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悪役令嬢人形譚〜人形は晴天を告げる〜  作者: ひらえす


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第二話 人形の腹が光る


 前回の訪問から数日後、エドモンドは再びアッシュフォード伯爵家を訪れた。


 婚約者同士の交流を深めるため。


 表向きの理由は、いつも通りだった。


 けれどエドモンド自身は、前回より少しだけ違う気持ちで屋敷へ足を踏み入れていた。


 気になっていたのだ。


 コーデリア本人よりも先に、周囲の人間が彼女の気持ちを説明してしまうことが。


 ミーナは、


「私はお姉様に嫌われています」


 と言った。


 だが、コーデリア本人から「嫌い」と言われたことはない。


 エドモンドについても同じだった。


「お姉様、エドモンド様までお嫌いにならなければいいのですけれど」


 そう心配していたミーナに、


「コーデリアが、僕を嫌いだと言ったんですか」


 と尋ねれば、返ってきた答えは、


「いいえ」


 だった。


 では、なぜそう思うのか。


 答えはいつも同じだ。


「お母様が」


 本人の言葉よりも、母親の説明の方が先にある。


 そこに妙な違和感を覚え始めていた。


「ようこそいらっしゃいました、エドモンド様」


 今日もユーフェミアは柔らかな笑顔で彼を迎えた。


「ありがとうございます」


「コーデリアも、もうすぐ参りますわ」


 その言葉通り、ほどなくしてコーデリアが姿を見せた。


「ごきげんよう、エドモンド様」


「ごきげんよう、コーデリア」


 今日もそっけない。


 少しも変わらない。


 それでも、前回までとは見え方が違っていた。


 彼女は自分に冷たいのではない。


 誰に対しても、余計なことを言わないのだ。


 必要な挨拶をする。


 尋ねられたことに答える。


 それ以上は、こちらへ差し出さない。


 まるで何かを言葉にするたび、それが自分の知らない形へ変えられてしまうことを知っているようだった。


「今日は学園から直接?」


「はい」


「疲れていませんか」


「多少は」


 そこで終わるかと思ったが、エドモンドは続けた。


「なら、今日はあまり長くならないようにしましょう」


 コーデリアが、わずかに目を上げた。


「よろしいのですか?」


「疲れているのでしょう?」


「……ええ」


「なら、その方がいい」


 一瞬だけ、彼女の顔から力が抜けた。


「ありがとうございます」


 それは短い言葉だった。


 けれど、前回までより少しだけ素直に聞こえた。


 茶会には、今日もミーナがいた。


 明るくよく喋る彼女は、学園であったことを楽しそうに話している。


「今日のお昼、シチューだったんです」


「そうなんですね」


「お姉様も召し上がったでしょう?」


 コーデリアが頷く。


「ええ」


「パンも美味しかったですよね。私、二ついただいてしまいました」


「食べすぎでは?」


「だって、美味しかったんですもの」


 ミーナが笑う。


 コーデリアは呆れたように妹を見る。


 それだけのやり取りだった。


 だがエドモンドは、少し注意して二人を見ていた。


 これが、妹を嫌っている姉の態度なのだろうか。


 少なくとも、彼にはそうは見えなかった。


 そっけない。


 確かにそうだ。


 けれど、それはミーナにだけではない。


 エドモンドに対しても同じ。


 ユーフェミアに対しても同じ。


 人との間に一定の距離を置くことが、すでにコーデリアの習慣になっている。


 その日の茶会も、予定より早く終わった。


 ユーフェミアとミーナが席を外し、コーデリアと二人になる。


 エドモンドは、窓辺へ目を向けた。


 前回見たビスクドールが、今日も同じ場所に座っている。


「また見ていますの?」


 コーデリアが言った。


「気になります?」


「少し」


「呪いが?」


「それも」


 エドモンドは立ち上がり、人形の近くへ寄った。


 古い。


 衣装も髪も、長い年月を経ていることが分かる。


 しかし、それだけではない。


 妙に存在感がある。


 何もしていないのに、目が向く。


「持ち主の本心を語る」


 エドモンドが呟く。


「そういう噂です」


「ほかにも、夜中に囁くとか、秘密を暴くとか」


「ええ」


「不幸を呼ぶとも」


