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加熱する釜

 闇夜に鳴り響くサイレンの音。駐屯地の兵士達があわただしく駆けずり回っている。たたき起こされたハン・ミングはすぐに着替えると廊下に出ると年上の部下が走り寄ってきた。


「何事だ!」

「ハン少尉殿。お父上からです。すぐにここから離れるようにと」

「馬鹿な事を、いったいどうしたんだ……」

「人民解放軍が越境しわが国を攻撃しています」


 ミングは頭が真っ白になって血の気が引いたのを覚えている。そして、ありえないと呟いた。


「間違いに決まっている!!中国は建国以来からの友邦で、南との平和統一も主導してくれたじゃないか。何の理由があって……」

「まだ確定ではありませんが。我が国の海域からミサイルが発射され、一発が日本に着弾した模様です。ラジオでは中国は我が軍への懲罰を理由に……」


 気が付けば駐屯地から出たトラックで揺られていた。喧騒ははるか後ろへ同乗者は少なかったが、後続にトラックが見えた。自宅にいた駐屯地の高官たちであろう。だが、今ではそんなことはどうでもよく、手あたり次第にラジオチャンネルを回して情報収集する。

 ラジオはノイズを鳴らしながら事態を徐々に明るみにした。


『ノースコリアが日本へ核攻撃。中国軍は安全保障を理由に安保理の決議を待たず攻撃を開始しました』


『福岡、博多の都市方面が壊滅。破壊力10Mtクラスの模様です。今のところ被害の全容が明らかになっておりません』


『米軍は東南アジア戦線海域から第7艦隊空母を東アジア海域に転身させており。必要とあれば中国軍とも連携を図る模様です』


『半島統一政府は北側の反統一派によるクーデターと断定し、旧韓国軍を主体とする統一軍を編成し旧北朝鮮領内に侵入。旧北軍は各地で抵抗及び降伏しており』


 ……


 深夜。ミングが家に帰る。他の難民とは少し違う少し大きめの一軒家。まだ難民の生活に配慮していた余裕がある頃の建築設計だった。


「ただいま」

「おかえりなさい」


 妻のソナレが出迎えた。時計を見ると既に0時を超えていた。


「寝ていてもよかったんだぞ」

「まさか。でもユンジャンはもう寝ています」

「父さんは?」

「お休みになられてます」

「そうか」


 シャワーで体を洗い食卓につくミングの前に並ぶ皿には、パック詰めされた野菜や肉が料理のように盛り付けられていた。


「あの頃からずいぶんマシな食事になったな」


 ミングはしみじみとそうつぶやいた。ソナレは首をかしげながらグラスにビールを注いだ。


「どうされたの? 今更」

「いや。故郷やここに来たばかりの事を思い出していた」

「……」


 10年以上家庭を過ごしてきた妻も、夫の複雑な気持ちに明確な言葉が浮かばなかった。


「我が祖国が撃ったであろう核はここを焼いた。皮肉にも『あの侵略戦争』の難民もまたここに収容されて、ここの人間からの報復も川が隔てる事で頻繁には起こらなかった。だが、あの川は発展する経済すら隔ててしまった。それにイヌモは何もしてくれなかった」

「イヌモも昔よりはマシになったわ。隣の家のスーヘンさんも生産局の……」


 妻の言葉にミングは首は横に振った。


「いや、そういう事じゃないんだソナレ。私たちには結局選択権がないんだ。今はここしかない。それもずっと息苦しい思いを我慢してきたんだ。ここには誇りも豊かさも、それをしようとする事も出来ない」

「今でも十分豊かよ」

「……」


 ミングは決して名誉や地位に不満を持っているのではない。ただ不安が少し零れただけの話に過ぎなかった。妻もそれを理解し、決してそれ以上戒める言葉をかける事もしなかった。


 ―――


「データは不足だが、稼働しているだけマシか」


 稼働している数台の強化カプセルの前でその様子を見るボックス。その付近には解体されたカプセルの資材が転がっていた。

 声はまるで不満気だが妥協して今の現状で出来る事をしている。すると施設内の通信が鳴り響く。発信先を見てため息をついたボックスは通信を開いた。


(遅い!3コール以内に取れと言っている!)


 厳しい言葉はかわいらしい女の子の声の不協和音で滑稽にも思える。


「すまないなスフィア。私も忙しいんだ」


 通信先にいるのは人間ではなく丸いマシンボディにカメラアイのついた人物。疑似筋力繊維の手で指をさす。


(何が忙しいよ!さっきからカプセルの間で突っ立ってただけじゃない!)

