一縷の望み
柿種からの連絡を受けた鋼埼はすぐに寝間着からスーツに着替えて車に飛び乗り、自動運転を始めると通話を続けた。
「それで? 状況はどうなっている?」
『今のところナムルは無事だ。利府里が付いている。だが、難民居住区の火災がひどくてこのままだと壁まで火が回るかもしれない』
「壁までか……」
難民居住区の出口は九州新都市へと延びる橋しかない。難民達が脱走しないように壁が居住区を囲っているのだ。もちろん居住区が停電している中でも壁に流れる高電圧と監視カメラは常に莫大な電力を供給され監視を怠ることはない。
『警察機構のなけなしの戦力も奈須玖の私兵だ。独立捜査官の俺じゃあどうすることも出来ないんだ』
「分かった。何かないかセントラルビルまで行ってみる」
そう答える鋼埼は緊迫している柿種の様子を察して鼻で笑って見せた。
「ところで泣きついていいのか? イヌモのこと嫌いなんだろ」
『ああ、イヌモの事は嫌いさ。いくら統治形態が議会制に変わろうともそのイヌモがこうやって暴虐を繰り返しているからな』
「いつまでも懲りないと呆れているのは同感だよ。これからこんな感じに戦い続けるんじゃどちらかが死に絶えるまで続くかもしれない」
『もう後戻りできないところまで足を踏み入れているかもしれないが……』
柿種は悲痛な気持ちが鋼埼にもよく分かる。例え最初にイヌモが目指したテクノクラートによる純然たる科学者の国家は段々と従来の官僚国家的な性格を帯び始めている。
「難民を受け入れたのだって実験体確保だけじゃない。設立当初のイヌモがそれだけ国際支援を受け取っているからな。自業自得と言えばそれまでだ」
『そのツケを払うのは今の人間たちか』
先の見えない時代。今さえあればそれだけでいいと考えるのはむしろ当然かもしれない。しかし、今を求め続けた結果がこの有様ではイヌモの初期の統治者達が目指していたビジョンが不明瞭だったか考えたくもないが最初から存在していないのかもしれない。
『ふざけた話だ【知恵の実】が補佐しているはずじゃなかったのか』
鋼埼は少し黙ってから話し始めた。
「柿種さん。これはイヌモでは公然とした秘密だが、未来永劫の発展のために統治者が変わっても最善の政策を継承するのが【知恵の実】の本来の目的だった。だが膨大なデータは判断ソフトの処理能力を大きく超えている。ずっと昔から【知恵の実】は形骸なんだ」
『は?』
素っ頓狂な声が聞こえた。もし自分が生まれる前から政治の舞台で活躍していた人物が実は壊れた狂人であったと聞かされれば、誰でもそうなるかもしれない。公然の秘密と前置きしたのは鋼埼がこの話題に詳しすぎるからで、他人から見てどれだけ重要であるか知っているかよく分からなかった。
「ああ、だからこれまでの政策提案はイヌモの収益重視を優先にすることでだましだましやってこれた。だが、二鏡体制の前の経営陣はその収益を上げる手段を自分の部門でやろうとした結果。そこを利府里司徒に付け込まれて瓦解した」
ありえないと言いかけながらもその事実を受け止めた柿種が疑問を投げかける。
『おい……俺たちが今までやってきたことはなんだったんだ。ずっと壊れた機械の後始末じゃあないんだろ?』
「いや、活用されても最終的に判断したのは人間だ。今の状態はマイナスだが、まずは0にもっていかなくちゃならない」
『どうするんだよこんなことになっちまって』
柿種の失望感が声からにじみ出ている。柿種だって【知恵の実】に期待を寄せて頼っていた面はある。柿種だけではなくこの九州新都市で生まれ育った人間なら誰だってそうだ。
「まだ希望が潰えたわけじゃない。ここを乗り切って【知恵の実】の判断ソフトをアップグレード出来れば本来の意義に沿った存在になる」
『出来るのか?』