「そうですね」


「なのに、君は置いている」


 コーデリアは一度、人形を見た。


「捨てていませんから」


「怖くないんですか?」


「前にも同じことを聞かれましたわ」


「答えも同じ?」


「人形でしょう?」


 エドモンドは少し笑った。


「そうでしたね」


 コーデリアは席を立ち、人形を抱き上げた。


 その時だった。


 人形の衣装の隙間に、淡いものが見えた。


「……今」


「何です?」


「光りませんでした?」


 コーデリアの動きが止まる。


 ほんの一瞬だった。


 だが、エドモンドは見逃さなかった。


「知っていますね?」


 コーデリアは少し黙った。


「何のことです?」


「その人形」


「……」


「どこか、光るでしょう」


 コーデリアはしばらく彼を見ていた。


 やがて諦めたように、小さく息を吐く。


「たまに」


「やっぱり」


「夜の方が分かりやすいですけれど」


「どこが?」


「お腹です」


 エドモンドは人形の腹部へ目を向けた。


 衣装に隠れている。


「外から見えるんですか?」


「いいえ」


「では、どうやって気づいたんです?」


「着替えさせた時に」


「着替え?」


「人形の服を替えることくらいありますでしょう?」


「それはまあ」


 コーデリアは人形を見下ろした。


「服をめくっても、まだ見えません」


「では?」


「下着もずらします」


 エドモンドは黙った。


「何ですの、その顔」


「いや」


「人形ですわよ」


「分かっています」


「では?」


「……少し、想像していた怪異と違っただけです」


 持ち主の本心を語る、呪われた人形。


 夜中に光る。


 そこまでは、まだ怪談として分かる。


 だが、その光を確認するには服をめくり、さらに下着までずらす必要がある。


 ずいぶん慎ましい怪異だった。


 エドモンドは人形を見つめた。


「今、確認しても?」


 コーデリアが眉を上げる。


「本気ですの?」


「気になるので」


「気になるからといって、婚約者の前で人形の下着をめくる殿方がいます?」


「ここにいますね」


 コーデリアはしばらく無言だった。


 それから、人形を卓上へそっと横たえる。


「では、どうぞ」


「君がやるんじゃないんですか」


「ご自分で確認したいのでしょう?」


 エドモンドは少し後悔した。


 だが、ここまで来て引き下がるのも妙だった。


 人形の衣装へ手をかける。


 裾をめくる。


 まだ何も見えない。


「もう少し下です」


「はい」


「下着も」


「分かっています」


 コーデリアの声音は平然としている。


 なぜ自分だけ妙な緊張を覚えているのか。


 エドモンドは人形の下着を少しずらした。


 そして、動きを止めた。


「……本当に光ってる」


 白いビスクの腹部。


 その奥から、ぼんやりと淡い光が透けている。


 強い光ではない。


 部屋を照らすほどでもない。


 だが、確かにそこにある。


「でしょう?」


 コーデリアが言う。


「いつから?」


「分かりません」


「最初から?」


「おそらく」


「怖くなかった?」


「最初は少し」


「少しだけ?」


「何日か見ていましたけれど、何も起こりませんでしたもの」


「持ち主の本心も語らなかった?」


「一度も」


 エドモンドは、人形の腹部へ顔を近づけた。


 この光り方。


 魔術的な発光に似ている。


 だが、人形そのものに術式が刻まれているようには見えない。


 もっと内側。


 何かが入っている。


「コーデリア」


「はい」


「これ、魔道具かもしれません」


 初めて、彼女の表情がはっきり変わった。


「魔道具?」


「断定はできません。でも、何かしらの仕掛けが中にある可能性があります」


「この人形の中に?」


「ええ」


 コーデリアが腹部を見る。


「でも」


「何です?」


「わたくしには、魔術が使えません」


「それは関係ないかもしれない」


「魔道具なら、魔力が必要なのでは?」


「ものによります」


 エドモンドは人形へ手を伸ばした。


「少し持っても?」


 コーデリアが一瞬だけ迷う。


 それから、静かに頷いた。


「落とさないでくださいませ」


「もちろん」


 エドモンドは人形を受け取る。


 腕に抱いた瞬間。


 光が消えた。


「……あれ?」


 腹部を見る。


