷すらエネルギーに変換することも出来るのだよ」
「脅す気か?」
ボックスは大いに笑った。
「冷戦陣営の片割れが良く言うよ。二鏡は頑なに使おうとせずに秘匿しているが。私がもしイヌモに頂くとしたら。それを有効的に活用させてもらおうじゃないか。もちろん抑止力的な意味でね」
「……」
「まぁ邪魔しなければ攻撃はしないよ。それに君はユリアスの身柄と研究データを持って帰るのが仕事だろう? もちろん私たちはその間あなたに協力するが、余計な事に首を突っ込まないでほしいものだね」
―――
食堂にて出される豪華な食事……もとい炒飯にアギは目を輝かせながら手を合わせた。鋼埼も隣の席に座る。
「いただきまーす」
しばらく検査入院をしてもらっていたアギには毎日のように出される手作りの食事が何より嬉しいようだった。
その感激っぷりはただの栄養補給だけで良いと旧体制のイヌモが推し進めた「栄養スティック普及計画」を難民はもちろん邦人すら怒らせて、1か月も経たずに邦人居住区で廃止させた事を鋼埼に思い出させた。
強硬だった旧体制が民意で政策をひっこめた数少ない例と言える。
アギは炒飯についているとろみのついた卵スープをズルズルと飲み込み。しきりにレンゲを動かしている。
「ねぇおじさん。衛利様はどこ行ったの?」
「衛利はお仕事でお外に出ていっているよ」
すっかり鋼埼に慣れたアギは気楽に会話を交わす。なるべく慣れてもらうために一緒に食事を取る。これは鋼埼が幼少の衛利と接するときに思いついた方法だった。つまりそれだけ利府里司徒と接する機会も増え、少なくとも彼の友人になることが出来た。
「……」
ついそのことを思い出してレンゲを止める。アギは夢中に頬張っているのと対照的に衛利は栄養スティックを黙々と食べていた。あの頃は崩壊しかかった衛利の心を司徒と記憶消去が繋ぎ止めていた。むしろ『チーム』がそれを目的に過酷な実験を実行しようしていたとさえ思える。
しかし、それもジェレミア・アマスーンが来たことで変わる。彼女は冷淡だが無駄に苦痛を与えるのをやめさせた。終始ジェレミアから歩み寄ることはなかったが、他の研究者より衛利が淡く好感を抱くのも無理はなかった。
衛利の記憶消去の機会が減り、精神も回復し始めた、何より精神崩壊すら起こしかねない別の記憶にすり替える「記憶操作」の検討も彼女が撤回させた。
衛利がしている普段のクールな態度も「ジェレミアの真似か?」と聞いたがバレバレな反応で『否定』していた。
あの頃から衛利の人生は確実に良くなっている……はずだ。特段シックスアイが死んでから任務以外には普通の料理を食べるようにもなった。
「リリーもいないの」
「ああ、あの子も用事があってね」
リリーことユリアスの状態を鋼埼には手に取るように分かる。人差し指を立てて爪からホログラムを浮き上がらせて思考操作すると、多くの数値が表示された画面を呼び出した。
今現在のユリアスの健康状態、施術の進行具合、施術機械の状態を確認した鋼埼は思考操作でメッセージを発信した。
……
『異常はあるか?』
生体CPUに走る鋼埼のメッセージにユリアスは端的に「ありません」と返した。
今のユリアスはうつぶせに施術台に寝かされ、その体はアイギス同様に真っ黒な疑似筋力繊維で出来たスーツで覆われていた。生体CPUが集約するうなじからから腰下までの脊髄に当てられたアイギス型の根幹部分に複数のケーブルが伸びて壁に備えられた量子コンピュータに接続されている。
【知恵の実の生体アカウントの使用可能な演算能力を拡大中。最適な疑似筋力繊維操作の脳波パターンと仮想空間での訓練を開始】
施術台の顔部分にせり出した呼吸器と顔を乗せる枕に顔を預けながら。意識を【知恵の実】が演算する仮想空間に移して疑似筋力繊維の使用する訓練を受けていた。
なんてことはない。ただの再現された無人の難民居住区で体に纏った疑似筋力繊維での高速移動を体験する。