「構築中だ。これが完成すれば数字ではなく本当に人のためになるっと。もう着く。とりあえずなんでもいいから戦力になりそうなものでいいんだな?」
『ああ。とにかくなんでもいいから、……何? 増援?』
困惑した柿種の声につい鋼埼は反応してしまう。もしかしたらその「増援」は自分たちの味方であるかもしれないと一瞬期待してしまったのだ。
「どこからだ?」
『……警察機構が防人を100体前後難民居住区に送り付けたらしい。それとモビルマテリアルが入ったタンクが輸送されている。何に使うんだ?』
「分かった急ぐ。それとモビルマテリアルは使おうと思えば足場にもなるからな防人の支援のためだろうな」
セントラルビルのエントランスから走り出した鋼埼は、すぐさま自分の権限で入れるプライベートフォースの装備保管庫をかけずり回ったがどこも警察機構に接収され、自律兵器どころか武器の一つも取り出すことが出来なかった。
最後の希望とばかりに解体された特殊試験課の使っていた小さな整備場を思い出した。あそこならアイギスの予備パーツやラングレーの歴代ボディが整理されていなければそのまま残っていたはずだ。足早にそこへと急ぐ。
(だがな)
問題は例えそれで装備が組みあがったとして誰がそれを着るのか。鋼埼もイヌモ幹部学校で軍人訓練を受けたり、海外派遣で司徒の実戦データの収集に当たったりしていたが。この文字通り規格外の代物を扱える人間は生体CPUを持った人間しかいない。
「いや待てよ」
ふと足を止める。一つあることが思い浮かんだ。
「いやーねぇわ」
かむりをふるって否定する。あまりに自分の考えたことが普段の自分ではありえないほどありえない考えをしている。
「……うーん。いや」
だが、最後には「試してみる価値」はあるだろうと結論付けて進路を返すと一階の病棟へと向かった。
―――
アギは薄暗い空間で、自分が剣を持って目の前の人間に突き刺している事に気が付いた。視点は高く自分が真っ黒い服のような物を着ているのが見えた。
アギに突き刺された目の前の男はそっとアギの肩に手を置いた。
『俺の、ようには、なるな』
そう言って男はゆっくり後退して自分の胸から剣を引き抜いた。アギは目を背けようとしたが、体が動かずにまるで自分の体ではないかのようだった。すると突然。体が急に男から飛び退いて距離を取った。
何がなんだか分からないままのアギにその場で男がジャケットを開いた瞬間、爆散する。倒れたままのアギは荒い息をしながら剣を地面に置き黒い両掌を見ればべっとりと血が垂れていく。そして、徐々に自分が「唯一の家族」を、「尊敬する人」を、「愛していた人」を手にかけた事に頭の理解が追い付いた。
「……あっ」
両膝を着いて手を地面にこすりつける。しかし、地面に血が付いただけで手から血が離れることはない。それから何度も何度も手に付いた血を地面にこすりつけたが、血は薄く手のひらに伸ばされただけで決してアギの手から離れることはない。
突如スポットライトに照らされアギは目をつむると大柄の男が駆け寄ってくる。
『衛利!大丈夫か!?』
その男は背中からライトを浴びてシルエットのようでよく姿が見えない。男がアギの両肩をがっちり掴んで揺らす。
『衛利!』
「鋼埼さん助けてください。落ちないんですよ」
アギが自分から発した声ではない。ただ自分から出した声であることは分かった。
『なに? 何がだ』
「血、落ちないんです……お兄ちゃんの血が」
……
「違う!それは」
目を覚ますとアギは衛利の胸の中で抱き上げられていた。
「それはあなたの記憶じゃない」
衛利はアギのうわ言から自分の記憶の断片が流れ込んだことに感づくとすぐさま目を覚まさせてアギを地面におろした。
「神様?」
