第一話 持ち主の本心を語る人形
「悪役令嬢人形譚」第六作です。
今回は、持ち主の本心を語ると噂される、古いビスクドールのお話です。
けれど、人形が語るとされる「本心」と、誰かが勝手に決めつけた「本心」は、果たして同じものなのでしょうか。
そっけなく、冷たく見える伯爵令嬢コーデリアと、その婚約者エドモンド。
そして、誰の心も語らないまま、ただ静かに座っている人形。
少し不穏で、少し可笑しい物語の始まりです。
エドモンド・フォン・ヴェルナーには、婚約者がいる。
コーデリア・フォン・アッシュフォード。同じ伯爵家の令嬢で、艶のある黒髪と、夕焼けを閉じ込めたような鮮やかなオレンジ色の瞳を持つ少女だった。
その色は、三歳の頃に亡くなった実母から受け継いだものだという。
父であるアッシュフォード伯爵バルタザールは、淡い茶色の髪にオリーブグリーンの瞳。その後妻ユーフェミアはブルネットに灰色の瞳を持ち、二人の間に生まれた異母妹ミーナは父親によく似ていた。
家族四人が並べば、コーデリアだけが明らかに違う。
だからというわけでもないのだろうが、彼女について聞こえてくる噂は、あまり芳しいものではなかった。
気難しい。
愛想がない。
継母を嫌っている。
異母妹を疎んじている。
人からの好意を素直に受け取らず、贈り物にも難癖をつける。
中には、婚約者となるエドモンドへわざわざ忠告してくる者までいた。
「アッシュフォード伯爵令嬢は、少し難しい方らしいですよ」
難しいとは、便利な言葉だ。
何がどう難しいのか尋ねると、大抵の者は曖昧に笑う。
エドモンドは、そうした噂をそのまま信じる気にはなれなかった。
ヴェルナー伯爵家は代々、魔道具の研究と開発に携わっている。
新しい魔道具を一つ世に出せば、「魂を吸う」「夜になると勝手に動く」「使い続けると呪われる」などと、誰が言い始めたのかも分からない話がついて回ることも珍しくない。
噂というものは、実物よりよく育つ。
それくらいは知っていた。
だから、本人と会えば分かるだろうと思っていた。
そして婚約が正式に決まり、何度かコーデリアと顔を合わせるようになったエドモンドは、少し困った。
噂が正しいとも、間違っているとも言い切れなかったのである。
「ごきげんよう、エドモンド様」
「ごきげんよう、コーデリア」
アッシュフォード伯爵家の応接室で、コーデリアは完璧な礼をする。
姿勢も美しい。
言葉遣いにも隙がない。
だが、それだけだった。
笑わないわけではない。
ほんの少し口元を緩めることはある。
話しかければ答える。
けれど、自分から話を広げることはほとんどなかった。
「今日は暖かいですね」
「そうですわね」
「庭の花も、そろそろ見頃でしょうか」
「庭師がそのように申しておりました」
「コーデリアは花がお好きですか?」
「嫌いではありません」
そこで終わる。
エドモンドは紅茶を一口飲んだ。
嫌われているのだろうか、と最初は考えた。
しかし、どうも違う。
彼女はエドモンドだけに冷たいわけではない。
使用人にも、家族にも、ほとんど同じ距離を取る。
誰に対しても、必要なことだけを言う。
それ以上は踏み込ませない。
まるで最初から、人と親しくなることを諦めているような少女だった。
その日の茶会には、継母ユーフェミアと異母妹ミーナも同席していた。
ユーフェミアは、いかにも人当たりのよい女性だった。
ブルネットの髪を上品にまとめ、灰色の瞳を柔らかく細める。コーデリアが三歳で実母を亡くした後、子爵家からアッシュフォード伯爵家へ嫁いできたという。
「エドモンド様、お茶のお味はいかが?」
「とても美味しいです」
「よかったわ。コーデリアも、もう少しいかが?」
ユーフェミアが娘を見る。
コーデリアの前には、焼き菓子と小さなケーキが用意されていた。
ほとんど手がついていない。
「結構です」
「まあ。また?」
「食欲がありませんので」
ユーフェミアは困ったように笑った。
「この子は昔から食が細いんですの。何を用意しても、なかなか食べてくれなくて」
コーデリアは何も言わなかった。
確かに細い。
病的というほどではないが、手首も首筋も華奢で、顔色にもあまり血色がない。
美しい顔立ちなのに、どこか疲れて見える。
エドモンドは少し気になったものの、婚約したばかりの相手へ食事量を尋ねるのも妙な話だと思い、それ以上は触れなかった。
そんな中、ミーナが明るい声を上げる。
「エドモンド様のお家では、いろいろな魔道具を作っていらっしゃるのでしょう?」
「ええ。父が中心ですが、僕も少しずつ開発に参加しています」
「素敵です!」
ミーナはよく笑う少女だった。
淡い茶色の髪とオリーブグリーンの瞳は父親譲りで、黒髪に橙色の瞳を持つ姉とはほとんど似ていない。
「私も魔道具が好きなんです。お姉様もお好きなら、一緒にお話を聞けるのに」
そこまで言って、ミーナは少し寂しそうに笑った。
「でも、私はお姉様に嫌われていますので」
エドモンドの手が止まった。
あまりにも自然な言い方だった。
姉を責めるわけでもない。
悲しみを訴えるわけでもない。
ただ、自分の髪が茶色であることと同じくらい当然の事実として口にした。
「ミーナ」
コーデリアが妹を見る。
「何でしょう、お姉様」
「わたくしは、あなたに嫌いだと申し上げたことがあったかしら」
ミーナが瞬きをした。
「え?」
「一度でも」
「それは……」
