第18章 四人で決める明日
1
四人で作った約束の紙は、事務所の会議室に貼られることになった。高価な額縁に入れたわけでも、きれいに書き直したわけでもない。六畳間のテーブルで使っていた紙を、そのまま透明なファイルへ入れ、ホワイトボードの横に留めただけだった。
四人の異なる筆跡が並び、ユイがうどんの汁をこぼした薄い染みまで残っている。一つ一つの言葉には、法的な拘束力も、違反した時の罰則もない。それでも私は、会議室へ入るたび、契約書の細則を確認する時よりも慎重に、その紙へ目を向けた。
あの夜から一週間、LUMINAの活動は完全に止まっていた。三人へ仕事の提案をしないと約束した以上、私が「体調はどう」と尋ねるだけでも、無言の圧力になるかもしれない。
だから待った。待つことは、私が想像していた以上に難しかった。公式SNSには、毎日、復帰時期を尋ねるコメントが届いた。私は毎朝、最新の数字を確認した。楽曲再生数。動画の視聴回数。フォロワーの増減。
どれも急落してはいないが、伸びてもいない。復帰を急いではいけないと頭では理解しながら、今ならまだ間に合うという声が、何度も内側から聞こえてきた。
「お前、また数字見てるだろ」
大類の声に、ノートパソコンの画面を閉じた。
「三人との関係から、仕事を取り除いたら、私は何を話せばいいのか分からないんです」
思わずそう漏らすと、大類は箸を止めた。
「だったら、数字が動かないことより、話せなくなることを怖がれ」
その一言が、胸に残った。私は私用のスマートフォンを取り出し、三人のグループメッセージを開いた。何度も文章を打っては消した末、短い一文を送った。
『仕事の話ではありません。今日のお昼は何を食べましたか』
すぐに既読がつき、三人からそれぞれの返信が届いた。ラーメンの写真。証拠として不十分だという冗談。笑っている絵文字。
仕事の話は一つもしなかった。それでも、画面の向こうに、今日を生きている三人がいることが分かった。胸の奥に張りつめていたものが、少しだけ緩んだ。
2
三日後、三人から事務所へ行きたいと連絡が来た。理由は書かれていなかった。私は仕事の話をするつもりなのかと尋ねかけ、やめた。三人が自分たちの意思で来ると言っている。
まずは、それを受け止めればいい。約束どおり、話し合いの前に食事をすることになった。大類が出前を取ろうとしたが、ユイが「また脂っこいものにするから駄目です」と止め、近所の定食屋へ四人で向かった。
大類もついてこようとしたが、ハルカから「今日は四人で話したいです」と言われ、寂しそうに事務所へ残った。定食屋の奥にある四人掛けの席へ座る。
ユイは生姜焼き定食。ハルカは焼き魚定食。リナは冷やしうどんと小さな丼のセット。私は日替わり定食を選んだ。
「青木さん、メニューを決めるの早いですね」
ユイが言う。
「日替わりが一番早く出てくるから」
「そういう選び方なんですか」
「駄目?」
「今日は仕事じゃないんだから、早さで決めなくてもいいのに」
言われてみれば、そのとおりだった。私は普段、食べたいものより、短時間で食べられるものを選んでいる。
「次は、時間をかけて選ぶわ」
「今から変えてもいいんですよ」
「店員さんを困らせるから、今日はこれでいい」
運ばれてきた定食を、四人で食べた。食事中は、仕事の話をしない。そう決めていたわけではないが、誰も本題を口にしなかった。ユイが最近見つけたカフェの話をし、ハルカがアパートの洗濯機から奇妙な音がすると相談し、リナが夜中に振付を思いついてベッドの角へ足をぶつけた話をした。
私は三人の話を聞きながら、時々自分のことも話した。休養中に本棚を整理し、昔読んでいた小説を見つけたこと。料理をしようとして米の水加減を間違えたこと。
大類から仕事を取り上げられ、事務所の観葉植物へ水をやっていたら、やりすぎて鉢の受け皿をあふれさせたこと。
「青木さんでも、水の量を間違えるんですね」
ハルカが笑った。
「目分量だったから」
「何でも計ってそうなのに」
「植物の水まで表にしません」
「これから作りそう」
リナが言う。三人が笑った。私も笑った。仕事の成果に結びつかない会話だった。
それでも、私たちの間に残っていた硬いものを、少しずつ解かしてくれているように感じた。事務所へ戻ると、会議室のテーブルに四人分の水を置いた。
私は壁の約束へ目を向けた。
「仕事の話をしてもいい?」
確認すると、三人が頷いた。ハルカが鞄から一冊のノートを取り出した。三人で何度も書き直したらしく、ページの端には色の異なる付箋が貼られている。
「私たち、これからどうしたいか話し合いました」
「聞かせて」
私はノートを開かず、三人の言葉を待った。最初に話したのはハルカだった。
「すぐにライブへ戻るのは、やめます」
私は黙って頷いた。
