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止まらない時計

 九州新都市の邦人居住区に並ぶ巨大なビル群が遠くへ見えた。そこを人工の川が隔てた先にある難民居住区。たった数本の橋が通されただけで、そこには必ず検問が敷かれた別世界への門とも言える。

 都市内の高所にレールが敷かれる循環輸送システムだけが、悠々とそれらの境を超えて行く。

 集合住宅が敷き詰められる郊外を見渡すように建設された難民区管理庁舎は、その川沿いに建てられていた。ここら周辺の治安は警察機構の管理が行き届いており、それに隣接する図書館もまたそうだった。


「二鏡さん。今日は館の案内で終わりです。明日からもどうぞよろしくね」


 40代程の館長の女性はにこやかに若い女性へ手を差し出す。二鏡絵里はぎこちなくその手を取り、慣れないように挨拶する。


「本日はお世話になりました。明日もよろしくお願いします」

「そう堅くならなくていいわ。少し前まで交通事故で入院されてて大変だと聞いてます。無理しないようにしてね」

「はい」


 館長はしゃがみ込み絵里の足元にいる真っ黒い大型犬ロボットの頭を撫でた。


「お前もしっかりご主人様の様子を見るんだよ。ラン君」

【ワン!】


 慣れたようにランは応えると絵里は申し訳なさそうに言った。


「すみません。本当は動物型はダメなはずなのに」

「いえいえ。生活補助ロボットの型を問うなんて今更時代遅れですよ。館もそろそろ段階的に許可をしていく予定ですから」


 挨拶を済ませて館長室から出た絵里を二鏡仁美が廊下で出迎えた。


「今日はもういいそうです」

「初日は終わりね。ご苦労様。送っていくわ」

「えっ? でも姉さん、今お仕事のはずじゃ」

「いいのいいの。送っていくだけなんだから。それに、そう言う堅い口調はダメって言ったでしょ。家族なんだから」

「うん……」


 エリの背中を押して人懐っこく仁美は抱き込むと思い出したように言った。


「お医者さんからの薬はちゃんと飲んでる?」

「うん。でも玉薬ぐらいでちゃんと脳細胞が修復されて記憶が戻るのかな」


 怪しむ絵里に仁美は念を押した。


「天下のイヌモの新薬なのよ。効くに決まってるじゃない」

「でも、もしかしたら戻らないままかも」

「それならそれで新しく過ごせばいいの。一からね」


 地下駐車場で仁美の(専用車)に乗り込む。シートに座ると一旦体が沈み測定されたデータを基にシート内スプリングの反発が起き、二人の体に最適な形にフィットする。

 生体情報を読み込みジェネレータが起動すると運転補助システムが起動する。ダンディな低い男の声だ。


【仁美様。体調もよくアルコールも検出されません。コントロールを譲渡します】


「OK。このまま絵里の家まで……いや。オシャレなお茶屋さんない?」


【検索……邦人居住区五番通り。クロスビル3階にある中近東カフェのジャスミンティーはいかがですか?】


「絵里。それでいい?」

「姉さん仕事は……」


 ―――


「潤沢に使ってくれているそうでなによりだよ」


 セントラルビルの上層カフェでブラックコーヒーを啜る二鏡啓二は、鋼埼を誘ってお茶をしていた。対面に座る鋼埼はミルクティーに砂糖を混ぜながら言った。


「ご支援感謝いたします。しかし、流石にやり過ぎです」

「何がかな?」

「5億円もいきなり振り込まれて驚かない人はいませんよ」

「当然の出資さ。君の研究、人口生命体理論について私は大いに興味がある。出来れば目的を教えてもらえたら嬉しい。もちろん予算申請ペーパーの建前ではなく本音をね」


 紅茶を混ぜる手を止め観念したように鋼埼は少し沈黙してから切り出す。


「並列統合量子CPU(知恵の実)とモビルマテリアル、媒介流動液を組み合わせた自動建設は革命的でしたが、内容は人間の都合に合わせられた物でしかありません。人間からデータを送られそれに応えるだけの道具。つまり(知恵の実)はまだ意志のない機械で完全なスペックを発揮をしていません。そこで、完全に知恵の実とリンクする生命を創造する事が計画目的です」


「……かつて利府里博士がやっていた(遺伝子強化計画)と何か違うのかな? あれは人間とネットワークをつなぐのが目的のはず」


「利府里博士は新たな存在に人間が駆逐されることを恐れていました。私が計画しているのは新たな存在の方です。結局2体まで作られた強化人間は一体は反逆し、もう一体は精神に異常をきたした。使い方が悪かったと言えばそれまでですが。それと、それには根本的な欠陥があります、シミュレーションをした結果。もし知恵の実と完全にリンクした場合。人間は自身の記憶と知恵の実の情報との区別がつかなくなり。リンクを切っても誰のものか不明な記憶が入り混じって自我を消失します」


