7話 ~興奮~
「ねえフレイヤ、もっと近くで見てもいい?」
顔を上げた真利亜の目は爛々と輝いていた。
つい先ほどまで極度の人見知りでぎこちない態度を見せていた引きこもり少女とは、およそ思えない変わりっぷりだった。人が変わったかのように前のめりになり、食卓に身を乗り出している。
「それはもちろん、いい、です」
「ありがとう!」
そう言い残すと、真利亜は弾かれたように席を立ち、奥の自分の部屋へと小走りで向かって行った。リビングに残されたフレイヤは、パジャマの袖を握ったままポカンとそれを見送る。
「マリアさんは、どうしたんですか?」
「興奮しているんだと思う。あいつも、こういう宝飾品やアンティークの歴史には目がなくてね」
招福がいつも通りの淡々とした声で、妹の奇行をフォローするように答えた。
「フレイヤも、こういう綺麗なものは好きでしょう?」
「綺麗、とはあ、思いますが……私は、それほど……。私たちの世界では、これはただの、お金の代わり、ですから」
「そうなのか。女性はみんな宝石が好きだとばかり思っていたよ」
招福が平凡な顔に少しだけ意外そうな色を浮かべていると、廊下からバタバタと足音が響き、真利亜が戻ってきた。
その両手には、いつの間にかジュエリーショップの店員が使うような『白い綿手袋』がはめられており、片手にはプロ用の『10倍の高級ルーペ(拡大鏡)』が握られている。
「ちょっと、触らせてね」
真利亜は息を整えながら食卓の前に立つと、お箸を置いて、宝飾品の山から一つのカメオをそっと両手で拾い上げた。
その瞬間、彼女の纏う空気が完全に「プロの美術商」のそれへと切り替わる。ルーペを片目に近づけ、窓からの朝光をカメオの表面に滑らせるようにして、じっと覗き込んだ。
「……やっぱり、凄い。これ、型に金属を流し込んで大量生産した現代のキャスト(鋳造)品じゃない。地金から叩き出して、一本一本『タガネ』で模様を削り出した、完全な手作業のジュエリーだわ……」
真利亜のアイドルのような童顔が、驚愕で白く強張っていく。ルーペを覗く指先が、かすかに震えていた。
「装飾の技法が狂ってる……。外周に施されてるこの細かすぎる粒々の装飾、19世紀のアンティークでよく見られる『ミル打ち』に似てるけど、細かさの次元が違う。現代のレーザー加工でもこんな均一に打てないわよ。それにこの細い金属の糸を編み込んだような『フィリグリー(線細工)』の溶接……継ぎ目が全く見えない。どうやって固定してるのこれ?」
「マリア、それはそんなに珍しいものなのかい?」
招福の問いかけに、真利亜はルーペを覗いたまま、早口のマシンガントークで答えた。
「珍しいなんてレベルじゃないわよ! うちのお母さんがヨーロッパの国々で買い付けてくる、クラスの技術よ! だけど……変なのは、このベースになってる金属ね」
真利亜はカメオを裏返し、金属の台座の摩耗具合を慎重に観察する。
「色や輝き、経年による酸化の仕方は、一見するとホワイトゴールドやプラチナ、あるいは上質なシルバー(純銀)のようにも見えるけれど……どれとも重さが違う。シルバーにしてはズッシリ重すぎるし、プラチナにしては光の反射が鋭すぎる。刻印も一切ない」
真利亜はゆっくりとルーペを顔から離し、手袋をはめた手でカメオをテーブルへと戻した。
そして、対面に座る金髪の聖女を、畏怖の入り混じった目で見つめた。
「フレイヤ……あなた、本当に、とんでもないものを持ち込んできたわね……」
「これで、金を買えますか?」
テーブルの上の財宝を前にして、フレイヤが祈るように青い瞳を潤ませ、縋るような声で問いかけてきた。彼女にとっては、これらがどれほど美術的に価値があろうとも、母国の危機を救うための「金」に変わらなければ何の意味もないのだ。
真利亜はルーペを握ったまま、少しだけ困ったように眉を下げた。
「……とても、いいものだとは思う。美術品としては、間違いなく一級品よ」
真利亜は一度言葉を区切り、手袋をはめた手でカメオの台座をそっと指差した。
「だけど、普通のお店に持って行っても、買い取ってもらうのは難しいと思う」
「そんな……っ」
フレイヤの美しい顔が、絶望にすっと青ざめた。長い金髪が、彼女の不安を表すように小さく震える。
「あ、違うの、驚かせちゃってごめんなさい! 価値がないわけじゃなくて、その逆よ」
真利亜は慌てて白い手袋の手を振り、人見知りな彼女にしては珍しく、フレイヤを安心させるように身を乗り出した。
「さっきも言った通り、この金属は地球上のデータにない未知のものだし、日本の本物であることを証明する『刻印』も入っていないわ。普通のリサイクルショップや大手の買取店だと、マニュアルにないものは『偽物のガラス玉』として追い返されるか、最悪の場合、盗品を疑われて警察に通報されちゃうリスクがあるの」
「ケイサツ……」
不穏な単語にフレイヤが身を固くする。そこへ、今まで黙ってコーヒーを飲んでいた招福が、いつも通りの淡々とした声で助け舟を出した。
「だけど、安心していいよ。僕たちには、これ以上ない適任の味方がいるからね」
「味方、ですか?」
「そう」
真利亜はコクリと力強く頷き、アイドルのような顔を誇らしげに輝かせた。
「私たちの実のお母さんよ。お母さんはアンティークジュエリーが好きすぎて、それが高じて今も海外を飛び回って、最高級のヴィンテージジュエリーの仕入れと買い付けに行っているくらいなんだから」
「はぁ……」
「だから、このカメオやブレスレットを見たら、プロの美術商として、それから一人のオタクとして、間違いなく大喜びして飛びつくと思うわ。誰も見たことがない未知の超絶技巧の塊なんだもの」
真利亜の確信に満ちた言葉に、フレイヤの瞳にじんわりと、今度こそ温かな希望の光が灯っていく。
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