かつて自分を悪漢から救ってくれた黒い女神。その存在に興奮できるほどの体力もないアギは地面に力なくへたれこんだ。
「立てる?」
力なく首を横に振ったアギを再び衛利が抱き上げる。
同調した脳波の交信は自分の思いや相手の思いが入り混じり、否応なく双方の情報がやり取りされる。まるでフラッシュバックするかのように強烈な記憶断片が相手へと伝わってしまっていた。
「みんなどこにいるの?」
多大な苦痛と目が覚めたばかりで混乱するアギは不安そうに衛利に問いかける。
一方アギから衛利に伝わったのは難民居住区を背景に子供と親が手を繋いで歩いている光景ばかり。他愛のない記憶でもアギの心の隅に抱く憧れが衛利に重なって思えた。
家族が居なくなった者と家族が元からいない者。衛利は自分とアギの人生を対比させてしまうが自分こそが悲惨であるとは言わない。ただ右手で体を支えながら左手でアギの頬を撫でる。
「大丈夫。貴方は今一人じゃない。私が助ける」
穏やかな声でそう言うとアギは瞳を閉じてから。
「ありがとう。衛利様」
記憶の交錯によってつぶやいた言葉に衛利はおかしくなってふふっと場違いな笑みを浮かべる。それからすぐさま生体CPUを介して柿種の通信が入る。
『衛利!敵の増援だ。相手は100体近い防人とモビルマテリアルを詰めたタンクを空中で輸送している!』
「モビルマテリアル? どうして」
『俺にも分からん。鋼埼が言うには足場とか進軍を助ける為だろうと言っていたがな』
「分かりました。ナムルのもとへと戻ります」
『ナムルは先に中央病院へと行くと言っている。中央病院に向かってくれ』
衛利は右腕の疑似筋力繊維をほぐしてアギの体をしっかり巻き付かせると左腕の疑似筋力繊維を建物の屋上へと射出し、アギの体に負担がかからないようにそれでも素早くその場から離脱した。
―――
ボックスの部屋には大型のモニターと被検体3番が駆けずり回って処理した配線が綺麗に諸々の機械へと接続されていた。その部屋には一体の機械と一人の人間が大型モニターで難民居住区の火事の様子を見ていた。
装備を整えたセルゲイにボックスは申し訳なさそうに言った。
「すまないね。イヌモに帰って来て早々奪還作戦とは」
「いいのです。どちらにしろユリアスは祖国へと連れて帰らなければなりませんから」
「再びオリジンの依り代になってもらえるならこちらも嬉しい限りだよ」
ボックスの言葉にセルゲイはそっと目を閉じて感情を処理するがあまり良い感情を抱いてはない事はボックスも承知だった。
「それから『生体機兵』の実証データ。待ってるよ」
「あなたの作品。心強く使わせていただこう」
二人が視線を向ける棺桶のようなコンテナ。数体の作業用汎用フレームが運ぶそれを見ながらセルゲイはつぶやいた。
「機械が兵士を運んでいる」
「どれだけ科学が進もうと、なんだかんだ一番優れた兵器は人間なのさ。科学はその手伝いをしているだけだ」
「なるほど。貴方らしい言葉だ」
ボックスはコンテナと共に部屋から出ていくセルゲイを見送ると大型モニターを切り替える。モニターには赤い色をした光の線が集まり一つの球体を形成していた。
【ORIGIN】
そう名付けられた判断ソフトはシミュレーション上で単一の個体で力強く知恵の実のほとんどの記録データを処理する。
「やはりこういう結果になったか」
ボックスは小さな体の肩を落としてつぶやく。
「データに複合体である必要はないし多様性も必要ない。個体ごとのブレも格差も無駄な物だ。単一の最強さえあればそれでいいのに。なぜだ?」
疑問を呈するボックス、きっと今の感情を言葉にすれば哀愁と言うのだろう。「思考」の隅で思いながらボックスは失望するように吐露する。
「あなたは堕落した。マスター《鋼埼》」




