夢と目覚め
【おはよう。こんにちは。それとも、こんばんは?】
呼びかけられた衛利はすぐに自分の場所を「知覚」する。
深い海の中に沈められたかのように、薄暗く青く濁った空間。その空間を無数に青い線の描く光がまるで魚の群れのように周囲を回っていた。
衛利の体は空間の中に浮かび、とりあえず手足を動かしても移動出来ないと分かると、声の主を探すためにあたりを見回した。
「誰?」
【ここよ】
声の主は突然目の前に現れた。いつもなら異物が目の前にくれば、すぐさま応戦するのだが。今の衛利はそうすることも出来ないほど気怠く、世界そのものが衛利の存在を不安定なまま現したような。この空間で衛利は完全ではない。あるのはただ自分の意思だけだった。
衛利は声の主が人型の黒いシルエット。長い髪に女性的な体系で徐々にそれが女であることが分かった。
「あなたは?」
【私は誰でもない。あなたの望みを支えるために存在しているわ】
「誰でもない?」
【そう。私は人ではないから、いつでもだれでもここに人間の意識を引っ張ってこれる】
この空間で不自由な衛利に比べ、シルエットはあっちこっち自由に飛び回る。
「何かのプログラムなの?」
更に聞こうとするが、シルエットの右手が衛利の口を優しく触れて塞いでしまった。
【それはいずれわかること。私はあなたに聞きたいことがあって呼んだの】
手を放したシルエットに衛利は困惑して答えた。
「いったいなに?」
【あなたの望み】
「望み?」
【ええ。私はあなた望みをかなえようとするために存在しているのに。あなた自身が何も望んでいないの】
「……私はこの都市と、人々を守るために戦ってる」
シルエットは首を横に振る。
【あなたの意見は脳から発する意思に一致しない。それは本当にあなたの願望ではないわ】
「……」
衛利は答えに窮してしまう。
【本当はないのね。特に目的もなく命令されたから戦う】
「それが私の役目よ。どうして私の名前が『衛利』なのか分かる?」
自嘲気味に尋ねる衛利にシルエットは冷静に答えた。
【イヌモの『利』益を『衛』る為、でしょ?】
「知っているなら……」
【それも違うわ。あなたは建前にすがりついてるだけで。願望が一切感じられないわ】
「私にそんなものはいらない!」
衛利は目を閉じて顔を背ける。
【怖がる必要はないわ】
「知っているくせに!願望やエゴがいずれどうなるのか私は見てきた!人の望みはいつか自分や他人すら殺してしまうって!研究者達も、イヌモの上層も……」
言いにくそうに口をつぐむ衛利にシルエットはつぶやいた。
【お兄さんも?】
「そう。私はあの人がなぜイヌモを裏切ったか分からないけど。私はただ」
【そうね。あなたはお兄さんが居ればそれでよかった。いつか結ばれたいとも……】
「言うな!」
衛利はシルエットの言葉を叫んで打ち消す。
「言うな。そんなことはもう……」
【彼は死んだわ。もう叶うことはないけど、あなたは生き残った】
「結局。死んでるようなものよ」
【でも、生きている】
目を開けてもうつむいた衛利にシルエットは両手で顔を上げさせる。
【私を見て衛利。私はいつでもあなたを助ける。今じゃなくていい。あなたには近いうちに自分の願望を持ってほしいの】
「なぜそこまでして私を?」
【私は人の願望を助ける為に生まれた存在。私と繋がる限り私はあなたを見捨てないわ。それじゃあね】
その言葉に衛利ははっとした顔で驚愕した。
「まさか!そんなことって……」
その瞬間衛利の体は足の先から霧散して意識は遠くなる。だが、衛利の知覚は明るさを感じ音も徐々に聞こえ始めた。
……
「あっ!今、センノ先生呼んできますから」
驚いた様子の看護婦はベッドに裸で寝かされた衛利にそう言って部屋から出ていった。開けたばかりの目が慣れて首を動かすと、横に置かれた台には濡れタオルと少し湯気がたったバケツが置かれている。
周りを見てここが特別な病室であることは分かったが、体の至るところに取り付けられた機器やそれに繋がっている壁のように巨大な機械が少し昔の旧式であることに違和感を感じた。ホログラムでない液晶のバイタルモニターが鼓動を刻む。明らかに衛利の知っている場所ではない。
セントラルビルではないならここは一体どこだろう?