「ユイだけじゃなくて、私も怖くなりました。また誰かが苦しくなっても、止められないかもしれないって。お客さんが待ってるとか、スタッフさんに迷惑をかけるとか考えたら、無理して続けてしまう気がします」
「私も」
リナが続けた。
「ステージに戻りたい気持ちはある。でも、今のまま本番を入れたら、成功させることだけを考えると思う。青木さんを止められたとしても、自分で自分を止められるかは分からない」
ユイは両手を膝の上で組んでいた。
「私は、音が怖いのか、人に見られるのが怖いのか、自分でもまだ分からないです」
「分からなくていい」
私は言った。
「今すぐ理由を決めなくていいわ」
ユイは壁の紙を見て、小さく頷いた。
「だから、ライブの前に、もっと小さなことから試したいです」
「小さなこと?」
「三人だけでスタジオに入って、青木さんにも外で待っていてもらう。音を出すかどうかも、私たちで決めたいです」
「分かった」
「青木さん、嫌じゃないですか」
「どうして?」
「今まで、全部見てくれてたから」
私は少し考えた。不安がないと言えば、嘘になる。三人だけで練習をすれば、ユイの異変に気づけないかもしれない。間違った方法で無理をする可能性もある。
けれど、私が見ているからこそ、三人が頑張りすぎることもある。
「嫌ではないわ。ただ、安全のため、何かあった時にすぐ呼べる状態にはさせてほしい」
「隣の部屋にいてもらうのは?」
「それなら大丈夫」
「それから、先生にも来てもらいたいです」
ハルカが言った。
「先生?」
「心のことを相談できる人です。病院の先生とは別に、私たちがどう戻ったらいいか、一緒に考えてくれる人」
前の私なら、すぐに専門家の候補を挙げ、費用と日程を調べていただろう。今は、まず尋ねた。
「三人で考えたの?」
「はい。ユイだけが相談する形にはしたくなくて」
ハルカが答えた。
「ユイだけの問題じゃないから。私も、リナも、青木さんも一緒に話を聞いた方がいいと思います」
「私も?」
「青木さんも、止まれない時があるから」
否定できなかった。
「分かった。私も一緒に受ける」
「青木さんが専門家を選ぶと、経歴や実績で決めそうなので、最初は高橋さんに候補を聞きたいです」
リナが言った。
「私が選んではいけないの?」
「駄目ではない。でも、青木さん一人で決めないって約束したから」
自分の名前が書かれた約束に、自分が従わせられている。不思議な感覚だった。
けれど、不快ではなかった。
「では、高橋さんに相談しましょう。候補が決まったら、三人も経歴を確認して、全員が納得できる人を選ぶ。それでいい?」
三人が頷いた。ハルカはノートのページをめくった。
「もう一つあります」
「何?」
「ファンの人たちから届いた手紙を読みたいです」
私はすぐには返事をしなかった。事務所には、休養発表後、多くの手紙や贈り物が届いている。中には、善意を装った攻撃が混じっている可能性もあった。
そのため、スタッフが一通ずつ確認し、問題のないものだけを別の箱へ保管していた。
「SNSは、まだ怖いです」
ユイが言った。
「知らない人の言葉が一度に何百個も見えると、どれが本当なのか分からなくなる。でも、手紙なら、一人ずつ読める気がするんです」
「確認済みの手紙だけなら用意できるわ」
「今日、読めますか」
「もちろん」
私は会議室を出て、資料室に保管していた箱を持ってきた。大きな段ボール箱が二つ。
「こんなに?」
ユイが目を見開く。
「休養を発表してから届いたものだけよ。プレゼントは別に保管している」
三人は、しばらく箱を見つめていた。
「全部、私たちに?」
ハルカが尋ねる。
「そうよ」
ふたを開けると、色とりどりの封筒が隙間なく並んでいた。丁寧な文字で書かれた宛名。三人のメンバーカラーを使った封筒。手作りのシールが貼られたもの。
便箋が何枚も入っている厚いもの。ユイは、一番上にあった薄い水色の封筒を手に取った。震えてはいなかった。
それでも、開けるまでに時間がかかった。便箋を取り出し、ゆっくり読み始める。途中で、ユイの目から涙が落ちた。
「何て書いてあるの?」
ハルカが尋ねた。ユイは一度言葉を詰まらせ、便箋を胸元へ引き寄せた。
「高校生の女の子です。学校に行けない時期があって、部屋でずっと私たちの動画を見てたって。私が片手で踊る振付を作った話を知って、自分もできないことばかり数えなくていいと思えたって」
涙を拭き、先を読む。
「今は週に三日だけ、学校へ行けるようになったそうです。私たちが休むって知って、自分が救われた分、今度は待つことで返したいって」
ハルカがユイの肩を抱いた。リナは別の封筒を開いた。
「この人、最初の頃から来てくれてた」
「誰?」
「ライブハウスで、いつも後ろにいた人。物販には一度も来なかったけど、毎回いた」
