錆びた刃
病室の扉が開けられる。電子ロックや見張りなんて大層な物はない。看護婦の目をかいくぐればどんな人間ですら侵入することが出来た。
ところどころ破けたボロボロの灰のパーカーに、顔を隠すように被ったフード着た少年は、ベッドに寝かされている衛利の元に歩み寄る。
衛利の体にかけられたバスタオルから伸びる大量のチューブと繋がってる生命維持装置が衛利を生かしている。生体情報モニタに刻まれる鼓動と、呼吸器にかかる息がリズムよく彼女の生存を周囲に知らせていた。
少年は忍ばせていた錆びた刃物を右手でしっかり握るとバスタオルをゆっくり首元から腹部へと巻いて胸部を露わにさせる。
少年は唾を飲み込む。少なくとも、ちゃんとした意識が芽生えてから初めて双丘を見た劣情からではなく極度の緊張状態が彼を冷静にさせなくしていた。
(一撃で)
相手は全くの無力だが、気付かれれば仕損じる恐れがある。これが自分の人生で最後にやり遂げることだと、少年は本気でそう思っていた。だから左手の指をしっかり胸のど真ん中に置き。心臓の位置をしっかり認識する。
「そこよ。そこが私の心臓」
飛び跳ねる。まさにその通りに驚いた少年は刃物を取り落としながら壁まで下がる。衛利は首を倒して少年を見ていた。
「いらっしゃい。私を……」
それから少年の頭の中を見たかのように言った。
「殺しに来たんでしょう?」
……
全ては突然だった。その日で最初に出会った父は既に息絶えていて。父の周りにいたおじさん達や、おじいちゃんも突然いなくなっていた。
母さんが最低限の荷物をまとめて僕を連れて家から逃げたのも突然だ。
その日から難民区は電気や水道が止まり、邦人区からの物資の供給や産業としていた栄養スティックの工場も動かなくなった。それから一カ月は悪夢のようなサバイバル。
自警団が強盗団となって人々に襲い掛かると、それに普通の人たちが集まり、また新しい自警団を作る。どこの家も荒されるか自警団に物資を提供して難を逃れるか、なくなれば物資争奪戦の尖兵になるか。究極の選択があちこちで起こった。
約2カ月も続いた闘争の間に何度かイヌモからの介入や物資の供給緩和があったが、元から不安定だったここはカオスとなった。
更に僕からすれば、この事態の元凶になった息子なのだから正体がバレないようにしなければならなかったし。それで追われたこともないことはない。追いかけっこになる前に察知して離れることが出来たのは幸運だった。
食料は配給制にはなったものの。住民同士の対立や心の荒廃は端の向こうで生活している奴らには分からないだろう。
そんな生活に疲弊していった母はまた突然起きた火災の炎の中に消えていった。
そして僕は生きのびたが、これからいったい何をすればいいのか?
ふと考えているとある噂を思い出した。それは悪漢達が捕まえられたと同時によく聞いた噂だ。
「黒いスーツを着た若い女」
あの時。父親がいるであろう難民管理局の庭で出会った図書館の司書のお姉さん。僕が難民デモを眺めていた時に初めて会った優しそうな感じから一転して、まるで父が時折するような目で僕を睨んでいた。
お姉さんは確かに黒い不気味なスーツを着て人間ではあり得ないような動きをしていたから、生身の人間なんて太刀打ちできないだろう。きっとお姉さんは人知れず(?)に治安を守っていたんだろうか。
きっとお姉さんにも悩みもあると思う。お父さんもずっと悩んでいる様子だったし、力を持つ人はきっと悩むんだろうって僕はその様子を見せつけられてきた。
僕は刃物を懐に忍ばせた。もはや「噂ではなくなった」お姉さんは身を挺して難民達の避難する中央病院を守った英雄。みんなが彼女の回復を願っている。
「……でも」
そのお姉さん。僕の仇なんだよ。
―――
うっそうとケーブルが散乱する地下施設。コンクリートに覆われた部屋のど真ん中にたたずむ人型。それを前にコンソールをいじるボックスとケーブルを繋ぐ3番が居た。
「ボックス。そろそろ目的ぐらい教えてくれたっていいんじゃないか?」
「目的? 僕はイヌモが元から目指していた世界を復活させたいだけだよ。今の姿はあまりに見苦しいからね」
「今の体制を壊すのか?」
「もちろん。再び科学と合理が最も尊ばれる世界が、私の理想だからね」
「……その世界は平和なのか?」
「必要があれば、ね。必ずしも平和である必要はない」
「そうか」
配線を繋ぐ3番は配電装置をセッティングする。
「出来たぞ」
「ああ。ご苦労様だね」
