超越
一週間がはやいですね。
もしESP能力が日常のものとなり、人々の理解を得られていたなら。外部から与えられた恐怖の正体に気づく者もいただろう。しかし、それに気づく者はただ一人しかいない。
「な、なんだ?」
(この感じ。ESP能力が暴走している?)
ナムルや側近たちはあたりを見回し始めると衛利はここから少し離れたところから今まで感じたことない強さの脳波を感じ取った。一瞬自分の感情であるかと錯覚したが兄から受けた特訓を思い出す。
「すぅ……はぁ」
深呼吸。無心の5秒を作り上げ「訪れる感情」と「湧き上がる感情」を剥離させる。自分の心は常に冷静だが訪れる感情は底知れない恐怖だけ。敵に襲われている時にわずかに感じる感情と似ている。
「みんな落ち着いてください。私の言う事をよく聞いてください」
衛利は少し自分の意思を脳波で飛ばしながらナムル達に話しかけた。
「これはみなさんの感情ではありません。これは外部から送られている感情です」
理論的に話したところで聞いてくれるかどうかわからない。なるべくざっくりと今この恐怖を納得させて落ちつかせることが先決だった。しかし、それでも冷静になりきれない側近の一人が興奮気味に言った。
「外部から送られる感情ってなんだ!? イヌモはそんな『兵器』を開発していたのか?」
「兵器」の言葉が衛利の心に突き刺さる。それでも気にしてはいられない。
「ともかく今はこの恐怖が自分のものではないと理解してください」
衛利が説明しているうちにだんだんと別の路地から悲鳴や騒ぎが聞こえてくる。
「みなが同じ感情になっているのか? 原因はなんだ?」
ナムルがつぶやくと衛利はすぐさま答えた。
「この近くに強大な脳波を送れる人物が居ます。どのような人物であれ、止めない限りはこの脳波が周囲に振りまかれ続ける事になります」
「……止められるか?」
そう言うナムルの目には期待が込められていた。だが、衛利は首を横に振った。
「私の任務は身辺警護です。直接な害がない限り離れるわけには……」
「いいや。これは私を害する可能性がある。周りの人間は不安で興奮している。ここで暴動でもおきて巻き込まれたら身の安全が確保できないだろう?」
建前であると衛利には分かっている。難民たちの受けている恐怖を取り除くのが彼の求めることなのだ。彼は小さな路地に入ると「ここなら暴動に巻き込まれない」と言って立ち止まる。
「ナムルさん!やめてください。もし爆撃がくれば」
衛利は必死になって彼を止めた。小さな路地は目立ちにくいが逃げ場はない。もし爆撃ドローンが接近すれば間違いなく彼は死んでしまうだろう。
「だが、外も危なくなってきている」
確かに先ほどから通り過ぎる人々は興奮して殺気立っている。これも与えられた恐怖を自分の感情だと思い込んでいる人間たちが恐慌寸前の状態で炎から逃げ回っているからだ。
もはや周りは昼のように明るくなっている。雲は目下の赤が浮かび上がり焦げ臭さも更に危機感に拍車をかける。
「分かりました。でも10分以内に戻らなければすぐさま移動してください」
「分かった」
「ラングレー」
衛利はラングレーを呼びつけるとナムルの身辺を守るように伝えてから、右足のかかとから疑似筋力繊維を伸ばし大きく跳躍して屋根に上る。それからは屋上の構造物に体の各部から疑似筋力繊維を撃ちだしてからの収縮を繰り返して飛ぶように移動すると気配にはすぐに近づくことが出来た
(しかし、ESPに目覚めていない人たちすらこれほどの影響を与えるなんて……)
ESP能力。他人の脳波を明確に感知出来るようになった超能力だが、程度は先天的才能に左右されても、実は普通の人間にある程度訓練を施せば扱えるようになる。それでも非能力者は脳波を受け取る事は出来ても感知するまでに至ることはない。
衛利の眼下ではパニックに陥った人間の群れと狂暴化した男が武器を取ってそこらの人間を襲っているのが見えた。その男が持っている武器を通りがかりにコインガンで狙撃して破壊すると脳波の中心へと向かっていく。
その時だった。
「ちっ」
疑似筋力繊維を下方に射出して屋上から建物へと隠れる。わずかな脳波と同時にアイギスの警告が脳に通知される。
【4時方向に狙撃注意】
地上へと降りると衛利を狙う脳波が移動を始める。単独のようだ。
二丁のコインガンを取り出して壁を伝ってなるべく身をさらさないように注意しながら進むと、小さな路地にうずくまり頭を抱えて丸くなっている幼い少女を見つけすぐさま抱きかかえる。
「うう……」
目を固く閉じ全身から汗をびっしょりと濡らしたアギは衛利の腕の中で唸る。
(こんな女の子が?)