「見てたのか。せめてプライバシーは尊重してほしいな。それで、用事はなんだい?」


 ふんと鼻を鳴らしながらもスフィアは切り出した。


(警察機構の戦力が着々と増強されているわ。そして関門海峡では国防軍の巡視艇の数が増強され、岩国の航空基地でも大規模な航空戦力の移転があった。それに対して『表』はなんら抵抗出来てないみたい)


 表示されるデータには九州を取り囲むように配置された巡洋艦や航空基地に戦闘機、無人爆撃機が次々に集結している画像が表示された。


「二鏡社長は。あの人は中国側の要望で抜擢されただけのお飾りに過ぎないからな」

(イヌモが滅んだらこっちも終わりよ。お飾りでもせめて何かしらの手は打ってほしいものね。まぁその様子がないから、こちら側から仕掛けようと言う話なのだけど)


 ボックスはカメラアイを見開いた。


「こちらから仕掛けるのか? まさか自分たちから正体を明かすわけではないだろうな」

(3年前の自分たちはただ技術に純粋だったけど、やっぱりそれだけでは何も守れなかった。でも、今度は違う)

「全てを失うぞ……」

(逆よ。今度こそ全てを守るの。出来れば貴方の用意できる戦力も手伝って欲しいと言う事。考えておいて)


 一方的に通信が切られボックスは腕を組む。少し考えてから二鏡へとコールする。


(やぁボックス。無事あそこから脱出できたようだね)

「社長。既にお話されたと思いますが、なぜイヌモは警察機構の巨大化に何かしら手を打たれないのですか?」


 その話に二鏡は椅子に深くもたれかかった。


(表の我々に今必要なのは、状況への中立だ)

「中立と言うのは巨大な物に挟まれ、両者が合意した時のみに発生する幻想です。表のイヌモも無関係では避けられますまい」

(いいかい。警察機構や日本政府は下層の実態を知らない。そこがもう一つの九州新都市であることも。蓋を開ければ奴らも嫌気がさす。その時ようやく我々の出番だ)

「……蓋を開けられることはもう前提なのですね」

(しかたのないことだ。調停は結局どこかの国が果たすだろうが。我々の方が遥かに早く、犠牲も少なく済むだろう)


 ボックスはお飾りの評価は少し侮り過ぎたと戒めた。


「筋書き通りに事が運ぶ事を願います」

(本当にそう願うよ)


 通信が切られると、恐らく見ているだろうスフィアへ向かってスピーカーに両手で輪を作る。


「そういうことだ。我々に出来るのは、奴らが調停するまで抵抗するだけだぞ。」


 通話は入って来ない。スフィアはどう考えているのだろうか。素直に分かったと言うだろうか。それともただ敗北主義的だと卑下するだけだろうか。

 どっちにしろボックスはどうでもよかった。ただこの止められない事態と言う巨大な一枚絵に、自分はどう描かれるかと考えていた。


 ―――


 絵里は紙の本を返却棚から取り出し、ランは背中に器用に籠を乗せて伸ばした尻尾で固定すると籠に本を入れ、ラベルに従って本棚へと戻していく。

 静かにゆったりとした時間に突然館内スピーカーからの放送が響いた。合成音声された女性の声だった。


【館内放送です。難民管理庁舎へと向かってデモ隊が行進中です。難民側出入口は閉鎖されました。カフェを無料で開放しましたので利用されている方はそちらでお過ごしください】


「またデモ……」


 絵里がつぶやくと仁美の事が心配になり端末を取り出す。連絡ではなくデモを取り上げるメディアの報道が見たかったのだ。


『難民を騙る団体によるデモ。第3国が指示』

『イヌモは抑えられない? 警察機構の暴走』


「くだらな……」


 よく見られるサイトがトップに躍り出ると陰謀論や出典不明な情報がまず目についた。呆れて画面を閉じると、中庭で1人難民側出入口に近づく少年を見つけた。

 守衛も誰も気づいていないようで絵里はすぐに中庭へと向かった。


「警察機構は過激な作戦を中止しろ!」

「我々にも選挙権を!職業と移住の自由を!」

「イヌモは資本を規制するな!難民居住区にも分け与えるべきだ」


 様々なコールが空へ鳴り響き、外では人の群れが大声をあげる。


「こっちは危ないですよ」


 少年の後ろ姿に声をかけると、少年の目に絵里は少したじろぐ。

 鋭い眼光は行進する民衆を見つめ、まるで目撃するかのように大衆へとまた視線を移した。遠くの空で警察機構のヘリコプターのローター音が通り過ぎていく。

 絵里も利用者の安全も仕事であるから気おされている場合ではなかった。


「デモが終わるまで、ここには寄らないでください。危ないです」


 絵里が肩に手を乗せると少年は名残惜しそうに図書館へと戻る。その直後、守衛が飛んできて二人を図書館へと誘導する。


「お疲れ様です」


 胸にかけてある館員証を眼鏡型バイザーでスキャンする守衛は、今度は少年の利用カードをスキャンする。


「ハン・ユンジャン君。確認しました。デモが終わるまでカフェで過ごしてください。メニューは無料ですよ」


 うなづきカフェへと消えていく少年を絵里は見送った。


 どうして彼はあの人々を見ていたのか。絵里にはよく分からない。だが、あの目はただの野次馬にしては何かしらの決意に満ちていたような気もする。

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