 先ほどまで見えていた淡い光が、ほとんど分からなくなっている。


「いつもこうですか?」


「いいえ」


 コーデリアも不思議そうに覗き込む。


「わたくしが持っている時は、もう少し」


「君が?」


 エドモンドは人形を返した。


 コーデリアが抱く。


 数秒。


 腹部の光が、再び淡く浮かび上がった。


 二人とも黙った。


「……もう一度」


「はい」


 コーデリアからエドモンドへ。


 光が弱くなる。


 エドモンドからコーデリアへ。


 光が戻る。


「君が何かしている?」


「何もしておりません」


「魔力を流している感覚は?」


「ありません」


「本当に?」


 コーデリアの眉が寄る。


「わたくしは魔術が使えないと申し上げたでしょう」


「魔術と魔力は同じではありません」


「違うのですか?」


「魔術として現象を起こせなくても、魔力そのものを持っている人はいます」


 コーデリアは、自分の手を見る。


「でも、適性検査では何も」


「普通の検査で拾えないものもあります」


 エドモンドは、もう一度人形を見る。


 興味が湧いていた。


 婚約者の曰く付き人形。


 持ち主の本心を語る。


 しかも腹が光る。


 それだけでも十分奇妙だ。


 だが、この光がコーデリアに反応しているのなら、話はまったく違ってくる。


「一度、詳しく調べさせてもらえませんか」


 コーデリアの顔がすぐに硬くなった。


「何をするおつもり?」


「まず人形師に見てもらいます」


「人形師?」


「僕たちは魔道具の専門家ですが、人形の専門家ではない。外から分かることには限界があります」


「……壊しません?」


「故意には」


「故意でなくても困ります」


「では、君も立ち会ってください」


 コーデリアは黙った。


「勝手に処分もしません」


「当然です」


「どこまで分解するかも、人形師と君で相談する」


「あなた様ではなく?」


「所有者は君でしょう?」


 コーデリアが少しだけ目を上げた。


「……そうですね」


「だから、君が決めればいい」


 しばらく考えたあと、彼女は人形を抱き直した。


「分かりました」


「では」


「ただし」


 コーデリアのオレンジ色の瞳が、まっすぐエドモンドを見る。


「この子を、面白半分で扱わないでくださいませ」


「約束します」


 エドモンドは即答した。


 コーデリアは少しだけ驚いたようだったが、それ以上は何も言わなかった。


 帰り際。


 玄関まで見送りに来たミーナが、いつものように明るく話しかけてきた。


「今日はお姉様、怒っていませんでした?」


「怒って?」


「はい」


「どうして?」


「お姉様、機嫌が悪いと怖いですから」


 エドモンドは少し考える。


「何をするんです?」


「え?」


「怒ると」


 ミーナが困った顔をした。


「何を、というと?」


「怒鳴るとか」


「いいえ」


「物を投げる?」


「そんなことしません」


「人を罵る?」


「しません」


「では、何が怖いんです?」


 ミーナはしばらく考えてから答えた。


「黙るんです」


「……それだけ?」


「じっと見るので」


 エドモンドは、危うく聞き返すところだった。


 黙る。


 それだけ。


「それを、怒っていると?」


「はい」


「誰に教わったんです?」


 また、同じ答えが返ってきた。


「お母様です」


 エドモンドは、玄関の奥にいるユーフェミアへ目を向けた。


 彼女は少し離れたところで、いつものように穏やかに微笑んでいる。


 悪意のある人間には見えない。


 むしろ、誰よりも家族思いの母親に見える。


 それでも。


 コーデリアが誰を嫌っているのか。


 コーデリアがいつ怒っているのか。


 コーデリアがどういう人間なのか。


 それを説明しているのは、いつもユーフェミアだった。


 馬車へ乗る直前、エドモンドは二階の窓を見上げた。


 黒髪の少女が立っている。


 腕には、古いビスクドール。


 コーデリアは彼に気づくと、ほんの少しだけ頭を下げた。


 笑わない。


 手も振らない。


 やはり、そっけない。


 けれどエドモンドにはもう、それだけで「冷たい女」と決める気にはなれなかった。


 そして彼女の腕の中では。


 衣装に隠された人形の腹部が、誰にも見えないほど淡く光っていた。

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