手紙には、仕事を辞めようと思っていた時、たまたまLUMINAのライブを見たことが書かれていた。観客は少なく、音響もよくなかった。
それでも、三人が大きな会場に立っているような顔で歌っていた姿を見て、もう一日だけ仕事へ行こうと思った。その一日を繰り返して、今も働いている。
無理をして戻ってくる必要はない。いつか三人が歌いたくなった時に、また後ろから見ている。リナは最後まで読み終えると、しばらく便箋を見つめていた。
「私、この人のこと、ちゃんと見えてなかった」
「後ろにいた人?」
「うん。物販にも来ないし、声も出さないから、楽しんでるのか分からなかった。でも、毎回来てくれてた」
「見えないところにも、届いていたのね」
私が言うと、リナは静かに頷いた。ハルカも一通の手紙を開いた。それは、ハルカの地元に住む女性からのものだった。テレビでLUMINAを知り、同じ町の出身だと聞いて応援するようになったこと。
ハルカが父親との関係に悩みながらも、自分の言葉で歌い続けている姿に励まされたことが書かれていた。最後には、短い一文が添えられていた。
お父さまも、きっと娘さんを誇りに思っているはずです。ハルカは、その一文を何度も指でなぞった。
「父がどう思ってるかは、まだ分からないです」
「聞いていないの?」
「母とは時々話してます。でも、父とはまだ」
「話したい?」
私が尋ねると、ハルカは少し考えた。
「今は、まだ怖いです」
「そう」
それ以上、理由は尋ねなかった。箱の中の手紙を、三人は一通ずつ読んだ。泣きながら読むものもあれば、声を上げて笑うものもあった。幼い子どもが描いた三人の似顔絵。
初めて買ったCDがLUMINAだったという中学生。夫婦でライブへ来ているという二人。地方に住んでいるため、一度もライブには行けていないが、毎日楽曲を聴いているという女性。
地下時代から応援してきた人。テレビで初めて知った人。炎上をきっかけに名前を知り、曲を聴いて好きになった人。それぞれの生活の中に、それぞれのLUMINAがいた。
数字の一としてしか見えなかった人たちに、名前の代わりとなる人生があった。私はそれを知っていたつもりだった。
それでも、手書きの文字を目の前にすると、再生数やフォロワー数とはまったく異なる重さがあった。
「青木さん」
ユイが顔を上げた。
「はい」
「私たち、忘れられてないですね」
胸が詰まった。私が最も恐れていたことだった。活動を止めれば、忘れられる。新しい話題に押し流される。
戻った時には、誰も待っていない。けれど、目の前には二つの段ボール箱がある。その中に、待っているという言葉が何百通も入っている。
「ええ」
私は答えた。
「忘れられていないわ」
ユイは、手紙を胸に抱いた。
「早く戻らなきゃって思ってました。みんなが別の人を好きになる前に。待ってるのに来ないって、怒られる前に」
「私も、同じことを考えていた」
私は正直に言った。
「だから急いだ。待ってくれている人を信じられなかった」
ハルカが箱の中を見つめた。
「待ってくれてるなら、ちゃんと戻りたいです」
「ちゃんと?」
「急いで、前と同じふりをするんじゃなくて。今の私たちで歌えるようになってから、戻りたい」
リナが頷く。
「以前と同じになる必要もないと思う」
「変わってもいい?」
ユイが尋ねる。
「変わるでしょ。これだけいろいろあったんだから」
リナは淡々と答えた。
「前のLUMINAを再現しようとするより、今の三人で何ができるか考えた方がいい」
私は三人の言葉を、ノートに書こうとした。けれど、ペンを止めた。今は記録を取る時間ではない。三人の声を、そのまま聞く時間だった。
「戻る方法は、まだ決めなくていい」
私は言った。
「三人だけのスタジオから始めましょう。音を出さなくてもいい。話をするだけでもいい。今日は入れないと思ったら、入口で帰ってもいい」
「それでも、レッスン料はかかりますか」
ユイが尋ねる。
「かかるわ」
「じゃあ、入った方が」
「お金のために入る必要はない」
私は言い切った。
「使わなかったスタジオ代は、必要な時間を守るための費用だと考える」
高橋なら、非効率だと言うだろうか。いや、彼は一度壊れた人は、機械のように部品を交換できないと言った。何もせずに帰るためのスタジオ代は、無駄ではない。
三人が自分で選べる余白を買うための費用だ。
「青木さん、少し変わりましたね」
ハルカが言った。
「少しだけ?」
「まだ、全部は信用してません」
「分かっているわ」
ハルカは、ほんの少し笑った。その笑顔は、以前のように無条件の信頼を向けるものではなかった。迷いながらも、もう一度こちらを見ようとしてくれている。
今の私には、それで十分だった。
3
