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張られる糸

 ―――


 …2019年…


 スマートフォンがまだ指先ではなく手で持っていた時代のある日。私は夜の電車に揺られながら都市部に近い職場から帰宅していた。


「外国人研修生の拡充」


 スマホで開いた新聞アプリのトップ記事にあるのは人手不足解消のために日本国政府が推し進める政策。


 だが、本当に人手不足なのかは疑わしい。まだこの国には邦人失業者が150万人以上いるのに彼らには何の仕事も与えず、200万人もの外国人を労働者を安い給料で働かせている。


 もちろん研修生や他の外国人の人材がこの国を支えているのは分かっている。だが、マスコミで報じられているように劣悪な環境に放り込まれ、高い仲介料や渡航費を払いきれずに最後には犯罪へと走ってしまうケースも後を絶たない。


 労働力として移民や難民を受け入れた欧州のテロ等の惨状を見ていると、労働力だけをもらい後はさようならと送り返す日本は賢いやり方だろうが、こんなことを続けていたらいつか痛いしっぺ返しを食らうような気がする。


 ……記事を読みながらそう考えていたら電車が駅に到着していた。


『ピンポーン』 


 スマホが震えると通信アプリのタイムラインに綾音からメッセージが届く。数カ月前に生まれた赤ん坊、文音の寝顔付きだ。


『おねんねしたけど。帰り待ってるよー』


「はは、こやつめ」


 そういえばもうすぐ結婚して1年目。まだ働いて3年ぐらいのひよっこだけど、子供の将来のためにまだまだお金が足りない。もっともっと稼がないと。


 階段を駆け上がり改札を通り過ぎて速足で駅から飛び出した。綾音も今日も文音を世話して疲れただろうから、コンビニでちょっとしたスイーツを買っていこうか。……それすら買えないほどお金が足りてなくもない。


 コンビニに立ち寄ると若い女性が拙い日本語で「いらっしゃいませ」と向かえてくれた。名札にはカタカナの名前が見える。見かけないけど新しい人かな?


 手に取ったプリンをすぐにレジに持っていき、彼女は精一杯にレジを打つが結構遅い。苛々する程でもないけど、ちょっと気になってしまうんだ。スプーンも入れずに手渡された小袋を受け取り、コンビニを後にする。


 曲がりくねった住宅地の路地を抜けて、小さなボロアパートに構える我が家がある。すると、そこから走る人影が見えてくる。ランニングだろうか?


 歩く夜道とは反対側を走る人影は、ランニングと言うより全力疾走で私の歩く道の反対側の端を駆け抜けていく。街灯でチラリと見えた顔は日本人ではない。


(なんなんだろう。怖いな)


 事情があるのだろうがやっぱり夜道で異常な行動を見かけたら少し不気味だし、日本人ではないから尚更不安になる。最近ここも外国人が増えたのだろうか。ここら辺は地代も安いから工場も良く建つし。


 アパートに入りながらポストを確認する。『羽今』と札が入れられたポストを開けると不動産のチラシが数枚入れらている。備え付けのゴミ箱にそれらを捨ててから私は家のドアの前に立つ。


「あれ?」


 私が家のドアに手をかけるとドアは閉まっていた。いつも開いているはずなのにおかしい。もしかしたら綾音がうっかり閉めたままにしていたのか。とりあえず鍵を取り出して開ける。


「ただいま」


 ドアを開けると点いた電灯だけが迎えてくれるが、奥からは気配がない。


「ん?」


 もしかしたら寝てしまったのかもしれない。


 ……そう信じたいが私の胸の高まりはおさまらない。靴を脱いでカバンを置いて奥の部屋まで歩く。


「………」


 ダイニングの扉の隙間から色々な小物が散らかっているのが見えた。


「……」


 更に扉の奥から伸びる二本の脚が見えた。その足はピクリとも動かない。


「綾音?」


 部屋に踏み入れると血だまりの中で息絶える綾音と、綾音が胸に抱えたまま下敷きになって息をしない文音。


 開けっ放しのベランダの窓から吹いてくる風がカーテンを揺らしていた。


 ため息をついた。そして唸り声をあげてからしばらく喚いていた。


 ―――


 かつて二鏡が座っていた社長椅子。そこに座る羽今網徒は目の前に立たせた奈須玖に向かっていた。


「ナムルを取り逃がし。野党どころか邦人解放党にも離反者が出て。更に火事の原因となった爆撃。君が命令している様子を被検体2番の生体CPUから映像記録として残された。どうしてくれようか」