すぐに答えは返ってこなかった。
ミーナの視線が、隣に座る母へ向かう。
ユーフェミアが穏やかな声で口を挟んだ。
「コーデリア、そんなふうに問い詰めないであげて」
「問い詰めてはおりません」
「分かっていますわ。でも、ミーナは素直な子でしょう?」
ユーフェミアは娘の肩にそっと手を置いた。
「あなたが私たちを受け入れにくいことも、この子にはきちんと話してありますのよ」
コーデリアのオレンジ色の瞳が、静かに継母へ向いた。
「そうですか」
「あなたは幼い頃に実のお母様を亡くしたのですもの。後から来た私やミーナに思うところがあるのは、仕方がありませんわ」
「……そうですか」
それ以上、コーデリアは何も言わなかった。
ただ紅茶へ視線を落とした。
その沈黙だけを見れば、確かに冷たい。
エドモンドもその場では、そう感じた。
けれど同時に、妙な引っかかりが残った。
ミーナは「嫌われている」と断言した。
なのに、コーデリア本人からそう言われたことがあるのかと尋ねられた途端、答えられなかった。
それは、どういうことなのだろう。
茶会の後、ユーフェミアとミーナが席を外した。
ようやく婚約者同士で話す時間になったものの、コーデリアは相変わらずだった。
「学園はいかがです?」
「特に変わりありません」
「最近、何か面白い講義は?」
「歴史学でしょうか」
「どの時代を?」
「北方諸国の統一前後を」
そこでエドモンドが詳しく尋ねると、コーデリアは少しだけ話した。
意外に知識がある。
自分の興味があることについてなら、言葉も多少増えるらしい。
それでも一通り答えると、また黙った。
エドモンドは内心で苦笑した。
どうにも手強い婚約者である。
ふと、視界の隅に白いものが入った。
窓辺近くの小卓に、人形が座っていた。
古いビスクドールだった。
白い肌。
硝子の瞳。
古びた衣装。
美しい造形をしているのに、妙に目を引く。
「その人形は?」
エドモンドが尋ねると、コーデリアがそちらを見た。
「いただきものです」
「古いものですね」
「ええ」
また会話が終わりそうになる。
エドモンドは人形を眺めた。
「珍しい人形なんですか?」
「ある意味では」
「ある意味?」
コーデリアは少しだけ間を置いた。
「曰く付きだそうです」
「曰く?」
「持ち主の本心を語る人形だとか」
エドモンドは、人形を見直した。
「……本心を?」
「そういう噂です」
「実際に喋るんですか?」
「いいえ」
「では、ただの噂では?」
「わたくしもそう思います」
あまりにも淡々としている。
「ほかにも何かあるんですか?」
「いろいろ言われておりますわ」
コーデリアは、人形へ特別な感情を見せるでもなく続けた。
「持ち主の秘密を暴くとか、夜になると囁くとか、嘘をついた者の声を覚えるとか。持っていた家で不幸が続いたという話もありますし、夜中に目が合うと、本当は誰を憎んでいるのかを言い当てられるとも」
「ずいぶん忙しい人形ですね」
エドモンドが思わず言うと、コーデリアの口元がほんの少し動いた。
笑ったのかもしれない。
「噂ですから」
「怖くないんですか?」
「人形でしょう?」
「呪いの人形扱いされていますよ」
「人間の方が、もっと勝手なことを言いますもの」
コーデリアはそう言って、紅茶へ口をつけた。
妙に耳に残る言葉だった。
「誰からもらったんです?」
「お義母様です」
エドモンドは顔を上げた。
「ユーフェミア夫人から?」
「はい」
「その噂を知った上で?」
「ご存じだったそうです」
「……なぜ?」
「珍しいものだから、と」
コーデリアの声音は変わらない。
腹を立てているようにも見えない。
喜んでいるようにも見えない。
ただ、起きたことをそのまま説明しているだけだった。
「嫌ではなかったんですか?」
エドモンドが尋ねる。
そこで初めて、コーデリアは少し長く黙った。
「嫌だと申し上げれば、それで何か変わりますの?」
エドモンドは答えられなかった。
コーデリアも答えを求めなかった。
「もう遅い時間ですわね」
「ああ……そうですね」
「本日はありがとうございました」
綺麗に会話を終わらせる。
また一歩、向こう側へ下がってしまった。
帰り際、玄関までミーナが見送りに来た。
「エドモンド様、今日はお姉様とたくさんお話しできました?」
「それなりには」
「よかったです」
ミーナは嬉しそうに笑った。
「お姉様、エドモンド様までお嫌いにならなければいいのですけれど」
以前なら、軽く笑って流したかもしれない。
けれど今日は、少し気になった。
「ミーナ嬢」
「はい?」
「コーデリアが、僕を嫌いだと言ったんですか?」
「いいえ」
即答だった。
「では、どうして?」
「だって、お姉様は人を嫌う方ですから」
「誰がそう言ったんです?」
ミーナは不思議そうに首を傾げた。
「お母様です」
迷いはなかった。
馬車へ乗ってからも、その言葉がエドモンドの耳に残った。
コーデリアが言ったわけではない。
ミーナが自分で確かめたわけでもない。
彼女の本心を説明しているのは、いつも別の誰かだ。
そして屋敷の窓辺には、持ち主の本心を語ると噂される古いビスクドールがいる。
エドモンドは馬車の窓から遠ざかっていくアッシュフォード伯爵邸を眺めた。
人形が本心を語るという噂より先に。
自分たちは、コーデリア本人の言葉をどれほど聞いているのだろう。
その疑問だけが、妙に胸に残った。




