1話 ~不穏~
ザァザァと窓を叩く激しい雨の音が、静まり返ったマンションの一室に響いていた。
薄暗い部屋の中で、マルチモニターの青白い光だけが不気味に浮かび上がっている。
その冷たい光に照らされていたのは、椅子の上に膝を抱えて座る、一人の若い女性の姿だった。
顎のラインで切りそろえられた、艶のある黒いボブカット。どこぞのアイドルグループのセンターに収まっていてもおかしくないほどに、整った、けれどどこかあどけなさの残る童顔だった。
部屋の壁際に並ぶ本棚には、『資産運用ポートフォリオの構築』『米国経済指標の読み方』といった小難しそうな専門書が隙間なく並んでいた。
しかし、そのお堅い空間を侵食するように、デスクの隅、ベッドの上、果てはモニターの脇にまで、黄色くて丸い『ポムポムプリン』のぬいぐるみが大小問わず大量に敷き詰められている。
画面に映っているのは、ここ数年の金相場の値動きを示すローソク足チャートと、海外の経済ニュースのテキストだ。
「……また上がってる。有事の金買いにしても、このチャートの角度は急すぎる。利下げのタイミングを織り込みにいってるにしても、ちょっとボラティリティが高すぎじゃない……?」
ふと、真利亜の視線が、机の上の空になったプラスチックのカップに向いた。夜食用にと楽しみにしていた、お気に入りのコンビニプリン。
「お兄ちゃん、まだかな」
真利亜はスマホの画面に目を落とした。
ここから徒歩五分のコンビニへプリンと夜食の買い出しに行かせたのは四十分ほど前のことだ。その表情が段々と不安の色に染まっていく。
「なんか怖くなってきた………」
最近、ニュースのタイムラインを騒がせている不穏な噂が、脳裏をよぎって離れなかった。
――『都内で外国人集団による女性の拉致事件が多発。独自の風習を持つ過激なコミュニティが暴徒化か』。
もし、あの粗暴な集団に外で遭遇したら。もし、自分の我が儘のせいで、兄が外で何かに巻き込まれていたら――。
「……遅いなぁ」
真利亜は怯えた子猫のようにモニターの光の中で身を縮める。静寂と雨音が、彼女の不安をどこまでも煽り立てていく。
ピーンポーン! ピンポンピンポンピンポン!!
突如として、沈黙を破る爆音が玄関から鳴り響いた。狂ったように連打されるインターフォン。
「ひっ……!」
真利亜の肩が大きく跳ね上がった。
こんな深夜に、こんな非常識な鳴らし方をする人間なんて、まともなはずがない。ついに、ニュースの『彼ら』がこの家を特定して襲ってきたのではないか。
ガタガタと震える脚に鞭を打ち、真利亜は物音を立てないよう、泥棒のように忍び足で玄関へと向かった。
恐怖で指先が凍りつきそうだ。ドアスコープのレンズに、恐る恐る右目を押し当てる。
「……え?」
そこに映っていたのは、びしょ濡れになって前髪を額に張り付けた、見慣れた男の顔だった。
やや垂れ目だが丸顔でも面長でも無い。髪型は長くも短くもなく髭は無い。大きなホクロや傷といったものもない。いわゆる、どこにでもいそうな顔だ。
兄の招福だ。
その姿を視認した瞬間、真利亜の全身から一気に力が抜け、乱暴に鍵をひねってドアを開け放った。
「ちょっと、お兄ちゃん! 何なのよ一体! 頭の悪い子供みたいにインターフォン連打しないでよ、心臓が止まるかと思ったじゃない! っていうかどうしてずぶ濡れなのよ!?まさか傘を差さずにコンビニまで行ってきたわけじゃないわよね!?そんな姿を近所の人に見られたらどうするのよ!」
ドアが開いた瞬間、いつもの鋭い毒舌が大量に口から飛び出した。さっきまでの恐怖の反動もあって、声が一段と尖っている。
しかし、招福は肩を激しく上下させ、ゼェゼェと息を切らすばかりだった。
「え………」
兄は一人では無かった。
ずぶ濡れの黒いマント。その隙間から、夜の街灯を反射して怪しく輝く、鮮烈な金色の髪がこぼれている。モデルのようにすらりと長い足は青白く濡れている。
それが、兄が抱きかかえている女性だった。
真利亜は完璧にフリーズした表情で、兄と目をつぶったまま動かない金髪の美女を交互に見つめ返すことしかできなかった。
「ゴミ捨て場に倒れていたんだ」
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