「……面目次第もありません」


「別に責めているのではない。これから策があるのかと聞いている」


 目をぎらつかせる老人に遥かに偉丈夫で経歴のある奈須玖ですらギョッとする。


「端的に言えば君を解任したいところだが、もし最後に何かすることがあるとすれば。何をするかね?」


 試すように言い放つ羽今に対して慌てた奈須玖は思いついた的外れの事を喋る。


「被検体2番は駄々をこねた柿種の奴がイヌモから管理権をもらい受けて運用しています。これを取り消せば……」


「柿種がわざわざ被検体2番を手放すとでも? 奴があれだけ小さな身分に収められているのは、被検体2番の管理権を保有するのを周りに納得させるためだ。アレは奴の切り札であるが奴を封じ込めておく枷でもある」


 ミングの反乱から大勢を救い英雄となった柿種は、二鏡が辞任して羽今が選出されるまでの一時期の間にイヌモを率いるほどでもあった。今、独立捜査官としてささやかな地位に収まっているいるのは、衛利の管理運用権を取得するためなのは明白だった。


 戦力と権力の集中させないために、警察機構の運用はかなり細分化され。以前の課の管理から個人単位で権力が分散しており。問題対処の専門分野に得意な人材を効率よく運用している。


 課でのまとまった運用は死んでしまった警察機構の上層部が管理しやすくするためと、相互監視可能である点からは組織的には正解であるが、単独でも多大な機械的サポートをなされる現代ではやや古い体制は否めなかった。


 奈須玖も執政員であるが、独立捜査官の中で任命される形であり、保有する戦力や人員も柿種同様に制限が掛けられている。しかし、『独立捜査官は外部から提供された戦力を運用するのには制限がかからない』ルールから奈須玖は羽今から提供された汎用フレーム製造施設等を羽今から「提供」される形で運用している。柿種も同様だ。


「名目上イヌモの社長であるから、被検体2番を本来の所有している鋼埼と言う男に命令すれば出来ない事はない。奴自身も二鏡が贔屓にしたおかげで莫大なポケットマネーと『チーム』の研究成果を手元に持っているから強くも出れない」


「『チーム?』」


 聞きなれない言葉に奈須玖は首をかしげる。


「遺伝子強化検体計画の研究チームの事だ。鋼埼以外は全員死亡して、その研究成果を奴は独占している」


「開発技術を社に還元せず独占? これをネタに追い詰めれば……」


 藁をも掴む思いで提案する奈須玖だが羽今は冷淡だった。


「話がそれてしまったが、私が求めるのは鋼埼の失脚ではない。君の失脚は確定しているからそれに対して君が最後に出来る事を聞いているんだ」


「っ!」


「ないのなら……」


「お待ちください。では、最後に反乱犠牲者の式典の警護までさせて頂きたい」


「政敵である柿種の栄誉賞授与もあるのだぞ?」


「承知の上です。是非とも汚名返上のチャンスを」


 口からの出まかせで汚名返上のチャンスに張り切ろうとする執政員に、内心呆れた羽今は椅子を180°回して後ろを向いた。


「以上だ」


「失礼します」


 奈須玖が消えたことを確認すると羽今はため息をついて呪詛を吐いた。


「無能め。これならもう少し粘って柿種を手元に置いておくべきだった」


 ―――


 火事から1週間。損傷した臓器もほとんど治癒し、生命維持装置に繋がなくても命を維持出来るようになったところで、まだ衛利は十分動けずにいた。臓器の治療が出来ても筋肉や骨の損傷がまだ完全ではなかったからだ。


「肺が治っても呼吸する筋肉が傷ついているのはお笑いね」


 呼吸器をつけた衛利が自嘲して言うと鋼埼は鼻で笑う。


「本来。疑似筋力繊維での移動は人間が耐えられないような負荷をかけて緊急回避するための機能だからな。そんなのを2時間、3時間もぶっ通しで使い続けたら。そりゃあ体も無事では済まないさ」


「便利すぎる。早いし手軽で小回りも効くから。緊急用って言うならこれと同じかそれ以上の機動性のあるシステムくれないと」


 意地悪そうに要求してくる衛利。困り顔で頭をかく鋼埼はラングレーに目を向けた。


「ラングレーもボディをコロコロ変えて悪かったな。しばらくこのままでいてくれ。だけど、衛利が言うならちょっと手を加えるかもしれないけどな」


「ワン」


 鋼埼に頭を撫でられてご機嫌なラングレーは尻尾を振って答える。尻尾の素材が疑似筋力繊維で、当たれば打撲では済まない高速動作に二人が内心ヒヤヒヤする以外は暖かい光景だ。


