第29章 見つけられる場所
1
ホールツアーが終わった翌週から、事務所の電話が鳴り方を変えた。
これまでは、こちらから連絡して、断られるか、保留されるかのどちらかだった。今は、向こうからかかってくる。音楽番組、情報番組、ラジオ、雑誌、ウェブメディア。三日で二十件の問い合わせが来た週もあった。
私は一つずつ、条件を確認して振り分けた。
拍子抜けするほど条件のいい依頼もあれば、露出は大きいが拘束時間が読めないものもある。撮影時間が「終日」とだけ書かれた企画書は、それだけで保留にした。終日の意味は、朝六時から翌朝二時までのこともある。
「これ、断るんですか」
広報担当が、視聴率の高い番組の企画書を指した。
「断りません。時間を確定させてから受けます」
「先方は嫌がると思いますけど」
「嫌がられます。それでも聞きます」
実際、半分は嫌がられた。そのうち何件かは、話し合いのあとで時間を切ってくれた。切ってくれなかった数件は、こちらから辞退した。
辞退の連絡を入れるたび、私は自分の判断を疑った。この一件を断ったことで、三人が誰かに見つけてもらえる機会が一つ減る。その計算は、いつも頭の中にある。
それでも断った理由は、単純だった。半年かけて作った三人の身体を、二か月で壊したくなかった。
メディアの仕事は、ライブとは別の筋肉を使う。
十月から十二月にかけて、三人はテレビに七回、ラジオに十一回出た。雑誌の取材が九件、ウェブの記事が数えきれないほど出た。
最初のうち、三人は同じ質問に同じ答えを返していた。
「グループ名の由来は」
「ルミナス。光を意味する言葉です」
「メンバーの関係は」
「仲がいいです」
三度目のラジオ収録の帰り、リナが車の中で言った。
「私たち、同じことしか言ってません」
「同じことを聞かれているからです」
「でも、聞いてる人は毎回違います」
その一言で、翌週から三人は答え方を変え始めた。
同じ質問に、三人が別々の角度から答える。ハルカが事実を言い、ユイが感情を言い、リナが疑問を言う。打ち合わせたわけではない。三人が自然にそうなった。
「グループ名の由来は」
「ルミナス。光を意味する言葉です」
「私は最初、ダサいと思ってました」
ユイがそう言うと、スタジオが笑う。
「今は?」
「今もちょっとダサいです。でも、四年言ってたら自分の名前になりました」
「私は、由来より、誰がつけたかの方が大事だと思ってます」
リナが続ける。
「誰が?」
「そこにいる人です」
カメラが、スタジオの端に立っていた私を捉えた。私は反射的に一歩下がった。
放送後、その三十秒が切り抜かれて広まった。私が映っている数秒に、無関係な憶測が何十件もついた。
「消しますか」
広報担当が尋ねた。
「消せません」
「対応は」
「しません。三人が話した内容に嘘はありません」
その夜、ユイからメッセージが来た。
『すみません。リナが余計なこと言ったって落ち込んでます』
私は少し考えてから返した。
『落ち込む必要はないと伝えてください。四年前、名前をつけた時、私は一人で決めました。三人に相談していません』
三分後、リナから直接返信が来た。
『知ってました』
『いつから』
『最初から。ハルカが言ってました』
私は、その画面をしばらく見ていた。四年間、隠していたつもりの一つが、最初から隠せていなかった。
2
十月、三人は初めて音楽フェスのステージに立った。
屋外の、二番目に大きなステージ。持ち時間は四十分。前後には、名前を知らないバンドが入っている。観客の大半は、LUMINAを目当てに来た人ではなかった。
「客席、まばらですね」
開演三十分前、袖から客席を見たユイが言った。芝生の上に、人がぽつぽつと座っている。
「フェスはそういうものです」
「知ってます。でも、実際に見ると」
「怖い?」
「怖くはないです。ただ」
ユイは、少し考えてから言った。
「ホールでは、全員が私たちを見に来てくれてた。ここは違うから、逆にやりやすいかもしれません」
その言葉の意味が、私にはすぐには分からなかった。
本番が始まると、分かった。
三人は、最初の三曲を、ほとんど客席の中央に向かって歌わなかった。芝生の後方で寝転がっている人、通りすがりに足を止めた人、隣のステージへ向かおうとして振り返った人。そういう人たちの方を、順番に見て歌った。