「知恵の実を完全に使いこなす(人間)は存在しないから、別口から作り出そうと言う事かな」


「つまりそういうことです」


「だが、(知恵の実)そのものに自我を持たせた方が早くはないかね? わざわざプロセスや条件を増やす必要があるのかな」


「(知恵の実)が我々の味方になる保証は、どこにもありませんよ。少なくとも我々に友好的になるよう教育した人工生命が舵を取ってくれた方が安心です」


「ふむ。なるほどね」


 啓二はコーヒーを啜りしばらく考える。少しうなづいては結論を得たようだった。


「概念は分かったが具体的にどのような生命を創り出そうとしているのかな?」


 鋼埼は進歩主義的でありながら、知識もなく発想力も乏しいこの社長に、よく分かるように苦心してかみ砕いて伝え終わる頃にはミルクティーは冷めたくなっていた。


「あと一つ提案があるのですが」


 それを終えてから鋼埼は二鏡に話しかけた。


「なんだい?」


 二鏡は不思議そうに顔を傾ける。


「現在保留にしている強化検体研究ですが。こうなった以上中止する他ないと私は考えています」

「あ~そうだね。そうと決まれば近々廃止させてもらうとしようか」


 ―――


 難民居住区を見回っている自警団員達。バラバラな服装に拳銃ぐらいしか武器もなく、反感を持っている警察機構の手先となって巡回する彼らを良い目で見ている人々はいない。

 そして中でも通信機器と防弾チョッキ、ライフルを腰に掛けた一際装備が良い隊員が居た。

 ハン・ミング。鋭い目付きが周囲を見渡し、部下たちは決して談笑することなく張りつめた空気を伴った一団が街を進む。

 彼らはふと廃墟一歩手前の3階建ての建物に入る。

 攻め入るが如く部下たちは階段を駆け上がり。その後ろでミングはライフルを手に取った。

 ある扉の前で止まった部下がゆっくり扉を開ける。そこにいる男は緊張して気まずそうに咳ばらいをする。


「ま、待っていたよ。ハン・ミングさんですね?」

「……」


 ミングや部下たちは一切口を開かない。目の前にいる相手を見定める様に視線をずっと男へと向けていた。

 男は竦みあがって呼吸が乱れ顔を逸らす。そうして初めてミングは口を開いた。


「安心したよ。本当に金が欲しいだけなんだな」


 部下たちがゲスな笑い声をあげて男にプレッシャーを与える。


「そんなに部下を引き連れているなんて聞いてない」

「外出するなら理由がいる。特に警察機構はせっかく協力しているのに俺達を信用していないからな。それでどんな情報を売りたいんだ?」

「君たちは独立運動を計画していると聞いたんだ」


 ミングは突如真顔になってライフルを構え、部下たちも一斉に男に銃を突きつけた。


「まっ、まってくれ!私はただ取引がしたいだけだ。もしイヌモの重役の家族が難民居住区の治安担当の為に現場に出払っているとしたら?」

「ありえないな。難民達はイヌモと警察機構からの仕打ちを忘れてはいない。そんな人間と接する部門にそんな人間を警察機構が配置するわけがない」


 男は一枚の写真を震えた手で差し出した。部下が乱暴に取り上げミングに渡す。

 スーツ姿の若い女性がそこには写っていた。


「二鏡啓二の姪、二鏡仁美。警察機構3課所属だ」


 少し驚いた顔でミングが男へ顔を合わせる。まさか突然社長の関係者とはさすがに思わなかった。


「少し調べればわかる。もし金をくれるならそいつのリアルタイム情報をリンクさせてやる」

「……連絡先をもらおう」


 男は懐に手を入れて出そうとすると、ミングはライフルの銃口を男の胸に押し付けた。


「ひっ!」

「ゆっくり出せ」


 懐からゆっくり出した手に握られたのは、小型タブレット端末だった。


「こ、これでいつでも連絡が取れるし。リンクした情報も表示できる」


 タブレットを部下に渡しミングは「行くぞ」と言うと先発の数人が下の階へと降りていく。ミングも男に背を向けて部屋から出ようとして立ち止まる。振り返ると男へ言った。


「もし行動するなら、これは大ごとにする。分かるか? 同士たちにお前の存在は伝わる。もし裏切れば生き残りがお前を必ず殺しにいくだろう」


 男は息を呑んで彼らの後ろ姿を見送った。


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