喪失を振り払って
「ラインBを13線から10線まで後退させろ。ラインA、Cもラインマイナス3後退しBとの連携を損なうな」
柿種は指令室から指示を出していた。マップには管轄する難民区画ではなく九州新都市の中央付近が表示されていた。
「4課とはまだ連携がつかないのか?」
「通信応答ありません」
柿種は顔をしかめる。
(4課オペレーションルーム(指令室)ももぬけの殻で残存部隊とは連絡が取れん。奴らいったいどこに行った?)
4課の戦力の大半が失われた事を柿種は知っている。残りの戦力も僅かである事もだ。それでも一人でも戦力が欲しい状況で逃亡したとは思いたくなかった。
「ラインBの自走セントリーガン全てが失われました」
「後は生身だな。ラインBの対マテリアルハザードランチャーの充足率は?」
「およそ78%です」
「ラインBの各班。マテリアルハザードが一点突破を図った際に後退、及び隣接班への救援の為にいつでも動けるようにしておけ。制空と補給は?」
「完全です。ドローンファイターの補給も追い付いています」
敵ドローンの偵察機も爆撃機も好きには出来ない。制空権があればこそこの防衛線は持っているようなものだ。爆撃ドローンが敵歩兵の集団に襲い掛かり、着発するように仕掛けたグレネード弾で数を減らしていく。
柿種はあまりいい気分はしない。このドローン群や武器は突如イヌモからプライベートフォースの余り物として受け取った物だ。
(二鏡社長は確かに野望を持つ人物ではなさそうだが……)
処分せずに残っている装備が数多にある。せめて売るなり解体するなり出来ただろうに。せめて理由ぐらい後で聞いても良いだろう。
(後でがあればな……)
そう苦笑した時に突然マップに反応が現れた。
「飛翔体、ヘリコプター。警察機構本部からです」
「本部からヘリコプター? まさか。全面航空規制だぞ。通信を繋げ」
柿種の指示で指令室とヘリコプターのパイロットと無線がつながる。だが、その無線先は突然切り替わる。
「3課課長だね? ここはもう駄目だ。指揮所移転の為に私たちは門司へ飛ぶ」
その声は警察機構トップの老人の声に相違なかった。私たちと言う事は上層部連中が丸ごとヘリに乗っている事に間違いはないだろう。
「了解しました。私はここで防衛の指揮を執ります」
柿種は淡々と返事する。いくら彼らが逃げ去ろうが今非難するには時間が惜しい。
それにうるさく言う人間が居なくなると思えば心配の種も減る。
「我々が新しい指揮所に到着する間に君がここの指揮を執り給え」
通信が切られると指令室が他の課と統合されデータリンクが1課から2課まで及ぶ。
「なんだよ。まだこんなに残ってたのか」
すぐに班を割り振り要人の警護以外の最低限武器が扱える人間を前線の穴を埋めるよう配置する。
未だに中央区への侵入はないが、イヌモの上層部の人間も避難を開始するべきだろうか。そう考え始めた時、オペレーターは叫ぶように報告した。
「か、課長!」
「どうした?」
「ヘリが、墜落しました」
「ヘリ? 上層部の乗ったヘリがか?」
「はい」
―――
「命中だ」
中央区にある建物の屋上。対物ライフルを構える3番は、墜落していくヘリコプターが地上に落ちて砕ける様子を見届ける。
「ボックス。目標をやったぞ」
(よくやった。外患を招く奴らは一掃されたな)
ボックスは通信先で安堵すると3番は足元の気配を見る。そこには1人の女性と1匹の犬が中央区へ向かって行くのが見えた。
偶然ではなく3番はそれらから目を離さす追いかけていた。そして目標を達成した今、唐突にボックスに聞く。
「ボックス。あれは放っておいていいのか?」
(放っておいてくれ。今あれに手を出している余裕はない)
「顔見せぐらいはいいのか?」
(それに何の意味があるんだ?)
「このまま放ってはおけない」
(おい!何を)
ボックスからのスピーカーをオフにして3番は人間ではありえない脚力で飛び上がる。柵を乗り越えると下まで落下する。
ボディスーツから伸ばした疑似筋力繊維を壁に射出すると、体を建物に引き寄せ指先を疑似筋力繊維で形成した爪で壁を削りながら下へ落ちていく。
絵里は既に3番に気づいており、降りてくる地点を見極めて距離を取り、着地すると二人は相対した。
絵里の足元にいるランが低い声で唸る。
「あなた、誰ですか?」
絵里は警戒するように男から目を離さず言った。
「初めまして。僕は遺伝子強化体3番」
挨拶すると犬型ロボットが仕切りに吠える。まるで3番の発言を遮るように。
「遺伝子強化体2番。いえ……今はなんとお呼びすれば良さそうですか?」
絵里は一歩後ずさる。
「人違いです。私はそんな名前じゃありません」
「おかしいですね。僕の知っている人だと思ったんですが」
頭をかいて3番はおどける一方で絵里は警戒を緩めずに問い詰める。
「……あなたは警察機構の人じゃないですよね。身分証があれば別ですけど」
「お察しの通り私は警察機構の人間ではありません。ただ挨拶をしておきたかったのです」
「挨拶? だから私は貴方の知人とは」
「では、利府里衛利と言う名前は知っているかな?」
もう一歩絵里は後ずさる。
「利府里……衛利」
何かを思い出すようにその名前を何回か口で繰り返す。ランは衛利に向かって吠えるとその周りをグルグル回って絵里の気を引く。
「記憶操作されているなら。何かきっかけがあると良いのですが」
「操作? 私はただ事故で」
「理由は分かりませんが衛利さん。貴方はなぜこんなところにいるんですか?」
「なぜって……」
3号はそう言って目を閉じてから息を吸うと唱えるように口を開いた。
「力なき人の為に戦う。貴方はそう教わったはずだ」
その直後に衛利の脳内に何かが訴えてきた。すると、何かがジワリと絵里の頭の中にしみ出したような気がした。
―――
「どうしてみんな衛利の事放っておいてくれないの?」
「みんな衛利に期待してるんだよ」
「どうして?」
「この世界に色んな事が出来る人がいても、なんでも出来る人はいないんだ」
「お兄ちゃんは?」
「俺にも出来ない事はあるよ。例えば……まぁいいや。でも力の弱い人と強い人は必ず存在する。弱い人は常に脅かされ、その時衛利が頼られる」
「頼られる?」
「そう。力なき人の為に戦うのが衛利の生まれた理由さ。その力は人を守るためにある」
―――
「……俺のようにはなるな」
―――
頭の中に穴が開いてそれが徐々に広がっていくように思えた。
「そう……だったんだ」
いつの間にか腰から下の力が抜けて座り込む。徐々に心臓の鼓動が早くなりまるで動脈で首が絞められたように息苦しい。
どうして今まで忘れていたのだろう?
