前夜祭
「ただいま」
夕暮れユンジャンが家に帰ると母のソナレが出迎えた。
「おかえり。いきなりで悪いけど……一緒にお買い物してくれない?」
「えっ、うん」
足元を見ると普段いないはずの父の靴が置いてあった。
……
二階にある一室。老眼鏡をかけ少し肥えた老人とミングが木の床に対面で座っていた。
「ミングよ。お前の気持ちはよく分かる。しかし、最近は情勢も安定し始めているんだ。難民への扱いも段々と良くなっている」
ミングは無言で端末を床におくと電源が入り光の線が浮かび上がる。
「いいえ。父さん。イヌモが例え待遇を良くしたところで、そのイヌモが打倒されれば我々はどうなるか分かりません」
光の線はホログラムになって地図となる。映し出される九州に周囲を赤い反応が囲っている。
「同士からの情報です。日本政府は国防海軍を九州の周囲に配置しており、陸空軍を中四国へと移動を開始しています。日本が侵攻するのは明白です。決起するにはもう今しかありません。」
「それではますますならん!もしお前たちが決起すればそれこそ攻め込む理由にも、我々を追い出そうとする理由にもなるかもしれんのだぞ!」
老人の怒声にミングは答えた。
「かつて我々は何も出来ずに故郷を捨てなければなりませんでした!今より遥かに力を持っていたにも関わらず!」
ピクリとシワのある老人の眉が動き小声で抗議した。
「それは敵が大きすぎたからだ。状況もな」
「父さん。私たちはやらない理由なんて探せばいくらでもあります!もしここを失う事があれば我々、いいえ。ユンジャンにも同じ思いをさせたくはないのです」
「……」
ミングは言い切ると老人は俯いて沈黙した。
もしここで立ち上がらなければ、次の強者は自分たちに何をしてくるか分からない。それがもし博愛や自由を標榜する勢力ならどれだけ気が楽だったか。残念ながらイヌモの次に支配権を狙う強者はそうではなさそうだ。
「米中は何をしておる」
「……双方とも内外の敵との戦いに手一杯な上に、お互い刺激し合う事は望まないでしょう」
ミングは端末をしまう。そして頭を下げてから言った。
「父さん。あなたの元部下たちがここに住み、各々が区域の自警団で治安を担っている事は知っています。この戦いに参加されればきっとうまくいきます」
歴史をミングは知らないわけではない。
武力で仕掛ける側は決して豊かであるとは限らない。むしろ豊かな者に対して貧者に残された手段は暴力しか残らない。
「それで。お前はどこで決着を付けようとしている? まさか九州全土を制圧するつもりではあるまいな。日本国防軍はあっという間に全てを奪還するぞ」
勝算。命をかけて行動するのであれば、そのくらいあって然るべきだ。暗に老人は含みを持たせる。
「九州新都市を抑えます。事態が始まれば国防軍が介入するまで遅くとも3時間。その間に九州新都市のライフラインと、都市に住む100万人の日本国民を人質に出来れば日本政府は我らと話し合いに持ち込むしかないでしょう」
「まさか。警察機構にすら勝てるかどうか分からないのに」
「下層にいる同士達には話がついております」
下層と言う言葉に老人は目を見開き。不敵に口元を曲げた。
「だが、例え500万の日本人を人質にしたところで、イヌモや警察機構の上役共のような(価値ある人間)は難しいだろう」
「ご安心ください。策はちゃんと用意してあります」
ミングは懐からもう一つ小さな端末を取り出して、それを父に差し出した。
―――
(近衛くん。どうだ様子は?)
警察機構4課の個別オフィスには音声だけの会話が響いていた。
「計画は順調です。都市の精巧なライフラインマップや「使えそうな人間達」のデータは奴等にリークしておきました。彼らはそれらビッグネームを捕える事でしょう」
(それはいい。騒がれたほうがこちらも気楽にイヌモの行政圏まで踏み込める。後は奴らが事を起こすだけ。悲願だった聖地「阿蘇の地」の回復はまもなくなされるであろう)
上機嫌な通信先に近衛は至って冷静だった。
「一つお聞きしてもよろしいでしょうか」
(なんだね?)