「失礼するわ」


 病室の扉が開くとコンバットスーツに身を包み、完全武装したユリアスホワイトが現れた。衛利は半ば諦めた様子で目を細める。


「資材搬入は終了。撤収しますよ」


「分かった。衛利また見舞いに来るよ」


 立ち上がった鋼埼の後についてユリアスも出ていく。まるで上司と部下かのような光景に衛利は思考でユリアスに毒づいた。


(慣れてるのね。まるで子犬よ)


(あなたよりはお行儀が良いはずよ。野良犬さん)


(……後で覚えとけ)


 もちろんこのESP同士のやり取りは生体CPUの記録にも残らない為、鋼埼の知るよしもない。


 廊下を歩く二人は未だにベッドが足りずに廊下の隅で寝転がされている人々の複雑な視線を受けながら通り過ぎていく。もちろん皆はこの二人や病院を訪れている人間が支援物資を運んできた集団であることを知っている。


 鋼埼もユリアスも警戒しながら視線を合わせず刺激しないように歩いていき、ようやくエントランスで空箱の段ボールを運ぶ汎用フレーム達の列にたどり着いて二人ともため息をついた。


「まぁひどいもんだな」


「仕方がありません。あれだけのことをされたんですから」


「邦人だって同じさ……。そう言ったらキリがないな」


 ミングの反乱と今回の大火事での対応は、融和を求める人間に暗い影を落としていた。両者の関係の修復など当分の間不可能だろう。かつて中州と呼ばれた場所を沈めて作られた人工の川だけが、両者を20世紀から続く中東のような泥沼の報復合戦を止めている唯一の存在だ。


 二人の間に重い沈黙が流れかけた時、ユリアスは問いかけた。


「突然ですが被検体2番とあなたはどんな関係なんですか?」


「本当に突然だな」


 鋼埼も困惑しながら暗い話題を続けるよりは良いと空を仰いで思い出しながら言った。


「一言で言えば保護者だな。俺はあいつが10歳の頃に『チーム』に来た新参者だが。今では『チーム』は俺一人になってしまった」


「強化検体研究チームのことですか?」


「ああ。目的は科学的強化を施した人間を生み出して。人類を上書き、もとい更新するって目的だが。それにはそいつらが既存の人類より優れていることを証明しなければならない。あーつまらない話だ。忘れてくれ」


 ユリアスは首を横に振ってまじめに鋼埼に頼み込む。


「知りたいんです。お願いします」


 その言葉と真剣さに鋼埼は分かったと言ってつづけた。


「その一人目が利府里司徒さ。特殊な再生臓器を体内に複数持ち、神経や思考を【知恵の実】主導で学習と成長を促され。3年で大人と同等の成長を遂げた。戦闘能力やESP能力、生体CPUとの高い適合性。更にため込んだ栄養で人体を急速に変異、再生出来る。まさに理想、完全な成功だった」


「でも被検体2番はそうはしなかった……」


「一つ疑念があった。生体CPUから多くの他人の記憶を読み込んだとは言え。たった3年で成長した奴の思考がまともであるかとね。だからもう一体作ることにした。今度は【知恵の実】や再生臓器ではなく人の手で育てたらどうなるかと。だがな……」


 鋼埼は言いづらそうにしてから意を決して言葉にする。


「俺が来た時に、衛利はみんなから疎まれ始めていた。成長も遅くてすぐに結果を出せないから『チーム』の奴らは苛立ってた。だから鬱憤を晴らす為に衛利を拷問まがいな実験で成果を出し続けていた。それでも利府里司徒の活躍と庇護がなければ、衛利が今までまともに生きていた可能性はない。時期が来たらすぐさま機械に繋がれてサッカーチームが霞んで見える程たくさんの司徒ベースの遺伝子強化体を『生産』させられる予定だった」


「それが、本来の役割」


 鋼埼は顔を背けて鼻で笑う。


「本来の目的ねぇ。アイギスだって。名目は強化検体の試作装備だが。本来は【知恵の実】との接続を良好に保つバッテリー兼あいつが逃げられないようにするための拘束具だったんだ。俺が作ったんだから間違いない」


 罪を告白したように吐き捨てる。その嫌そうな顔を見たユリアスは質問を投げかけた。


「嫌だったんですよね」


「当たり前だよ。例え見ず知らずでも子供が苦しみから全力で叫んで泣いてる姿を見せられたらな」


「だったら。衛利はあなたのような人が居てくれるだけでも良かったんじゃないんですか?」


「よせやい……すまない。また暗い話なってしまった」


 再び口を閉じる鋼埼。ユリアスはこれ以上聞くこともなくつぶやいた。


「保護者と言うよりお父さんですね」


「お父さんねぇ」


 噛みしめるように言葉を繰り返す鋼埼はユリアスに促されるまで足元を見つめながら考え込んでいた。


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