高橋が紹介したのは、舞台や音楽の世界で働く人を専門に支援している臨床心理士だった。名前は、榊原真琴。四十代半ばの女性で、芸能事務所や劇団、音楽大学などでカウンセリングを行ってきた経験がある。
候補者は三人いた。私は経歴、所属機関、費用、守秘義務の範囲を一覧にまとめたが、最終的に榊原を選んだのは三人だった。
「この人の紹介文に、『元の状態へ戻すことを目的にしない』って書いてあります」
ユイが言った。
「他の人は、現場復帰を支援すると書いてある。でも、この人は、戻るかどうかから一緒に考えるって」
「私も、この人がいい」
ハルカが頷く。リナも異論を出さなかった。初回の面談には、四人で参加した。榊原は、淡い灰色のスーツを着た、静かな声の女性だった。
事務所の会議室へ入ると、壁に貼られた約束の紙へ目を向けた。
「これを作ったのは、皆さんですか」
「はい」
ユイが答えた。
「とても大事なものですね」
榊原はそう言っただけで、内容を評価しなかった。テーブルを囲むと、彼女は最初に一つの封筒を置いた。中には、赤、黄、青の三枚のカードが四組入っていた。
「話をしている途中で、続けるのが苦しくなった時は、赤いカードを出してください。少し休みたい時は黄色。話せるけれど、自分からは答えたくない質問があった時は青です」
私は赤いカードを手に取った。
「言葉で伝えるのではいけないのでしょうか」
「言葉にできる時は、それで構いません。ただ、苦しくなっている時ほど、相手を気遣って言えなくなる人もいます。カードなら、机へ置くだけで伝えられます」
壁に貼った約束の紙と同じだった。怖いという感情に、説明を求めない。
「マネージャーの方も使ってください」
榊原が私を見た。
「私も?」
「もちろんです。この場にいる四人全員のためのカードですから」
私は三枚を手元に置いた。面談は、ユイの状態だけを尋ねるものではなかった。榊原は最初に、四人それぞれへ同じ質問をした。
「今、一番怖いことは何ですか」
ハルカは、ユイが再び苦しくなった時、自分が守れないことだと答えた。リナは、LUMINAが止まることよりも、止まった状態に慣れ、もう一度挑戦する気持ちを失うことが怖いと話した。
ユイは、ステージに立つことではなく、再び怖くなった時に、二人を失望させることが怖いと答えた。そして、私の番になった。
「私は……」
言葉を選ぶ。三人がこちらを見ていた。正しい答えを作る必要はない。分かっていても、長年の癖は簡単には消えなかった。
「また判断を間違えることです」
「間違えたら、何が起きると思いますか」
榊原が尋ねた。
「三人を傷つけます。信頼を失います。マネージャーとして必要とされなくなるかもしれません」
「必要とされなくなることが怖い?」
「はい」
口にすると、胸の奥が痛んだ。私はこれまで、三人に依存されることを危険だと考えていた。自分がいなければ何もできない状態にしてはいけない。
三人が自分の足で選び、自分の言葉で話せるようにしなければならない。そう思っていた。
けれど本当は、私の方が、三人から必要とされることにしがみついていたのかもしれない。
「青木さんが間違えたら、すぐに辞めてもらいたいと思いますか」
榊原が三人へ尋ねた。
「思いません」
ユイがすぐに答えた。ハルカは少し考えてから言った。
「同じ間違いを、私たちの話を聞かずに繰り返したら、離れたいと思うかもしれません。でも、一度間違えただけでいなくなってほしいとは思いません」
リナも頷いた。
「間違えることより、間違ってないふりをされる方が嫌です」
三人の言葉を聞き、私は手元のカードを見た。
「青木さん」
ユイが言った。
「私たちも、青木さんに完璧でいてほしいって思いすぎてたかもしれません」
「どういうこと?」
「何かあったら、青木さんが全部どうにかしてくれるって。炎上した時も、契約で困った時も、青木さんなら必ず助けてくれるって思ってました」
「それは私が、そう見せてきたからよ」
「でも、私たちも、それに甘えてました」
ハルカが続けた。
「判断を任せて、うまくいった時は青木さんのおかげ。苦しくなった時は、青木さんが気づいてくれるのを待つ。それでは、四人で決めていることにならないと思います」
リナは壁の紙を見た。
「だから、次に何かを決める時は、青木さんだけに責任を持たせたくない」
その言葉に、胸の奥が温かくなった。同時に、怖くもなった。三人が自分たちで選ぶということは、いつか私の考えとは違う道を選ぶ可能性があるということだ。
それでも、その選択を受け止めるのが、私の役割なのだろう。榊原は、四人の顔を順番に見た。
「皆さんは、活動を再開する日を決めたいですか」
誰もすぐには答えなかった。以前なら、私が沈黙を埋めただろう。今は待った。