「……っ」
起き上がろうとするが体に力が入らず自分の体が重たすぎて動けない。諦めて寝そべることにした。そうするうちに若い医者と先ほどの看護婦が病室に入ってくる。少し背が高めで眼鏡をかけた白衣の医師は優しく衛利に話しかけた。
「こんにちは利府里さん。気分が悪いところはありませんか?」
「ありません。ここは?」
若い医師は衛利の体の上にバスタオルをかけながら答えた。
「中央病院です。難民居住区の」
「電気が……」
「ええ。人道支援によって電気や水の供給が開始されました。ナムル代表がすぐさま動いてくれたおかげです」
衛利は目を見開いてから問いただす。
「ナムル代表は無事なの?」
あくまで彼女の目的はナムルの護衛だったのが、途中で意識を失ってしまった衛利には今すぐにでも情報が欲しかった。
「代表は無事です。超党派の議員が安全な場所で話し合いの場を設けてくれたんです」
「そうですか……」
その間にも衛利が目覚め、スリープ状態であった生体CPUが起動し始めると、護衛任務から4日の昼過ぎの日時を示す。
「すごい生命力ですね。並みの人間なら死んでいるか、助かっても1か月以上は意識がないと思いますね。ほとんどの臓器が損傷して一部は機能不全まで陥っていましたから。でも、あと生命維持装置に繋ぐのが十分遅れていたらどうなっていたか」
その話は衛利の腑に落ちない。ナムルが交渉しに行って人道支援が開始されるまで、死にかけていた自分はどうやって命を繋いだのか。交渉が早くはじまったところで5分、10分でついた話でもないはず。
「私はどうやってここまで? 電気だってすぐ点いたわけじゃないですよね。生命維持装置をどうやって動かしたんですか?」
「この子が運んできてくれたんです」
気づかなかったがラングレーが二足で立ち上がり前足をベッドにかけて衛利を見守っていた。その様子に衛利も少し顔を緩める。
「ありがとう。ラングレー」
「あと、あなたの戦いをみんな病院から見ていたんです。血だらけのあなたが運ばれてきた時に、みんなが急いで配給品の燃料をかき集めてくれたおかげで非常用発電機と生命維持装置を動かせたんです。それに。ほら」
院長が指さした机には花束が置かれていた。決して花屋に置かれているもののようではなく。そこらの道端から採ったきたため綺麗とは言えないが。
「子供たちがあなたに元気になってほしいってくれたんです」
「……」
衛利は黙ってそれを見て沸き上がる感情を取り繕うとするが、表情が強張ってしまう。
「ごめんなさい。今は一人にしてほしいんです」
「分かりました。また何かあれば」
立ち去ろうとする若い医師に衛利は慌てて聞いた。
「すいません。あなたのお名前は? 処置もしてくれたんですよね。ありがとうございます」
医師は首を横に振った。
「私はただ医療用ナノマシンを注入しただけです。そうですね。私の名前は杉奈良千之と言います。外国から来たばかりの方にはセンノと呼ばれています」
それでは。と断りを入れて千之は看護師を引き連れてすぐに部屋から出ていった。扉が閉まると衛利は口を開く。
「……ねぇ。ラングレー」
「くぅん?」
「私は。あんなのをもらえるような人間じゃないわ。この前だって反乱を起こした難民をいっぱい殺したもの」
「……」
「誰かから、願いを持てと言われたわ。だけど、怖いの。私が今までだれかを傷つけてきたのは誰かにやれと言われたから。誰かのせいや誰かのためにって言い訳出来れば心が楽だった」
衛利自身はラングレーに喋りかけているつもりだが。既に衛利は自分に喋りかけていた。
「でも。やっぱり私がずっと不満なのは、私の思い通りに世界を動かせないからなのかな?……」
そう言うと口を閉じてまた上を向いた。これ以上は無意味だと思った。
生体CPUからネットニュースにアクセスする。情勢の更新を行っているうちに衛利は再び深い眠りへと落ちていった。




