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第五話 背骨はやがて、灰となり —— 肆

 炎は背負い子と共に落ちた。もう()()()()()()()はしない。焼け爛れた私の背中では、醜い皮膚の真ん中に、背骨の白が覗いている。


 炎は落ちた。しかし火は消えなかった。熾火のような静かな熱が、背骨の中で燃え続けている。


 * * *


 カチカチ山の件の翌日。

 私が自分の巣穴で寝ていると、昼を過ぎたところで「ねえ」と兎の声がした。


「いつまで寝てるの?」


 私はごろんと寝返りを打って入り口を向いた。昼の陽光の中に立つ兎の足だけが見える。


「特にやることもないからな」

「あなたはタヌキなんだから、森を歩き回って食べ物を探しなよ」

「『タヌキ』は義務じゃあない。そして私は今、別段空腹というわけでもない」

「じゃあ、今日はずっと寝てるの?」

「今のところ、その予定だ」


 不機嫌そうな沈黙が流れて、兎が小石を蹴飛ばした。ころころ転がった小石は、私の腹に当たって止まる。


「そんなに出不精でだらしがなくて、あなた、今までどうやって生きてきたの?」


 私が「運が良かったからじゃないか」と答えると、また小石が転がってきた。


「あなた、一体何を考えてるの?」

「これからの昼寝で見る夢を考えている」

「ふざけないで。私は真剣に聞いてるの」

「私も真剣に答えている。夢の内容は大切だ」


 少しの沈黙。「嘘つき」と悔しそうな兎の声がして、赤い瞳が巣穴を覗き込んだ。


「背中が治ったら、出てくる?」


 そして尋ねた彼女は、桃源郷で教わらなかったのだろう。

 この火傷は治らない。背骨は燃え続ける。私は悪で、彼女が正義だから。


「そうかもしれない」


 彼女は答えを予測しておきながら、しかし現実に聞いて不服だったのだろう。目を伏せ、「そう」と言って膝を抱える。


 今、私が巣穴にいるということは、仇討ちをする彼女にとって絶好の状況だ。何せ私の後ろに逃げ道はなく、彼女は唯一の出入り口にいるのだから。


 干し草を詰め込んで火を放つだけでいい。あるいは水でも、毒矢でも。

 そのことに彼女が思い至らず、ただ私が巣穴を出ることを待っているのは、彼女がひたすらに正義であるからだろう。


 昔の彼女もそうだった。

 素直で、明るくて、曲がったことが嫌いで、いつもまっすぐであり続けた彼女。私のことを忘れても、その本質は変わらないらしい。


 ふと、私は山向こうで暮らす猿のことを思い出した。

 青柿を投げてカニを殺し、裁判から逃げて、今もあれやこれやと小汚い悪事に手を染めている、狡賢く性格が捻じ曲がった猿。


「何か困っているなら、山向こうの猿を訪ねたらどうだ?」


 私が言うと、兎が不思議そうに顔を上げた。


「猿?」

「ああ。随分と賢い、どんな問題も解決する猿だと聞く。彼に事情を話せば、解決策を教えてもらえるかもしれない」

「解決策って、何の?」

「例えば、私を巣穴から出す方法とか」


 あるいは、ジジイから請け負った仇討ちを成す方法とか。


「そんな猿がいるなんて、初めて知った」


 兎がぱあっと表情を明るくする。「珍しいな、君が知らないことがあるなんて」と私が言うと、少しだけ不服そうな顔をして、


「行ってみる」


 そう言うや否や、踵を返して駆け出した。私は遠ざかる足音を聞きながら目を閉じる。


 昔の彼女も、今のように私の言葉をよく信じた。あまりに何でも聞き入れてしまうから少し心配になることもあったけれど、私が嘘をつかなければいいと思って指摘せずにいた。


 その時の判断を、今は心底後悔している。


 * * *


 明くる日の朝、私は「ねえ」という兎の声で目を覚ました。


「いつまで寝てるの?」


 昨日と同じ問いかけに、私もまた「特にやることもないからな」と昨日と同じように答える。巣穴の前にしゃがみ込んだ兎が、小さな木箱を差し出した。


「猿に教えてもらってね、塗り薬を作って来たの」


 無邪気に笑う彼女に、嘘の兆候は見られない。私はすんっと鼻を鳴らして箱から漂う匂いを嗅いだ。


 香ばしい味噌の香りと、つんとする唐辛子の匂い。彼女の鼻もこれを感じ取っているはずだが、きっと、桃源郷には味噌も唐辛子もなかったのだろう。


 山向こうの猿は、私が考えた通りの猿だった。その意図を彼女が知らないのは、教えたら彼女はこの()()()を使わないと、猿が判断したからだろう。


「やあ、嬉しいな」


 私は起き上がり、


「塗ってあげるから、背中を見せて」


 兎が微笑む。私は言われた通り、巣穴の暗がりに隠れつつ、彼女へ背中を向けた。


「早く治して、ここから出てきてね」


 ひやっとしたものが背中に触れ、次の瞬間には剣山を打ち付けるような痛みに変わった。私が思わず肩を揺らすと、「痛かった?」と兎の戸惑う声。


「……いや、少し冷たくて、驚いただけだ」


 兎が「そう」と応え、作業を再開する。

 私は背中の激痛に、燃え続ける背骨を思う。白い骨が燃え尽きた時、長い日々はようやく終わりに至るだろう。


 次に始まるのは、清く正しい神聖な兎の物語。私はその最初の証明として沈黙する。


「傷が治ったら、あなた、行きたいところはある?」


 私は内心で呟く。これは治らないし、治ってはならない代物だ、と。


「海がいいな」


 言うと、兎は「海ね」と確かめるように呟いた。きっと仇討ちの方法を考えているのだろう。

『カチカチ山』は失敗に終わった。彼女が今度はもっとしっかり作戦を練ることを、私は切に願っている。



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