2話 ~日常~
昨夜の豪雨が嘘のように、窓の外には雲ひとつない青空が広がっていた。
カーテンの隙間から差し込む朝の強い光が、フローリングの床を白く焼き、リビング全体を温かな空気で満たしている。
トントントン、と小気味よい包丁の音がキッチンから響いていた。
招福はエプロン姿で、手際よくまな板の上でトマトとレタスを刻んでいた。
コンロの上では、フライパンがパチパチと音を立て、厚切りのベーコンからジューシーな脂の香りを立ち上らせている。その隣では、二つのきれいな半熟の目玉焼きが、ぷっくりと黄色い身を震わせていた。トースターからは、小麦が焼ける香ばしい匂いが漂い始めている。
「……ん?」
ふと、招福は背後に奇妙な「気配」を感じて、手を止めた。そして振り返って「おう」と低い声で言った。
キッチンの入り口に、昨夜の金髪の美女――フレイヤが、半身の状態で佇んでいた。
彼女が着ているのは、招福が貸し出したグレーのスウェットの上下。すらりと高身長な彼女が着てもなお、袖や裾が少し余っており、それがどこか不恰好で愛嬌を醸し出している。
フレイヤは、キッチンの壁に薄く背中を預けたまま、招福の動きをじっと見つめていた。
その青い瞳は、まだ完全に周囲を警戒している。けれど、昨夜の路地裏で見せたような、触るものすべてを切り裂くような鋭い敵意は消え失せていた。
彼女の視線は、招福の手元から、コンロの上のフライパン、そしてピカピカと明滅する電子レンジの液晶へと、目まぐるしく移動する。
この世界の何もかもが、彼女にとっては見たこともない未知の魔法道具のように映っているようだった。
「……」
フレイヤの鼻先が、小さく動いた。
フライパンから香るベーコンの匂い、そしてトーストの匂いがキッチンの空気を満たしている。彼女の腹の底から、本人にも隠しきれない小さな虫の鳴き声が漏れた。フレイヤは気まずそうに、パジャマの裾をきゅっと握りしめる。
「あの……」
拙い声が、フレイヤの口から漏れる。
「ん?」
招福が包丁を置き、無表情で向き直った。フレイヤは一つ、こくりと唾を飲み込み、パジャマの袖から覗く長い指先をモジモジと動かしながら、絞り出すように言った。
「おはよう、ございます。……まねふく。ええと……感謝、します」
精一杯の、けれど一生懸命な日本語だった。
「おう………もうすぐ出来上がるところだ」
招福が少し目を細めた後で背負向けて、フライパンからベーコンをお皿に移し替える。
「マリアはまだ、寝ていますか?」
「いや、もう起きて部屋にいると思うよ。カレンダー通りなら、株式市場が開く前に色々と情報を確認しているはずだからね」
「カブシキシジョウ……?」
聞き慣れない奇妙な響きに、フレイヤは美しい眉をひそめて小首を傾げた。まるで高度な古代魔法の術式か何かを聞かされたような顔をしている。
招福はトースターから小気味よい音と共にとびだした食パンをお皿に並べ、すべての料理をカウンターの上に並べ終えた。湯気と共に、朝の幸せな香りがリビングに満ちていく。
「さあ出来た。フレイヤ、真利亜を呼んできてくれるか?」
「わかりました」
フレイヤは途端に表情を引き締め、コクンと力強く大真面目に頷いた。
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