第八話 土の舟が向かう場所
今回兎が立てた作戦はこうだろう。
まず海に行き、沖へ出るために舟を作る。
彼女は板で舟を作り始めて、それを見た私も舟を作ろうとするが、使える板が見当たらない。
そこで、目についた土を使って舟を作ることにする。
舟が完成したら沖に出て、ずんずん浜辺から離れていく。
兎の舟はどこまでも進むことができる。
私の舟は途中で溶けて、沈み出す。
溺れる私は、口の中に流れ込む海水に、自分が呼吸をしていたことを思い出す。
その後のことを兎はどう考えているのか、そればっかりは私にもわからない。
彼女は溺れる私に、その罪を突きつける気でいるのか。
苦しみの中で悔い改めさせるつもりなのか、それともそのまま溺死させるつもりなのか。
いずれにしても、彼女はやはり、考えが甘い。
私はすでに、自分が呼吸をしていることを知っている。
穏やかな日々が崩れ去ってからの空白も、当たり前に過ごしていた優しい日々が当たり前でなかったことも。
自分の罪、その委細まで、不足なく。
* * *
私たちは各々の舟を完成させ、それを押して波打ち際まで行った。
太陽が真っ赤に輝く黄昏時。眼前に広がる海は穏やかで、表面の漣に光の粒が舞っている。ひたすらに明るい景色の中に、彼女を怖がらせる影はない。
さっきからずっと兎は黙っている。
私は遠くに見える三角岩を指差した。
「どちらが先にあの岩まで行けるか競争する、というのはどうだ?」
尋ねると、真っ赤な瞳がこちらを向いた。どの季節の夕日とも違う、彼女だけの赤。
「あそこに何があるか、あなたは知らないの?」
「知っているさ。あの岩の辺りから、一気に海が深くなる」
「やっぱり知らないんじゃない」
「いいや、知っている。深い海にはたくさんの魚が泳いでいると」
兎が海を望み、「ほら、知らない」と不服そうに呟く。それから自分の舟を見て、私の舟も見た。
「競争したって、私が勝つに決まってるよ。あなたの土の舟は馬鹿みたいに重いから」
「でも、きっと、頑丈だ」
「私の板の舟だって頑丈で、軽いからすいすい進んでいける」
「私は君より力持ちだから、たくさん水を漕ぐことができる」
兎が「そうなの?」と疑うような視線をこちらへ。私はそれをじっと見据え、
「そうさ。私は力持ちだ。杵の一振りでババアを叩き殺せるほど」
あくまでも軽々しく、薄情に、今日の天気の話でもするように付け加えた。兎がぎゅっと口を引き結び、それから絞り出すように「どうして」と呟く。
「どうして、あんなことしたの?」
彼女の切実な問いに、私はおどけた調子で「何のことだ?」と問いを返す。礼儀正しい悪役とは、自らの所業を罪と認めず、そこにある何者の悲しみも一笑に付すものだ。
兎がまた黙り、恐る恐るといった具合に、
「おばあさんを殺したタヌキは、どうしてあんな酷いことをしたんだろう」
独り言のように、あるいは自問のように囁いた。私はそれを、あくまで他人事として思考する。
「ただ、そうするのが面白かったというだけだろう」
俯いていた兎が、パッと顔を上げてこちらを向いた。
「タヌキが畑を荒らしたのは、怒り狂うジジイの姿が面白かったから。食うに困る老夫婦を眺めるのも、退屈な日々の中の娯楽に最適だった」
凪いだ海の波音が、私が思考のために作った沈黙を埋める。
「ババアを殺したのは、そうだなぁ……捕まえられたことに対する、単なる腹いせだ。ババア汁を作ったのは、ババアがタヌキ汁を作ろうとしたことへの」
「……嘘」
「ジジイを騙したのも、ババアの骨を流しの下に隠して遊んだのも、やっぱりきっと、面白かったからだ。ジジイが腰を抜かす姿を見るのは大層——」
兎が「嘘!」と声を張って、私の言葉を遮った。夕陽を反射する彼女の瞳の色彩は、私の背骨を焼き続ける火と同じ色だろう。
「どうして……あなたはいつも、嘘ばっかり」
私は彼女の真剣な問いをせせら笑い、
「悪者は嘘をつくものだからな」
やがて夜に染まる海を一望し、自分の土の舟に手をかけた。
「ほら、競争だ」
押して、歩き出す。傍らの音に耳を澄ませていると、少しの間を置いて、板の舟が砂浜を滑る音が聞こえてきた。
私は安心して前方に意識を戻す。土の舟先が水面を割り、側面を透明な海水が撫でる。舟が浮き、私はその上に飛び乗り、足元の櫂を取る。
さあ、物語を終わらせる時だ。