四曲目のあたりから、芝生の上の人が立ち始めた。五曲目には、後方から人が流れ込んできた。最後の曲を歌う頃には、ステージ前は隙間がなくなっていた。
終演後、袖へ戻ってきたユイは、汗まみれで笑っていた。
「知らない人に見つけてもらうの、久しぶりでした」
「地下の頃みたいだった」
リナが言う。
「あの頃は、見つけてもらえなかったけどね」
ハルカが返し、三人が笑った。
私はその会話を聞きながら、四年前の対バンライブを思い出していた。持ち時間二十分。客席の半分は、次のグループを待つ人だった。あの日、三人は同じことをしていた。誰も見ていない方向へ、歌っていた。
違うのは、今はその方向から人が来ることだった。
フェスの終演後、袖で汗を拭いている三人のところへ、隣のステージに出ていたバンドのメンバーが来た。
「さっき見てました」
三十代くらいの、痩せた男性だった。ギターケースを肩にかけている。
「四曲目で人が動いたの、あれすごいですね。何やったんですか」
「何もしてないです」
ハルカが答える。
「してないわけないでしょう」
「本当に、何も。ただ、後ろの方を見て歌っただけです」
男性は少し黙ってから、笑った。
「それが何かなんだよな」
彼は名前も言わずに去っていった。その後ろ姿を見送りながら、ユイが言った。
「今の人、誰ですか」
「分かりません」
私も知らなかった。あとで調べると、十年以上活動しているバンドのギタリストだった。動員はLUMINAより多い。
「調べた方がよかったですか」
ユイが尋ねる。
「調べなくていいです」
「なんでですか」
「知らないまま話した方が、今日みたいな会話になります」
ユイは納得したような、していないような顔をした。
フェスの主催者から、翌年の出演オファーが来たのは、その三日後だった。今度は一番大きなステージだという。私は日程だけを確認して、保留にした。三千人公演の日程がまだ決まっていなかったからだ。
3
十一月、LUMINA HOMEの会員限定イベントを行った。
会場は、都内の小さな多目的ホール。定員は二百人。ライブではなく、三人と会員が同じ空間で時間を過ごすための企画だった。
企画を出したのはユイだった。
「ホールツアーで、二千人ずつ会いました。でも、話してないです」
「話す時間を作りたい?」
「はい。全員とは無理だと分かってます。でも、一回もやらないのは違うと思って」
私は、その企画を三日かけて設計した。二百人を四十人ずつ五組に分ける。一組四十分。三人が組ごとに部屋を回る。質問は事前にカードで集め、当日その場で引く。写真撮影はなし。個別の接触もなし。
「地味だな」
企画書を見た大類社長が言った。
「地味です」
「もっと派手にできるだろう。チェキとか、握手とか」
「やりません」
「なんでだ」
「二百人を四十分ずつ、五回。三人は三時間半、休みなく話し続けます。そこへ物販を足したら、翌週の仕事に響きます」
「収益はどうする」
「参加費は取ります。原価が出る額だけです」
社長は不満そうだったが、判子は押した。
当日、三人は三時間半、話し続けた。
私は部屋の隅で、その様子を見ていた。会員から集めた質問カードには、他愛のないものが多かった。好きな食べ物。朝は何時に起きるか。最近笑ったこと。
三組目の途中で、一枚のカードが引かれた。
「『半年前の小規模公演に落選しました。ホールにも落選しました。今日、初めて会えました』」
ハルカが読み上げてから、顔を上げた。
「これ、書いた方いますか」
後方で、若い女性が小さく手を挙げた。
「二回落ちて、三回目で来てくれたんですね」
女性が頷く。ハルカは少し黙ってから言った。
「ごめんなさい、じゃなくて、ありがとうございますって言います」
「はい」
「二回落ちても、三回目を申し込んでくれたから、今日会えました」
部屋の中が静かになった。ユイが横から続けた。
「私たち、落選した人の数は聞いてます。大阪で三百六十六人、東京で千百八十人。名古屋だけは、先行で全員入れました」
その数字を、ユイは正確に覚えていた。私が一度だけ伝えた数字だった。
「その人たちがどこにいるかは分かりません。でも、今日みたいに、いつか会えることもあるんだって、今分かりました」
リナが最後に言った。
「だから、会える場所を増やします」