それでここからどうすればいいのか衛利は分からなくなった。ナムルはこの人々を混乱に陥れる脳波を止めろと言った。だが、見るからに制御不能な脳波を放つアギは言っても止められないのは明らか。
「試してみるか」
そう思った時に衛利は屋上を見上げると、透明な輪郭が徐々に緑色のマントとなって降りてきた。
「すまない。この子は俺の連れなんだ」
視線の先には緑色のマントと右手に疑似筋力繊維を仕込んだガントレットをつけた被検体3番が居た。地面に着地するといつも装備している相棒である対物ライフルではなく拳銃を衛利に向けた。
「反乱の日以来かな? 元気そうでよかった」
「馴れ馴れしい挨拶は好きじゃないの。それに今あなたに構っている暇はない」
「私もナムルが危険に晒されるのは好ましい事じゃない。だけどその女の子を回収しなければならない。渡してくれないかな」
「これほど強大な力を得体のしれないあなたに渡せると思う?」
「だったら」
素早く3番は駆け出すと衛利の顔面に拳をふるうが衛利もアギを抱えたまま上体をそらしながら右足で3番の拳をはじくと、左足を踏みしめて態勢を整えてから右足を突き出す。3番は両手受け止めようとするが疑似筋力繊維がハリネズミのように右足から突き出すとたまらず3番は飛びのいた。
「あなた司徒のコピーって言ったわね。だけど、今の私はあの時の司徒を一方的に殺せる。そのオリジナルすら超えていないなら私から何かを奪おうなんて無理な話よ」
本人も分かっているようでその顔から表情が消えるも焦ったり取り乱すようなことはなかった。
「なに。別にやり方は一つじゃあない」
そういうと緑色のマントが広がり3番を包みこんで透明化すると気配はどこかへと去っていく。
「逃げたか……」
衛利はすぐさまアギの額と自分の額をくっつけると強い脳波を直に浴びて苦悶するが、かつて兄から教わったESP能力が制御出来なくなったときの対処法を試してみる。自分が幼いころに一回だけ制御できなくなったときにとっさに司徒がしてくれた方法だった。
頭同士を引っ付けると脳波が別の脳波に影響され調律を始める。濁流のような脳波に引っ張られないように精神を集中させて自身のペースをアギに送り付ける。脳波を飛ばして同調するよりははるかに効率的な方法でも、それは相手が危険な存在ではない前提があるのだが。
(みんなどこ?)
「?」
当然脳波を発し受け取る者同士。当然自分の気持ちや考えたことをさらけ出さなくてはならない。アギから感じる恐怖と孤独が鮮明なイメージとなって衛利に共有されていく……。
―――
燃え盛る難民居住区を見ていると奈須玖は増援が送られてきたことを知った。確かに羽今に利用されているのは自覚しているが羽今に成り代わるためには彼がどこまで出来るのかを知りたかった。それから奈須玖は羽今の危険性についてまた改めて認識しなければならなかった。
警察機構から回収したハザードコアを解析しモビルマテリアルを従順な兵器へと変える方法を自分たちのものにした。今、モビルマテリアルとその動きをサポートする媒介液が詰められたタンクが巨大なドローンによって空から輸送されていく。
「アレはもう来たか?」
その様子を苛立たし気に奈須玖が部下に確認させると部下が隣の橋を指さした。
「遅いぞ。私が戦果をあげる前に終わったらどうするつもりだったのだ」
あの小柄の付き人への制裁を考える奈須玖の目線の先には複数台のトラックに載せられた大量の防人。その数は100を下らない。
「被検体2番に勝てないなら勝つ必要はない」
流石にこの数を送れば衛利もお手上げだろうが、損害も少なくはない。だったら戦いを徹底的に避けてから目的を達成する方がスマートだ。
「せいぜい犬共に踊らされているがいい……」
マテリアルハザードは邦人たちの間で基本的な4足歩行のオオカミを揶揄して犬と呼ばれている。
「今のイヌモを誰が守っているかを教えてやる」
奈須玖は笑みを浮かべながら増援を見送った。




