混乱の予兆
前回あんなこと書きましたが衛利さんはまだ誰も知っておりません。
工場を焼いた炎が難民達の寝泊りする場所まで引火するまで時間はかからなかった。電気が供給されずに水も出ない中で、人々は誰しも炎の前では無力を悟り逃げ出すことしか出来ない。ナムルと合流した衛利は偵察に当たっているビードローンのガイドに従い火から逃れていた。
「イヌモは難民たちを救う気はないようだな」
一息ついたナムルは努めて冷静に口を開いたが、ESP能力で思考を感じる衛利には彼がとてつもない憤りを抱いているのが分かった。上空にはナムルを狙った爆撃ドローンが襲来しては「シックスアイ」の格闘によって撃墜されていく。それ以外は消火剤どころか被害を把握しようとすらしていないようだった。
『難民居住区から火の手 漏電が原因』
衛利が片手間でアクセスした電子速報の記事に「敵」がすでに邦人への対策に手を回していることを知る。
(二鏡さんが社長の座にいてくれれば)
つくづく政治的な介入が味方であれば心強く、敵であればこれ以上なく厄介なものである事にも気づかされる。どのように特別な能力が備わっている人間があがいても絶対に勝利できない「敵」が存在することを衛利は認めざるおえなかった。
「利府里司徒ならどう動くかね?」
「え?」
ナムルの口走った言葉に衛利は思わず振り返った。
「かつて仕事を一緒にしたことがある。彼はどのような状況にも指示を絶やすことがなかった。まるで常日頃毎日繰り返すルーチンワークを説明するようにね」
「その仕事はどんな……」
「タリレンの人工島だ」
「タリレン!?」
衛利は思わず立ち止まる。およそ3万人が一夜にして虐殺された旧体制イヌモの大罪悪に携わったことに衛利は驚きを隠せなかった。難民たちの立場であれば関わった人間はただでは済まないが、周りの側近たちは驚いていないあたりそれを承知のようだった。
「私はもともとあの人工島に住んでいた。難民居住区が整備が終わってからもずっと使われ続けた。あの日まではな」
「なぜ。あんなことに手を貸したんですか?」
責める資格は衛利にはないが理由はどうしても聞きたくなる。
「生きるためだ。情報提供者だった私は自分の家族の脱出を引き換えに作戦に必要な情報を提供した」
「貴方の知り合いはどうなったんです? そこに住んでいるなら関わりのあった人間もいたはずなのに」
ナムルは衛利から目を背けた。
「周りにいる」
側近達は難しい顔をしてうつむいている。
「……」
「まるでソドムとゴモラのようだろう? 助ける人間が選別されると3万人もの人間が一夜にして殺された。だが、家族は私を軽蔑してしまったようだ。あれからすぐに私の前から消えていってしまった」
「探さないんですか? 家族なんでしょう」
「探したところで家族が私を許すことはないだろう。だから許してくれるまで私は贖罪し続けなくちゃいけない」
それぞれが物思いにふけるなか。雲が緋色に染まる空の下で炎から逃れる人々の怒声がだんだんと一行の近くまで迫っていた。
(?)
ふと衛利はここから少し遠いところにある気配を感じ取ることが出来た。
―――
「んん……」
いつの間にか病室の椅子で眠りこけていたユリアスが顔をあげる。するとベッドの上のシスターグランマは上体を起こしていた。
「グランマ」
「リリー。ここは?」
「セントラルビルです。みんなは無事のようですが」
「そう。それは良かった」
安堵したグランマがつぶやいた。
「これも罰かもしれないわ」
罰。ユリアスはうつむいてから燃え盛る逆十字の光景を思い返すと同時にグランマがその言葉を口にすることに違和感を感じた。
「グランマ。貴方がどのような罪によって罰を受けたのですか? あなたはこれまで弱い人たちのために尽くしてきたではありませんか」
グランマはしばらく思案してから口を開く。
「ここにきて20年近く経ちましたがこれは誰にも話したことはありません。そうですね。中国傀儡の統一インドシナ共和国が成立する前に存在した国家群の一つで私は生まれました。そこで政府を守る民兵としてたくさんの人々を殺して回ったの」
「え?」
ユリアスはあっけにとられた。「あなたのような人がそんなはずはない」と否定しようにも心がぐらついて何も言えずにいた。
「経済発展とそのひずみに人々が翻弄されて『三日月と星』のような過激で本来の宗教とかけ離れた教義に弱者は救いを求めて立ち上がった。それらを殺すのが私の仕事だった」
「……」
「幻滅させていたならごめんなさい。本当の私は皆からグランマ(おばあちゃん)と呼ばれるような人間ではないの」
「なぜです?」
「……なぜ?」
グランマは震えているユリアスの疑問に困ったように聞き返した。
「なぜあなたはここで弱者の救済を始めたんですか?」
「そうね。かつて焼いた人々に。許してもらたいからかもしれないから」
至極単純な償い。許してもらいたい人が居る。
「ねぇリリー。あなたには許してもらいたい人はいるのかしら?」
その言葉にセルゲイの姿を思い浮かべると「価値を証明できなかった」罪がどう贖われるのかと考え一つの結論に至りそれはかなわない事であると頭から打ち消した。今の彼女には武器も外骨格もなくあの「黒い悪魔」を倒すことなど不可能なのだから。
―――
一人外に繰り出したアギは難民居住区の雰囲気がいつもと違う事に気が付いた。それから火の元である工場が見えると野次馬に混じってそれを見物していたが、だんだんと燃え広がり火災となると人々は逃げ出してしまい。一緒に離れたのは良いもののここがどこなのか全く分からなくなってしまった。
「うぎぎぎ」
路地に入ったところでアギは頭痛を感じ、あまりの痛さに頭を抱えて唸りながら座り込んだ。街行く人たちの恐怖の脳波が絶え間なく流れ込み脳が疲弊してしまったのとアギがこの恐怖が他人からのものではなく自分の物であると思い込んでしまった。
「おっちゃん。おっちゃんどこ? リリー? グランマぁ」
絶え間ない痛みと恐怖がアギの生存本能に拍車をかけ脳に潜むある細菌が増殖しはじめる。細菌は互いに繋がりコロニーを形成すると脳の至るところまで触手を伸ばし脳細胞に癒着させると活性化を促す。
「うっ……ううっ」
それが何を意味するか。他人の脳波の受信出来る範囲が更に広がり、恐怖や不安をもっと拾い上げて感じ取り脳にかかる負荷も更にあがっていってしまう。しかし、どれほど泣きはらしても炎が迫り始めた場所に近づく者もいない。炎はまだ遠いがアギはもう自力では歩けなくなってしまった。
燃え始めた木造の建物がバキバキと不気味な音を立てながら地面に崩れ大きな音と共に倒壊した。その時。
「ああああああああああああああっっっっっっ!!!!」
限界を迎えたアギの叫び声と共に、活性化し完全なESP能力を会得した脳から放たれる脳波はアギ自身の恐怖と不安を周囲の人間に振りまき始めた。強烈な脳波を受信した人々はアギの苦痛と恐怖を共有させられ一瞬で範囲内いる人間がパニックとなる。
ナノメーカー細菌は既にアギの頭や中枢神経まで根をはっていた。本来、脳と機械を繋げる生体CPU技術の根幹を成す貴重な有機物。それは親の生殖細胞に乗せられてアギに受け継がれた産物であることを今は誰も知らない。
なんとか一週間を回らなかった。