やがて、ユイが青いカードに触れた。答えたくないわけではない。考えるために、その感触を確かめているようだった。
「日付は、まだ決めたくないです」
「理由を聞いてもいい?」
「決めた日までに元気にならなきゃって思うから」
「分かりました。では、決めないでおきましょう」
榊原は、それ以上尋ねなかった。
「ただ、今できることを一つ選ぶとしたら、何をしたいですか」
「三人でスタジオに入りたいです」
ユイが答えた。
「歌えるか、試したい?」
「歌わなくてもいいって思える場所にしたいです」
「とてもよい目標だと思います」
次の面談までの宿題は、三人でスタジオへ行くことになった。歌う必要はない。踊る必要もない。何分滞在したかを記録する必要もない。
入口まで行って帰っても、宿題を果たしたことになる。私は隣の部屋で待つ。様子を尋ねるために入らない。三人から呼ばれた時だけ、扉を開ける。
具体的な決まりができると、不安が少し小さくなった。面談を終え、榊原をエレベーターまで見送った。扉が閉まる直前、彼女が私へ言った。
「青木さんも、ご自身の面談を持った方がいいかもしれません」
「個別に、ということですか」
「はい。四人の場では話しにくいこともあるでしょう」
「私は大丈夫です」
反射的に答えた。閉まりかけた扉の向こうで、榊原が少し笑った。その瞬間、会議室の紙に書かれた言葉を思い出した。青木さんも、無理な時は無理と言う。
「あの」
私はエレベーターを止めた。榊原が扉を押さえる。
「次回から、個別の時間もお願いできますか」
「もちろんです」
エレベーターの扉が閉じる。背後を見ると、少し離れた場所で三人がこちらを見ていた。ユイが親指を立てる。
「聞いてたの?」
「少しだけ」
「盗み聞きはよくないわ」
「でも、ちゃんとお願いできましたね」
私は言い返さず、頷いた。誰かに助けを求めることは、敗北ではない。それを理解するまで、随分時間がかかった。エレベーターホールを離れ、四人で廊下を歩き出す。ユイが、少しだけ歩幅を落として私の隣へ並んだ。
「青木さん」
「何?」
「あれ、いつまで通うんですか」
前を歩くハルカとリナの背中が、ほんのわずかに止まりかけて、また動き出したのが分かった。
「決めなくていい」
私は答えた。あの夏に私が犯した過ちは、三人の回復に日付を割り当てたことだった。予定表の空白が怖くて、そこへ短い仕事を一つずつ置いた。あの誤りだけは、二度と繰り返さないと決めている。
「終わりを決めると、その日までに治らなきゃいけなくなる。それは治療じゃなくて、締切です」
「はい」
ユイは頷いた。それから、廊下の窓の外へ目をやった。
「でも」
「でも?」
「終わりが決まってないのも、少し怖いです」
私は足を止めかけた。
「怖い?」
「いつまで続くのか分からないって、いつまでも治ってないってことみたいで」
このとき、私が何と答えるべきだったのかを、私は後になって何度も考えることになる。榊原さんに伝えるべきだったのか。あるいは、その場でユイの手を引いて、もう一度エレベーターへ戻るべきだったのか。
けれど、そのときの私は、自分がまた先回りをしようとしていることのほうを恐れた。決めるのはユイだ。私が決めてはいけない。あの夏に学んだのは、そういうことだったはずだ。
「治ってないんじゃなくて、まだ途中なだけよ」
私はそう言った。正しい言葉だった。正しくて、そして、何も聞いていない言葉だった。
「そうですね」
ユイは笑って、前を歩く二人のところへ小走りで戻っていった。三人の背中が並ぶ。私はその三歩後ろを歩いた。この距離が今の私たちにとって適切なのだと、そのときの私は信じていた。
4
三人だけでスタジオへ入る日が来た。選んだのは、以前とは別の小さな練習室だった。鏡はあるが、壁一面ではない。天井のスピーカーも小さく、照明も柔らかい。
窓から外の光が入るため、閉じ込められたような感覚も少なかった。私は隣の待合室で待つことになった。扉の前で、三人が立ち止まる。
「どうする?」
ハルカがユイに尋ねた。
「入る」
ユイは答えた。声は少し震えていた。
それでも、自分で扉を開けた。三人が中へ入る。リナが振り返った。
「青木さん、呼ぶまで来ないでください」
「分かっているわ」
「扉に耳をつけるのも禁止」
「しません」
「本当に?」
「信用がないのは理解していますが、そのくらいは守ります」
リナは小さく笑い、扉を閉めた。私は待合室の椅子に座った。時計を見ないように、腕時計を鞄へしまう。音は聞こえなかった。
防音された扉の向こうで、三人が何をしているのか分からない。話しているのか。立ったまま動けずにいるのか。すでに歌い始めているのか。
不安が次々に浮かぶ。ユイの呼吸が乱れていたら。ハルカが自分だけで支えようとしていたら。リナが無理に音を流していたら。