「これでスフィアの監視を避けられるのか? 電気使用量もモニターされてるんだろう」
「まぁね。だが、結局スフィアは【ソフト】だからね。いくら彼女が優れた監視網をひいても【ハード】でしか確認出来ない世界には彼女は目視出来ない」
ボックスの作業を裏から回り込んで覗く3番。ボックスは特に嫌がることなくそのまま作業を続ける。
「Originのボディか」
「ああ。被検体2番のアイギスを参考に作ったんだ」
二人の目の前にある人型。それは人型であるが人ではない。人を模した無機質の器。全身を疑似筋力繊維で形成された
「技術は同じだが……全く似てないな」
衛利自身の体に沿って装着されるため女性的なシルエットを取るアイギスだが、器には男性のような体躯に2m近い背丈と深紅のイオンスラスター部は全く衛利のアイギスと異なっている。
そして頭部には水晶のような巨大な単眼のカメラアイと両端から伸びるアンテナが角のように伸びていた。
「悪魔だな」
「好かれる必要はないからね。アレはすべてを制御下に置くために作ったんだ」
ボックスは端末から目を放して器に目を移す。機械同士が見つめあう状況を3番は冷めた目で見ているしかなかった。
―――
「殺しにきたんでしょう?」
衛利が少年へと問いかけるとフードを脱いだユンジャンは自身の顔を指さした。
「覚えているか? 僕を」
うなづいた衛利が答える。
「ハン・ユンジャン君。ミングの息子さんね」
「あれから……僕の人生は」
そう言いかけてから下を向くとユンジャンは絞り出すように言葉をつづけた。
「めちゃくちゃだったんだ。母さんもおじいちゃんもいなくなって僕は自分の名前さえも名乗ることも出来ないんだ」
うつむいた顔から雫が落ちる。
「そう。私はあなたのお父さんだけじゃなくて、お母さんも殺してしまったのね」
衛利は再び顔を上に向けると目を閉じた。ユンジャンにはまるで抵抗の意思が感じられない衛利の姿に息を整えてから再び刃物を逆手で握りなおして近づいた。
「さっきのところよ。一撃で殺したいならね」
刃先を先ほど指で触れた心臓の真上に合わせた。ユンジャン自身の心臓がバクバクし、まるで世界そのものが揺れている錯覚すら覚える。
「何をしてるんだ!」
再びはねた。ドアには杉奈良千之が立っていた。
「杉奈良先生」
衛利が呼ぶとその隙にユンジャンは杉奈良を押し退けて部屋から逃走する。
「ま、待て!」
「いいんです」
衛利が呼び止めると杉奈良は衛利の元へやってくる。傷がないかどうか調べて何もないと確認すると、さらけ出した胸部に再びバスタオルをかけた。
「なぜすぐに……」
杉奈良は衛利の右親指に取り付けられたナースコールを見る。衛利の意思一つですぐに異常を知らせることが出来た。そのはずなのに。衛利は当然のように答える。
「彼には、その資格があるから」
「何の資格ですって?」
「私は彼から家族を奪ったから……」
言い訳がましく言う衛利に杉奈良は怒気を含めた。
「それでも。この病院で死ぬような真似は許しません!」
「……」
いつも優しく接する杉奈良と違う姿に衛利は戸惑うが、衛利の態度がどれだけ杉奈良を冒涜しているかに気がついた。
「ごめんなさい。私」
「……今夜は見張りますから」
「そんな。先生も朝から……」
自分のした行動で杉奈良に負担になるような結果にはしたくなかった衛利は半ば必死で断ろうとするが。
「申し訳なく思うなら。明日からはもうしないでくださいね」
釘を刺した杉奈良が部屋を出た。ベッドの下に潜んでいたラングレーが恐る恐る出てくる。
「怒られちゃったね」
衛利はちょっと受けたショックをラングレーに伝える。怒られるなんていつぶりだろうと思い返すと、そこにはいつも利府里博士の八つ当たりのような怒声が頭の中に響く。
「お兄ちゃんは怒ってくれなかったな。利府里博士はいつも怒ってたけど」
優しかったが必死にならない兄と、感情と悪意で怒鳴り散らす父。だが、杉奈良はどちらとも違い衛利の身を案じて本気で怒った。ESP能力で意図的に脳波を制御しない限りはその言葉に嘘はない。
鋼埼も衛利の身を案じてくれる事は何回もあったが、それは長年の付き合いからだ。だが、杉奈良の奇妙とも言える命への真剣さに不思議と引き込まれていた。もし何かきっかけがあれば聞いてみようと思った。
「……」
その後、椅子を持って現れた杉奈良は宣言通り夜通し衛利を見張っており、その夜はあまりの気まずさに質問の一つもすることが出来なかった。