「万が一。4課が抑えきれなかった場合。国防軍が九州新都市に展開するまで。どれだけの時間がかかりますか?」
(そんな弱気では困るよ。難民共が立ち上がったところで、自警団に配られた雑多な火器で何が出来ると言うのかね? まさかイヌモや我々の兵器を駆使する君たちが負けるはずがない)
「万が一の事があります。敵は少なくとも、やっている事は重大です」
(……ふむ。後で国防次官から聞かせよう)
「感謝します。国防大臣」
……
回答は数時間経ってから来た。
【2時間】
九州新都市に国防陸軍が到着し展開するまでの間。それがもし自分たちで対処出来なかった時の勝利条件。
近衛は再び画面上のシミュレーターを起動する。自警団全てが蜂起したと仮定したシチュエーションだ。
警察機構4課
武装装甲車13両。無人攻撃ヘリ3機。自走セントリーガン54丁。武装隊員468人。
蜂起難民
推定1200人。小銃又は拳銃のみ。備考:一般車両の活用
4課が勝たない方がおかしい戦力だ。だが、収集している情報では相手はこの戦力でもやる気を見せている。近衛はどうしても理解が出来ない。進んでいる状況が余りにも出来過ぎている。難民達はこんな絶望的な差で、なぜ向かってくるのか。
覚悟か?
もし行政権が日本政府へと帰れば極右が参画している政権は彼らを排除するし、国民もそれを支持する。それでも欧州で起きている虐殺ではなく退去と言う形を取るに違いない。
流通する物資も乏しく都合よく労働に使われているのだから、彼らはそんな生活に良い思いはしていない。故郷でもなんでもない所の愛着などたかが知れている。
≪ここは命を懸けてでも守りたい所ではないはずだ≫
逆に言えば策があると思う方が自然だ。そうであれば何なのか……。
「うっ?……」
ふと近衛の呼吸がひどく苦しくなる。手元にあるマスク型の器具を付けてると、口内や鼻腔にレモンの香りが広がった。
徐々に呼吸を落ち着けると。器具を外し、抗ストレス薬を服用してクラシック音楽を流した。
しばらく深呼吸をして椅子に深く腰掛ける。
「ふぅ……」
ディスプレイの電源を切ると画面に近衛の顔が見えた。口がへの字に曲がり瞼が自然と下がる。
「これではまた自慢の愚妻に怒られてしまうな」
そう自嘲してしばらく目を閉じた。
―――
「やぁ二人ともよくきてくれたね」
セントラルビル上層のレストラン。夜景が見える展望台に構えられた場所に丸テーブルの席に座る二鏡啓二が手招きをする。
「おまたせおじさん」
慣れたように堂々と歩み寄る仁美と周りをキョロキョロして落ち着かない絵里が席へとやってくる。
「どうも、こんばんわ」
「はっはっは。そう硬くならなくていいよ」
啓二は気さくに絵里に話しかけて立ち上がると、隣の席を引き出して着席を促す。
「今夜は絵里さんが事故から復帰したお祝いだから。生きててよかったって思うぐらい食べよう」
「1か月くらい経っちゃったけどね」
コースは既に頼まれており、3人の前に前菜のサラダが並ぶ。
絵里は食器を器用に使う二人を見ながら慣れない手つきでフォークを取る。少し掴みにくそうにしながら、ようやく野菜を刺すと一口運ぶ。
「どう絵里?」
ゆっくり咀嚼する絵里に気づいた二人は目を見合わせる。
「ああ。無理しなくてもいいよ。病院食は受け付けなかったって聞いてるし」
気を使わせてしまったかと絵里は思わず首を横に振る。
「いいえ。私こういう食事なんだか食べ慣れてなくて……」
「だいぶ久しぶりだからね。ゆっくり体に慣らすといいよ」
二人は昔話をしながら食事を進めるが、絵里は自然と疎外感を感じなかった。だいたいは仁美が喋り啓二がほとんどそれに茶々を入れて、啓二が食事について喋るだけだが。
「それで絵里が連れてきた犬をねぇ……」