立ち上がりかけ、座り直す。三人から呼ばれていない。信じて待つ。何かをするより、何もしない方が、これほど難しいとは思わなかった。
しばらくして、扉の向こうから、かすかに音が聞こえた。低いピアノの音。一音だけ鳴り、止まる。少し間を置いて、もう一音。
それから、微かな歌声が重なった。音響を通していない、生の声だった。ハルカの声。リナの低い声。
その間に、細いユイの声が聞こえる。私は目を閉じた。扉を開けて、三人の姿を見たいと思った。音程や呼吸ではない。
三人がどんな顔で歌っているのか、確かめたかった。それでも、動かなかった。今は三人だけの時間だ。歌は一曲の途中で止まった。
長い沈黙が続く。何か起きたのではないかと、胸がざわついた。その時、扉が開いた。ユイが顔を覗かせる。
私は立ち上がったが、近づかなかった。
「どうしたの」
「青木さん」
ユイは少し息を弾ませていた。
「中に来てください」
呼ばれた。それを確認してから、私は部屋へ入った。ハルカは床に座り、リナは壁際で水を飲んでいた。二人とも汗をかいているが、表情は穏やかだった。
「何かあった?」
「一曲、歌えました」
ハルカが言った。
「途中までだけど」
「途中でユイが苦しくなったから、止めた」
リナが続ける。ユイは、恥ずかしそうに笑った。
「でも、怖いって言えました」
「そう」
「曲を止めてって、自分で言えたんです」
私は胸に込み上げるものを抑えた。
「よく言えたわね」
「二人も、すぐに止めてくれました」
ハルカが頷く。
「止めた後、何も悪いことは起きませんでした」
その言葉が、深く胸に残った。止めても、誰も怒らなかった。予定は崩れなかった。損失の計算も、謝罪の電話も必要なかった。
三人は、ただ水を飲み、呼吸が整うのを待った。ユイにとって必要だったのは、最後まで歌い切る成功体験だけではなかった。途中で止めても大丈夫だと知る経験だったのだ。
「もう一度歌いたいです」
ユイが言った。
「今日?」
「ううん。今日はもう終わりにします」
自分から終わりを選んだ。私は時計を見なかった。何分歌ったのかも尋ねなかった。
「分かった。帰りましょう」
三人が荷物をまとめる。リナが音響機器の電源を切り、ハルカが窓を閉める。ユイは最後に、鏡の中の自分を見た。以前のような完璧な笑顔ではなかった。
疲れと安堵が混じり、目元には涙の跡が残っている。それでも、その顔から目を逸らさなかった。
「また来てもいいですか」
鏡越しに、私へ尋ねる。
「もちろん」
「次も、歌えるかは分からないです」
「歌えなくてもいい」
「入口で帰るかもしれません」
「それでもいいわ」
「青木さん、がっかりしませんか」
私はユイの隣に立った。
「がっかりしないとは約束できない」
ユイが少し驚いたように私を見る。
「私はきっと、三人に歌ってほしいと思う。ステージへ戻ってほしいとも思う。その気持ちを、完全になくすことはできない」
私は鏡の中の四人を見た。
「でも、私がどう思うかは、ユイが歌うかどうかを決める理由にはならない。がっかりすることがあったとしても、それは私が自分で受け止める。ユイが責任を感じる必要はないわ」
ユイは、しばらく私を見つめていた。
やがて、小さく頷いた。
「それなら、信じられる気がします」
何でも受け入れると言うより、ずっと誠実な答えだった。私は三人に期待している。歌ってほしい。もう一度、多くの人の前へ立ってほしい。
いつか、今まで見たことのない景色を一緒に見たい。その願いを持ちながら、三人の決断を尊重する。どちらか一方を捨てるのではなく、矛盾した気持ちを抱えたまま、一緒に歩く。
それが今の私たちに必要なのだと思った。
5
それから一ヶ月、三人は週に二度、スタジオへ通った。歌わずに帰った日もあった。ストレッチだけで終えた日。三人で話をして、一度も音響機器へ触れなかった日。
一曲を途中まで歌えた日。ユイが最初の音で怖くなり、扉の外へ出た日。何もできなかったと泣くユイに、ハルカとリナは「スタジオまで来られた」と伝えた。
私は、何分滞在したかを記録しなかった。歌えた曲数も数えなかった。
けれど、三人の表情は少しずつ変わっていった。ユイが音を止めてと言う回数が減ったからではない。止めてと言った後、自分を責める時間が短くなった。
ハルカはユイを守ろうとするだけでなく、自分が疲れた時にも休みたいと言えるようになった。リナは、最後まで踊り切れる状態でも、二人の様子を見て自分から練習を終えた。
私も、扉の外で待つことに慣れ始めた。呼ばれなかった日は、そのまま帰った。何をしたのか尋ねない日もあった。三人が話したいと思った時にだけ、聞いた。
ある日、スタジオを終えた三人が、近くの喫茶店へ行きたいと言った。四人で窓際の席へ座る。ユイは大きなパフェを頼み、ハルカとリナから「食べ切れない」と言われたが、「今日は食べられる」と譲らなかった。