私の家族は兄ただ一人だった。誰の腹から産まれたのも分からず、誰の卵子が誰の精子で発生したかもわからない。兄だって本当は血縁なんてなかったはずなのに。
本当はお姉ちゃんなんていない。叔父さんなんていない。最初から一人ぼっちだったんだ。
「いやっ」
違和感があって右手のひらを見ると、ベットリと血が付着し重力によって手首から服の袖から肘まで流れ込む。
左手の手のひらで血を拭おうと擦り合わせる。
これは誰の血なのか分かり切っている。なぜ流れたのかも知っている。
夢中になって拭ってから両手の平を離すと。先ほどの血はどこかへと消えていた。だが、手の感触はしっかりと兄の胸を刺した感触を覚えている。
「大丈夫か?」
声をかけられ私は目の前の男の顔を見る。
「そんな……。なんで!?」
利府里司徒。彼は一言残して自爆した。
自分のようにはなるなと言い残して。
そんな彼と男は瓜二つの顔を持ち目の前に立っている。
「僕は利府里司徒と同じ遺伝子パターンと同様の処置。そして知恵の実に残された断片的な記憶を引き継ぐ者。司徒本人じゃない」
思考を読み取ったのだと直感する。そうこの男にもESP能力があるんだ。
「本人……じゃない」
私はすぐにそれを理解、認めることが出来た。
「そう……ね。司徒は私が殺したのだから」
私はしばらく地面を見て再び顔をあげた時には、男は目の前から消えていた。先ほどの事がまるで幻のように消えていた。
あの男はいったい誰だったんだろう?
ただ心にあるのは忌まわしい日々に対する嫌悪感と兄を殺した手の感触と耳に残る最後ささやきだけ。
ようやく立ち上がった矢先。遠かった銃声は更に近くになっていた。
走って逃げる人々の姿と足音が次第に大きくなっていく。
私は、逃げ出したいと思った。
本当の自分は弱者を守っていない。守ったのはイヌモであってその為に何人もの弱者を手にかけた。
力を持つ資格もない殺人者。それが本当の自分。
ならいっそこのまま二鏡絵里のままでいた方が……。
そして、もう一人の女性が頭に浮かんだ。
「お姉ちゃん」
そうだ。もし利府里衛利である事を受け入れたなら、仁美はお姉ちゃんでなくなってしまう。
やっぱり逃げよう。私は二鏡絵里で少し悪い夢を見せられただけだ。
そうやって背を向けようとした時、背後で悲鳴が聞こえた。振り返ると青年が倒れ込み、それを少女が起こそうとしている。
「兄ちゃん起きろ!」
「先に行け。いいから」
青年の手にはライフルがある。血の付いた武器は青年の者ではなく警察機構隊員のモノだったのだろう。
つまり戦闘員の消耗はかなりところまで進んでいると予測出来た。
青年は後にライフルを構えるとそのまま乱射する。だが、マテリアルハザードの獣は軽々に避けると二人に向かって今にも飛びかからんとしていた。
「ラン」
口がうまく動かない、喉に呼吸がつっかえて言えない。口に出すのを嫌がっている。
仁美の顔が浮かぶと胸がぎゅっと締め付けられて痛くなる。この先を言ってしまえば私はもう戻れない。お姉ちゃんのいる絵里でいたい、でなければまた一人ぼっち(利府里衛利)になってしまう。
ラン。逃げましょう。
その言葉をつぶやけば嫌な過去を幻として終わられるような気がした。ただあの二人から目を背ける簡単なこと。
その後シェルターに逃げ込んで、全てが終わるまで眠ればいい。
「く、来るなぁ!」
青年の声と共に獣が見定めるように二人に近づく。
その叫びを聞いた時、私はもう我慢できなかった。
「うぁぁぁぁぁあああ!!!」
叫ぶ。頭を馬鹿にして助走をつける。頭の中で回る葛藤も全てなくして私は……。
「ラン、グレェェ!」
安らかな「喪失」を振り払う。もう一度、私は今度こそ自分の本当の使命がそこにあるのかを、確かめたいと思った。