仁美の昔話を絵里は何も覚えていない。真偽もここでは分からない。
絵里は記憶を無くしても、大体の事は感覚が覚えていたからそつなくこなせた。しかし、喋りながら楽しく食事をすると言う感覚が全く戻ってこない。違和感すら覚えた。
料理の味も絵里はあんまり覚えていない。味は食べるのに苦労はせず間違いなくおいしかったのだが。必死に状況に追い付くことに頭が働いたせいでもある。
そんな様子を暗に感じ取っている同席者の二人も決して絵里を置いてきぼりにしない。それを絵里は嬉しく思えた。
「おいしかったかな?」
デザートのアイスクリームを完食した絵里はすぐ「はい」と頷いた。先ほどと打って変わって屈託のない笑顔を浮かべていた絵里に、仁美はふぅとため息をつくとすぐにお腹いっぱいと付け加えた。
……
仁美の運転する車で帰路についた絵里は都市を見ながら言った。
「お姉ちゃん。私たちずっとここで育ったんだよね」
「そうだけど?」
「いつかここから外の世界に出てみたいな」
「そうねぇ。でも周りの国はほとんど戦争してるわ」
「どうしてだっけ……?」
絵里は素朴に質問する。新聞も普段読んでいないから仕方がない。仁美はオペレーションシステムを起動しハンドルから手を離した。
「今世界は、自由主義に対しての揺り戻しが起きていると言っても良いかな」
「自由主義は駄目だったの?」
仁美は首を横に振るが、途中でやめた。
「そうじゃない。……とは言い切れないかな。移動、居住、受け入れの自由が結果的に世界のバランスを破壊してしまった。外から来た種によって生態系が破壊されたように」
「?」
「企業統治によって人種とか気にしていない私たちには馴染みがないかもしれない。でも国家に属するとどうしても民族や人種に目が向いてしまう。らしいわ」
「仲良くは出来ないの?」
「最初はそうしようとしていたみたい。今じゃ考えられないけど、ヨーロッパには白人ばかりが住んでたそうよ。国は豊かでその経済力を目当てに移民もたくさんやってきた事で、彼らは自分達の民族を少数派にしてしまった。国家は民族の保護と保障も兼ねているから、国が多数に配慮して自分たちを見捨ててしまったらって不安を感じてクライスアーリアのように過激な勢力が生まれてしまったわ」
「国を失うってそんなに大変なことなの?」
「ユダヤ人なんて神話の時代に滅びた国を約2000年ぶりに復活させたぐらい国を欲しがった。だけど今の時代。民族による国家はもう限界。イヌモによる企業統治は人種も宗教も関係ない新しい国家規模の集団の実験なの」
「イヌモが?」
「そう。この実験には失敗は許されない。もしここで潰えればこの世界は争うだけ争わないといけなくなる」
「……」
仁美はいつの間にか自分が真剣な顔になっていた事に気が付く。それでよかった。何も恥じる事ではない。
「お姉ちゃんには夢があるのね。私にはないな……」
絵里はほほ笑みながら言うと、思いがけず笑みを返す仁美。
「今から探せばいいよ」
ちょうど絵里のマンションの入り口まで車が停まるとドアが開く。
「でもごめんね。明日難民居住区で巡回だからってこんなに早く帰らせちゃって。タクシーもあったのに」
「ううん。いつも送ってもらってありがとう。お仕事気を付けてね」
絵里が降りて別れを交わすと、手を振って姉の車を見送る。テールライトが遠くなり曲がり角で消えるまで見送った。
ほとんど毎日顔を合わせる相手には別れも何気ない。
「姉妹最後の別れ」はこうして何気なく終わった。
近々外国に旅行するのでしばらくブラックスワンはお休み致します。
次回は6月30日に投稿出来ればと思います。
(追記)
旅先でWi-Fiつながったので投稿しちゃいました