四組目では、別の質問カードが引かれた。
「『三人は、いつまで続けますか』」
読み上げたのはリナだった。部屋の空気が、わずかに変わる。
こういう質問に、答えのテンプレートはある。ずっと続けます。皆さんがいる限り。永遠に。どれも間違いではないし、誰も傷つけない。
リナは、そのどれも使わなかった。
「分かりません」
部屋が静まった。
「続けたいです。でも、続けますって約束はできません。私たち、一度止まったことがあるので」
誰もそのことを口に出さなかった。あの夏のことを知っている人が、この部屋には何人もいる。
「あの時、止まってよかったと思ってます。止まらなかったら、たぶん、今ここにいません」
ユイが横から続けた。
「だから、また止まるかもしれません。その時は、ちゃんと言います。黙っていなくなることはしません」
ハルカが最後に言った。
「約束できるのは、それだけです。いつまでかは分からないけど、終わる時は、皆さんに言ってから終わります」
拍手が起きた。まばらな拍手が、少しずつ揃っていった。
私は部屋の隅で、その音を聞いていた。
黙っていなくなることはしません。
その言葉が、自分の胸の内側を薄く削っていくのを感じた。私は今、三人に黙っていることが一つある。三人はそれを知らないまま、客の前で、黙らないと約束している。
五組目が終わったのは、午後七時を回った頃だった。三人は控室のソファに沈み込み、しばらく誰も動かなかった。
「喉、大丈夫?」
「大丈夫です。歌ってないので」
ハルカが答える。
「歌う方が楽かも」
ユイが天井を見ながら言った。
「話すのって、こんなに疲れるんですね」
「相手が二百人だからです」
「二千人の方が楽でした」
三人が笑った。
私は進行表を閉じた。五組すべてが、予定より五分から八分ずつ延びていた。合計三十四分の超過。撤収が遅れ、スタッフの残業が発生する。その費用を、私は自分の判断として処理することにした。
止めるべきだったかと、もう一度考えた。
答えは出なかった。出ないまま、私はそれでよかったと思っていた。
4
十二月の第一週、高橋から会議の連絡が来た。
事務所ではなく、ネクストウェーブの会議室だった。三人も来るようにと言われた。それだけで、内容の見当はついた。
「先に言っておく」
席に着くなり、高橋はそう切り出した。
「今日は提案だ。決定じゃない。断ってもいい」
テーブルの上には、まだ何も置かれていない。
「東名阪のホールツアーは、三都市とも完売した。合計六千四十六人。フェス出演後の新規流入も、想定を超えている。ファンクラブは今、八千六百人を超えた」
高橋は、そこで一度言葉を切った。
「次に同じ規模を繰り返すだけでは、取りこぼす人の方が多くなる」
「規模は」
私が尋ねた。
「三千人」
会議室の空気が止まった。
「三千人規模のホールで、単独公演ということですか」
「そう。都内で一日。客席は着席指定を基本にして、ホールツアーとは違う見せ方を作る」
「時期は」
「そこが一番読めない」
高橋は正直に言った。
「三千人規模の会館は、一年先まで押さえられている。空きが出るとすれば、他の公演が飛んだ時だけだ。だから、日程を決めてから動くんじゃない。三人がやると決めておいて、空きが出た瞬間に手を挙げる」
「押さえてから相談する、ではないんですね」
「今回はできない。四十八時間で消える枠を、君に相談してから取っていたら間に合わない」
私は少しのあいだ黙った。
「では、こうさせてください。やるという合意だけ先に取ります。いつやるかは、空きが出た時点で私が判断します。判断したことは、その日のうちに三人へ伝えます」
「僕が取るんじゃなくて、君が取るのか」
「三人の身体を見ているのは私です」
「ツアーの一・五倍です」
「分かってる」
「ファンクラブ会員が八千六百人いても、全員が東京へ来られるわけではありません。ホールツアーの複数公演へ来ている人も多い。実動員を過大評価するのは危険です」
「その通り」
「制作費も一桁変わります。舞台、照明、音響、警備。今の現場スタッフだけでは回せません」
「それも見積もりに入れる」
「会場が大きくなれば、一人ずつの表情は見えなくなります」
「だから、どうすれば見えるか考えるんだ」
高橋の声は静かだった。
