際限なき愚かさ
セントラルビルの一階にある病院の一室。そこには3人の女性が居た。
一人はベッドの上で呼吸器に繋がれ意識が戻らないシスターグランマ。もう一人はボロボロの修道服を着たままベッドのそばの椅子に座り、壁にもたれかかる人物を睨みつけるユリアス。
「独立捜査官、柿種余里の代理として取り調べに来ました」
最後の一人。壁際で警察機構の制服に身を包んだ衛利が身分証を突きつけていた。ユリアスはそれを敵意の目つきで睨みつける。
「寄こす人を間違えましたね。化け物には何も喋る気が起こりません」
「勘違いしないで。これは取り引きだから」
「取り引き?」
衛利は威圧的な口調で揺さぶるがユリアスもそれに応じて口調をとがらせる。
「何を今更。もし私が何か情報を与えたところでイヌモが私たちに何を与えると言うの!もうたくさん!これ以上私たちが生きるのを邪魔しないで!」
「騒ぐな。患者が起きる」
周りが見えずに熱くなっていたことに気が付いて押し黙った相手を衛利は見逃さない。
「そこに寝ているおばあさん。右肺に末期ガンを患っていたので勝手ながら治させていただいたわ」
初めて知らされたユリアスは息を呑む。
「それが……?」
「外傷との治療代込みで、まず合計の治療費は5憶円を下らないのだけど」
その意図を汲み取り静かにユリアスは激怒する。
「そうやって揺さぶるつもり? 貧しい人間もとことん容赦のないのね。この人でなし!」
罵詈雑言にも衛利は動じず淡々と続ける。
「それから教会兼孤児院の再建費用。前より立派なものになるから総工費は20億円ぐらい」
「?」
「さらに孤児院の10年分の運営費用。飲食、教材、光熱費、衣服ひっくるめて約100億円。この全額、最低まずこれぐらいでどうかしら? 条件を加えるのも構わない」
衛利の告げる事を徐々に理解し始めたユリアスは先ほどより慎重に言葉を選んだ。
「ありえない。約束させて破るのは目に見えてるわ。第一そんな途方もない金額を誰が出してくれるの?」
「二鏡啓二前社長のことぐらい。貴方でも知っているでしょう? 彼が社長職を離れてから邦人と難民間の融和を目的とした財団を創設したの。今、その資金の投じる先を探していたところ」
二鏡の名前にユリアスは完全に言葉が詰まった。
「信用出来ないなら。今すぐにでも投資計画書を渡しましょうか?」
「そこまで計画が出来ているなら。私の協力がなくたって……」
「ええ、計画は実行に移されるわ。予定通りであれば2年後にね」
「2年後? どうして今すぐじゃないの!」
思わず椅子から立ち上がるユリアスに衛利は冷徹な態度を崩さずに告げた。
「あなたが協力するなら、けが人の治療費全額負担と教会復興の優先度繰り上げる。それが条件」
「……」
「するかしないかはあなたが決める事。でも、今年の冬は寒いそうよ」そう言い残して衛利は病室の扉へと向かう。
「待ちなさい」
ユリアスの待ったに衛利は足を止めた。
「なんであなたはそんなに人に冷たく出来るの? あなたに慈悲や憐れみはないの?」
顔だけ少し振り向いて衛利はささやくように言った。
「貴方は教会を守る為に色々手を尽くしてきたそうね。私からすればそれと同じことだから」
―――
襲撃されたナムルの無事とユリアス・ホワイト健在と捕縛をボックスに報告した3番。ナムルを襲ったのはボックスの意思ではない事を確認し、次の指令が来るまで待機するように命令された。
彼は今、隠れ家のマンションの一室でエプロンをしながら台所で持ち運び出来るガスコンロに火をつけて炒飯を作っている。その横にはアギが物珍しそうな目で料理を見守っている。寝泊りするところもなく哀れに思った3番はなんとなく連れてきてしまった。
「おっちゃん。これさっきのと一緒?」
「そうだよ。触るとあぶないから離れてくれ」
アギの指差したのはガスコンロの先にある火。さっきのとは燃える教会のこと。あの光景を見ながらアギは怖がるどころか何が起きているのだろうと不思議がっていた。難民居住区では普通の人には手の届かない高値でガスボンベが取引され、ここに住む大半の人々の食生活は栄養スティックで満たしている。
火を見たのはこれが生まれて初めてなのだ。まだ3年しか生きていない3番も生体CPUを通してオリジンから情報や経験を取り寄せある程度常識があるが。まさか火を見たことない人がいる事自体に驚かされていた。
「ストーブみたいに熱いね」
「遠赤外線が出ているからね」
「えんせきがいせん?」
「それも知らないのか」
「知らないものは知らないよ」
無知とはなんとも恐ろしい。ここは私が教えてやらなくてはならない。謎の使命感に燃えた3番は台所の上に置かれたマッチを指さす。
「アギちゃん。両手を思いっきりこすってみて」
それから摩擦等の火おこしや可燃物の説明をするとアギは熱心に聞いてくれた。
「じゃあ木も乾かすと燃えるけど。そのままだと使えないんだね」