建物の間を地面スレスレで通り抜けてアクロバティックな動きで舞い上がると比較的高い建物の屋上に着地する。
【イオンスラスター噴射、疑似筋力繊維操作による衝撃吸収開始】
算出される体の負担は普通より大きいが怪我をするほどの事ではない。
「こんな便利な物使っているなら。さぞ楽しいでしょうね」
元は敵であったユリアスをここまで優遇するのを、自分自身が不可解には感じていたが。イヌモの実情を知れば納得できないことはない。
自律兵器ではない建前の武装汎用フレームもあまりに多すぎれば、主力商品の栄養スティックを輸出している多人国家からの反感を買ってしまう以上に、クライスアーリアのような自律兵器国家の誕生を恐れ経済制裁されてしまうとイヌモの財政危機に晒される。
そのために高質な戦力が欲しくたまらない。ユリアスの運用権を羽今達は主張したそうだが、柿種が「難民大火」の原因の映像を用いて逆に脅迫されて衛利と同様にユリアスも柿種の元で管轄されている。
イオンスラスターを吹かしてジャンプする。疑似筋力繊維のパワーアシストとスラスター推力を得た体はいつもより高く飛び屋上から落下していく。更に両腰から疑似筋力繊維を両側の建物に射出して振り子のように勢いをつけて空中を舞う。
体に受ける風圧はユリアスの神経に直接入力されるもので現実ではない。
「……」
空中にいる時間がゆっくり流れていく気がした。目を一瞬閉じて自分の体の感覚を感じてみる。
……
突然足元に覆われた氷に自分が着地する景色が思い浮かびあがる。
(Браво Юлия)『うまいぞジュリア』
……
「なっ!」
頭に走る光景と男の声にユリアスは動揺して前後不覚に陥る。そのまま地面に落下しそうになった時に動作補助が働いた。
【意識の混濁を確認。運動神経をオートマチックに】
自分の体を操られて適切な着地をさせられてもユリアスはその場にへたり込む。
「なんなんだ……今の記憶」
―――
難民居住区の中央病院に輸送車の列が止まる。雇用された難民が荷物をチェックする傍ら防弾コートに覆われた衛利は杉奈良千之と握手を交わす。
「また会えてうれしい。ごめんなさい忙しいのに」
疑似筋力繊維に覆われた手を見て衛利がつぶやくと千之は首を横に振った。
「こっちもありがとう。また来てくれて」
病院内の患者はかなり減り、電力が回復して家に帰る者や他の医療機関に移った者も多数居た。
「相変わらず医療スタッフは増えないのね」
「しかたないよ。でもほら」
千之が指さした先には、カバン型の医療機械をいじる少年が弟と思われる少年に取り付けて機械のオペレートに従い処置を施していた。
「イヌモの医療機器や薬品は僕のような専門知識を持たない人も治療が出来る。病院に居る人が自発的にやってるから僕はお役御免だね」
自嘲気味にそう言いながら二人で病院を歩いていると、千之の寝泊りしている個室へとやってきていた。
「あれ?」
千之が気づくと普段のように何気なく歩いてた結果だが、少し心臓が高鳴ってしまった。
「ここが千之の部屋?」
衛利が聞くと千之は少し顔を逸らして言った。
「あー……まぁ」
「入ってもいい?」
「いいけど。何もないよ」
簡素な部屋に私物はほとんどない。ただ古臭い分厚い医療本が机の上に並べられて置いてあるだけで、ベッドとシーツだけが唯一千之の形跡を残していた。
「私の部屋と一緒ね」
元実験台の衛利に言われると今の自分の状況に涙が出そうになる千之。衛利はベッドに座る。
「お茶持ってくるね」
千之がそう言って部屋から出ようとすると衛利は千之の腰に腕を回して抱き止めた。
「衛利さん?」
「お茶はまた別の機会で良い? 今夜、反乱鎮圧の式典があるからゆっくりはできないけど」
「……」
千之は覚悟を決めて唾を飲み込むと扉の鍵を閉めた。
落ちるのはより高く上がるため。上がるのはより深く落ちるため。