半分を過ぎた頃には手が止まり、結局三人で分けることになった。私はコーヒーを飲みながら、その様子を見ていた。
「青木さん」
ハルカが、スプーンを置いた。
「仕事の話をしてもいいですか」
「食べ終わってからにする?」
「私たちは食べ終わってます」
三人の視線が、食べかけのパフェへ集まる。ユイが器を私の前へ押し出した。
「青木さんも食べてください」
「私は甘いものは」
「仕事の話をする前に、全員でご飯を食べるんですよね」
「これはご飯ではなくデザートです」
「細かいことは気にしないでください」
結局、私は一口だけ食べた。想像していたより甘かった。
「これでいい?」
「はい」
ユイが満足そうに頷いた。ハルカが、鞄から三人のノートを取り出す。
「私たち、人前で歌ってみたいです」
私はすぐに返事をしなかった。
「三人で決めたの?」
「はい」
「怖くない?」
「怖いです」
ユイが答えた。
「でも、スタジオで歌ってると、誰かに届けたいと思うようになりました」
「どんな場所を考えているの?」
「前に中止したライブより、もっと小さくしたいです」
リナが説明した。
「お客さんは、三十人くらい。撮影なし。関係者も必要最低限。ステージと客席を分けなくてもいいと思ってます」
「ライブハウスではなく、練習室のような場所?」
「はい。私たちがいつも使ってるスタジオの広い部屋を借りて、お客さんに座ってもらう」
ハルカが続けた。
「照明も、特別な演出もいりません。衣装も着ない。三人で歌って、途中で止まるかもしれないことも、先に伝えます」
以前の私なら、商品として成立しないと考えただろう。照明も、衣装も、演出もない。途中で中止する可能性がある。そんなものをファンへ見せるべきではない。
完成した姿を届けることが、プロの責任だと思っていた。
「お金は取りません」
リナが言った。
「前に届いた手紙の中から、ずっと待つって書いてくれた人を招待したい」
「選ばれなかった人から、不公平だと言われるかもしれないわ」
三人の表情が、少し曇った。私は続けた。
「反対しているわけではない。ただ、招待する基準は四人で慎重に考えた方がいい」
「青木さんは、やってもいいと思いますか」
ユイが尋ねた。私は自分の気持ちを確かめた。成功させたいという欲が、すぐに浮かんだ。三十人だけではもったいない。
映像を撮って配信すれば、もっと多くの人に届けられる。復帰への物語として編集すれば、大きな反響を得られる。そんな考えが次々に生まれる。
だが、それは今、三人が望んでいるものではない。
「やってもいいと思う」
私は答えた。
「ただし、私の中には、撮影した方がいい、配信した方がいい、もっと多くの人に見せたいという気持ちがある」
三人が黙って聞いている。
「だから、今回はその判断に私が強く関わらない方がいいと思う。三人が三十人だけに届けたいと言うなら、それを守る」
「青木さん、本当に配信を提案しないんですか」
リナが確認した。
「しない」
「後から、記録用のカメラだけでもって言わない?」
「言わないわ」
「本番が近づいても?」
「言わない」
「高橋さんに、宣伝になると言われても?」
少し迷った。三人が、そのわずかな間を見逃さなかった。
「努力します」
私が言うと、ユイが笑った。
「そこは、約束じゃないんですね」
「私一人で決めないと約束したでしょう。高橋さんから提案があったら、その事実は三人に伝える。ただし、受けるようには誘導しない」
「それならいいです」
ハルカが頷いた。
「日程は、まだ決めてません」
「決めない方がいいと思います」
ユイが言う。
「三人とも歌いたいと思えた週に、青木さんに相談する。その時にスタジオが空いていなかったら、次の週にする」
「お客さんは急に来られるかな」
ハルカが不安そうに言った。
「来られない人がいてもいいと思う」
リナが答えた。
「三十人を絶対に埋めるためのライブじゃないから」
その言葉に、私は以前の地下ライブを思い出した。客席が埋まるかどうか。何枚チケットが売れたか。一人あたり、いくら物販を買ったか。
いつも数字を追い続けてきた。観客が少なければ失敗。多ければ成功。その基準だけで、何度も現場を判断してきた。
だが、これから行うのは、三十人を埋めるためのライブではない。三人が誰かの前で、再び自分たちの歌を届けるための時間だ。
「分かった。会場の候補だけ調べておくわ」
「青木さん」
ハルカに呼ばれ、言葉を止めた。
「今、決めようとしてませんか」
「会場を押さえるわけではなく、候補を」
「私たちが相談してからでいいです」
また、先回りしようとしていた。
「そうね。ごめんなさい」
私はノートを閉じた。
「三人から連絡が来るまで待つわ」