「そう。あと何かが燃えている煙は吸わない事。たくさん吸ったら赤血球のヘモグロビンと酸素の代わりに一酸化炭素が……」
「待って待って!せっけっきゅうやへもぐろびんって何? 酸素はさっき聞いたけどなんでここで出てくるの? あといっさんかたんそって?」
「えぇ?」
何も知らない人間を初めて目の当たりにした3番は、この好奇心旺盛の子供に舌を乾かす暇もなかった。それは炒飯で満腹になったアギが疲れて寝るまでそれが続いた。
……
ベッド以外の家具がない質素な部屋。毛布に包まりすやすや眠るアギを3番は窓から見る夜景にうごめく人々を見比べる。
老若男女。誰もがぼろをまとい道路をさまよう。一人だろうと集団だろうと皆、飢えていた。
「誰もが子供だったんだな。何も知らない……」
ここだけじゃない。川の向こう。海の向こう。大陸の向こう。誰もが何も知らない子供だった。その過半は慈しまれ生まれてきたはずだったのに。いつから彼らはこの地上に捨て置かれてしまったのだろう……。
―――
鋼埼の研究室にはデータを視覚化したホログラムが並ぶ。あれから鋼埼は二鏡と言う後ろ盾を失い研究予算も大幅にカットされた。
新しく行政のトップとなった羽今党首に【人工生命体による知恵の実の完全掌握計画】を提出していたが、鋼埼の目の前のモニターにはその返答報告が映し出されていた。
【出席議員からの理解が得られず却下】
ため息をつく。分からないなら直接出向くと再三言ったはずだがその尽くを断った挙句のこれだった。イヌモの利点であった電子化されたインフラ情報を基に寡頭制による早い判断が今の政治形態では失われている。それが鋼埼には退屈に思えてならない。
小さな青い線が球体を形成しているホログラムを手の動作で目の前に引き寄せる。知恵の実のコードの集合体は目にも止まらぬ早さで情報をさばいていくのが視覚化されている。
衛利を依り代にした知恵の実の完全掌握実験。稼働して20年の間増設と巨大化した知恵の実の判断プログラムは初期の判断基準を完全に逸脱している。最初は政策を作る資料の一つでしか使えなかったものが、今ではそれ自身が政策を作っている。二鏡が難民雇用のために難民居住区に栄養スティックの工場を建てたのから、現政権の栄養スティック原料出荷停止まで。
「おまえは誰の味方なんだ?」
ついそう呟いてしまう。信念もなく良心もなく。ただ権力を持った人間の願望を現実にする人工知能。それがシステムの宿命なのか。
(いや違う)
もしこのシステムを完全に扱えるならプラトンが提唱しあきらめた「哲人王」が実現する可能性がある。人々や人類を正しい調和の方向へと導く存在が生まれるかもしれない。その可能性があるなら今の争いあう世界は少なくとも良い方向に向かうはずだ。
(流石にロマンチストすぎるかもな)
自覚はしても止めるつもりはない。予算がなくとも二鏡からもらったポケットマネーは相当なものだ。これで開発を続けることが出来る。だが、問題は例え【人工生命体】が誕生してもそれが組み込まれるのか。もし不具合があれば不祥事どころではなく社会の存亡にかかわってくる。そのリスクをこの議員連中は受け入れるだろうか?
そう考えてると気が滅入る。あれならまだ旧体制のほうがアーテキクトがそろっていたので理解があったと懐かしんだ。それと同時に冠りを振る。
思い出すのはアイギスを身にまとい機械によって張り付けに拘束された衛利の姿。体中にチューブと機器を接続されゴーグルと酸素マスクが合わさり表情すら見えない。ただ苦しそうにくぐもった声をあげ続ける首元。そこに刺された栄養剤と制御ナノマシンが機械的に送られるチューブと、首を覆うように生体CPUの本体があるうなじに直接押し当てる知恵の実との接続を増幅する装置。
情報酔いで何度も吐きながら衛利は誰のためでもなく苦痛に耐え続けた。大量の情報を受け続けて最終的には自我も判断ソフトが支配し始めた。利府里司徒が反乱の際に弱体化のためと衛利の生体CPUにハッキングとウィルスを仕込み判断ソフトと切り離されてなければ、きっと衛利は命令だけを聞く廃人となっていただろう。あれはもう二度とやりたくはない。なぜ人を幸せにするために人を犠牲にするのか。
(いや……)
鋼埼は鼻で笑った。
(あの連中にとって衛利は人じゃないんだろうな)
あの頃を思い返していると突然デスクの通信コールが鳴り響く。合成音声である女性の声が鋼埼に問いかける。
【鋼埼研究員。柿種余里捜査官から連絡が入っています】
「通してくれ」
≪鋼埼さんか!? 今すぐ難民居住区に衛利を寄こしてくれ!≫
普段見ない慌てた様子につい鋼埼も早口になる。
「一体どうしたんだ?」
≪ナムリ氏が警察機構に指名手配された。自身の支持率を上げるために被害者を演出した、治安維持法に抵触する容疑でだ!執政員はすでに部隊の編成をほぼ終えてナムリ氏を逮捕するつもりだ。もしかしたらその場で殺す気かもしれん≫
「まさか……」
人の愚かさに際限はないのか!その言葉を飲み込みながら衛利の連絡先に手が伸びた。