「青木さん。三千席を埋められると断言しているわけじゃない。むしろ、今までで一番大きな賭けになる。でも、二千人のホールで生まれた熱が、その壁を越えてどこまで届くかを確かめる時期には来ている」
私は何も答えなかった。
「今夜決める必要はない。正式な資料は来週渡す。会場候補、損益分岐、一般販売とファンクラブ先行の配分まで全部出す。日程だけは、埋められない欄が残る」
「空きが出るまで、埋まらないということですね」
「そうだ。だから、そこだけは白紙のまま合意することになる」
「断る選択肢もありますか」
「ある。断ったら、来年も二千人規模のツアーをもう一周する。それも悪い選択じゃない」
私は三人を見た。ハルカは資料の置かれていないテーブルを見ている。ユイは口を半分開けたまま固まっていた。リナだけが、まっすぐ高橋を見ていた。
「三千人って」
ユイがようやく言った。
「今日の三倍じゃなくて、一・五倍なんですね」
「そう」
「思ったより、少ない」
その言い方に、高橋が眉を上げた。
「少ないと思うのか」
「二千人を見たあとだからです。二月に百二十人を見て、九月に二千人を見ました。そのあとで三千人って聞いても、想像はつきます」
ユイは自分でそう言ってから、少し驚いた顔をした。
「あれ。私、怖くないです」
5
その夜、四人で事務所へ戻った。
会議室の白い蛍光灯の下で、私はホワイトボードに数字を書いた。二千十四、二千十二、二千二十。三都市の実績。合計六千四十六。
その下に、三千と書いた。
「一・五倍です」
私は言った。
「ただし、一日で三千人です。三公演かけて六千人集めることと、一日で三千人集めることは、まったく違う仕事です」
「どう違うんですか」
ハルカが尋ねる。
「一日で三千人を集めるには、三都市から人が来ます。遠征が発生します。宿泊も、交通費も。来られない人は、今度こそ来られません」
「地方の人が」
「はい。ホールツアーは、こちらから会いに行きました。三千人公演は、来てもらう公演です」
三人が黙った。
「それでも、やる意味はあります」
私は続けた。
「一つの場所に三千人が集まると、そこで何かが起きます。ホールツアーの六千人は、三つの街に分かれていました。同じ夜に、同じ場所で、三千人が同じ歌を聞いたことは、まだ一度もありません」
「それが何を起こすんですか」
リナが尋ねた。
「分かりません」
自分でも意外なほど、素直に答えていた。
「分からないから、確かめたいと思っています」
ハルカが顔を上げた。
「今、青木さんが自分の意見を言いました」
「言いました」
「珍しいです」
「そうかもしれません」
ユイが立ち上がり、ホワイトボードの三千という数字を指でなぞった。
「三千人の中に、今日のイベントに来た二百人も入りますか」
「申し込んでくれれば」
「二回落ちた人も」
「入ります。抽選なので、また落ちるかもしれません」
「じゃあ、三回目で会えた人が、四回目で落ちるんですね」
ユイは、その事実をしばらく見つめていた。
「悔しいです」
「私もです」
「じゃあ、席を増やせませんか」
「三千席の会場を、四千席にはできません」
「そうじゃなくて」
ユイは首を振った。
「今回は無理でも、次はもっと大きくできませんか。落ちる人が減るくらい」
私は答えなかった。
答えの代わりに、ホワイトボードの三千という数字の横に、何も書かなかった。書けなかった。その先の数字を、私はまだ口に出せる立場にいなかった。
「やります」
ハルカが言った。
「三千人」
「決めるのは、今夜じゃなくていいのよ」
「今夜でいいです」
ハルカは三人を見た。ユイが頷き、リナが頷いた。
「三人でそう決めました」
「理由を聞いていい?」
「二月に、百二十人の会場でやると決めた時と、同じ理由です」
ハルカは、まっすぐこちらを見た。
「会える場所があるなら、行きます」
私はホワイトボードを消さずに、その夜は事務所を出た。
外は冷えていた。十二月の東京は、二月と同じ匂いがする。四人で駅までの道を歩いた。誰も何も話さなかった。話す必要のあることは、もう全部話し終わっていた。
改札の前で、ユイが振り返った。
「青木さん」
「何?」
「三千人の会場って、どれくらい広いんだろう」
半年前、大阪の夜に、同じ子が同じことを言った。あの時、答えられる者はいなかった。
「行けば分かります」
私はそう答えた。