「お願いします」
話はそれで終わった。日程も、会場も、招待する人も決まらなかった。以前の私なら、何も決まらない会議を無駄だと思っただろう。
だが、その日、最も大切なことは決まっていた。三人が、もう一度、人前で歌いたいと思った。そして、その方法を自分たちで考え、私へ伝えた。
それだけで十分だった。店を出ると、空には夕焼けが広がっていた。夏の熱気はすっかり薄れ、風には秋の冷たさが混じっている。四人で駅へ向かって歩く。
少し前を、三人が並んでいた。以前なら、私は先頭を歩き、時間を確認し、最も早い道を選んでいただろう。今日は、三人の後ろを歩いた。ユイが立ち止まり、道端の小さな店を覗く。
ハルカも立ち止まる。リナは少し先へ進んでから、二人のところへ戻る。私は急かさず、同じ場所で待った。
やがてユイが振り返る。
「青木さんも見てください。かわいいカップがあります」
「今度にしましょう。もうすぐ電車が」
言いかけて、時計を見るのをやめた。次の予定はない。一本遅い電車でも、何も困らない。
「どれ?」
私は三人のところへ歩いた。店先には、色も形も異なる四つのカップが並んでいた。ユイが淡い黄色。ハルカが深い青。
リナが白。そして私には、濃い緑のカップが似合うという。
「どうして私だけ渋い色なの」
「落ち着きが必要だから」
リナが真顔で答えた。
「カップの色で性格は変わらないわ」
「でも、事務所に四つ並べたらかわいいですよ」
ユイが言う。四つ。私は、並んだカップを見た。形も、色も違う。
同じシリーズですらない。それでも、四つ並ぶと、不思議と一つの風景に見えた。
「買いましょうか」
私が言うと、三人が顔を見合わせた。
「青木さんのおごりですか」
ハルカが尋ねる。
「経費にはできないから、私が払います」
「それなら買いましょう」
「決断が早いわね」
四つのカップを包んでもらい、紙袋を受け取った。これから、事務所で何度も話し合うことになる。仕事を受けるか。休むか。
挑戦するか。やめるか。意見が分かれる日もあるだろう。また私が焦り、三人に止められることもあるかもしれない。
三人が自分たちだけで決められず、私の答えを求める日もある。それでも、四つのカップをテーブルへ並べ、何かを食べてから話をする。誰かが怖いと言えば、理由を求めず立ち止まる。
答えが出なければ、その日は決めない。完璧な計画ではない。
けれど、私たちはもう、一人の正しさだけで進もうとはしていなかった。駅へ向かう道の途中、ユイが空を見上げた。
「ファンの人たちにも、帰ってこられる場所があったらいいですね」
「帰ってこられる場所?」
ハルカが尋ねる。
「うん。SNSだと、いろんな言葉が一緒に流れてきて、誰が本当に私たちを応援してくれてるのか分からなくなる時があるから」
ユイは少し考え、続けた。
「私たちを好きでいてくれる人だけが集まって、安心して待っていられる場所。私たちも、元気な時だけじゃなくて、迷ってる時にも言葉を届けられる場所があったらいいなって」
リナが振り返った。
「会員だけが見られる場所とか?」
「そう。手紙みたいに、一人ずつの顔を想像できるところ」
私は口を開きかけ、閉じた。ファンクラブ。その言葉が、すぐに頭へ浮かんだ。会員数。
月額料金。限定配信。チケット先行。継続率。
運営費。考えるべき項目が、瞬時に並び始める。
だが、今は企画書を作る時ではない。ユイが口にしたのは、収益を生む仕組みではない。ファンとLUMINAの双方が、安心して帰ってこられる場所だった。
「それ、三人で考えてみたら?」
私は言った。
「青木さんが考えるんじゃないんですか」
ユイが驚いたように尋ねる。
「必要になったら手伝う。でも、最初にどんな場所にしたいかは、三人で考えてほしい」
ハルカが笑った。
「またノートが必要ですね」
「今度は、もっと厚いのを買おう」
リナが答える。三人が、これから作る場所について話し始めた。限定の手紙を送りたい。誕生日には動画を届けたい。
ライブへ来られない人にも、音楽を聴いてもらいたい。会員同士が争わない場所にしたい。古参も新規も、同じように入れる場所がいい。私は三人の少し後ろを歩きながら、その会話を聞いていた。
口を挟まなくても、話は前へ進んでいる。私が答えを出さなくても、未来の形は少しずつ生まれている。その事実が、以前ほど怖くなかった。駅の向こうに、暮れかけた空が広がっていた。
まだ、ライブの日は決まっていない。LUMINAが本格的に活動へ戻る時期も分からない。
それでも、私たちは明日の話をしていた。誰か一人が決めた明日ではない。四人で立ち止まり、四人で迷い、四人のうち誰も置き去りにしないための明日だった。
私は紙袋の中に並んだ四つのカップを確かめ、三人と同じ速さで駅への道を歩いていった。




