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第四話 畑を荒らしたこと

 これは解説、あるいは蛇足と言うべきか。

 つまり、そもそも私が畑を荒らしたのは何故か。その退屈な委細について。


 * * *


 その年の秋、山の恵みは豊かだった。

 私は昼頃に巣穴を出て、山深くにあるとっておきの栗の木へ向かった。きっと、大きく甘い栗がたくさん落ちているだろう、と。


 私は木の実よりスズメの肉を好む。栗の実は、彼女の好物だった。


 予想通り、栗はたくさん落ちていた。私はその中から一等大きく、艶やかで、甘い匂いのする粒を咥えて帰った。栗を選ぶのに熱中し過ぎて、気づけば黄昏時になっていた。


 いつもの森へ戻り、まっすぐ彼女の棲家へ向かう。しかし、そこには誰もいなかった。


「兎?」


 彼女は臆病で、赤い太陽の動きに合わせて形を変える影を、「お化け」と言って大層怖がる。だから黄昏時は、決まって棲家で過ごしている。


 それなのに、姿がない。私は彼女を探して歩き始めた。


 思ったより遠出をしてしまい、帰るのが間に合わなかったのだろうか。そうだったとしたら、きっとどこかで「お化け」に怯えて震えているはずだ。早く見つけてやらなければ。


 私はいつの間にか走っていた。森の窪地を飛び越え、岩をよじ登り、草を掻き分けて。


 気づくと夜になっていた。

 兎は、森の傍らに建つ人間の家の中にいた。


「婆さん、今夜のウサギ汁は格別だね」

「ふくふく太ったウサギでしたからね。きっと、森でたくさん木の実を食べたんでしょう」

「明日は栗でも探しに行こうかな」

「どうせ森へ入るなら、またウサギを狩ってきてくださいな」


 私は戸の隙間から中を覗いた。

 ジジイとババアが囲炉裏を挟んで座っていて、二人の間で鍋がグラグラと煮えていた。その手前の床に、真っ白でふわふわの毛皮が纏めてある。


「その前に、毛皮を売りに行ってくださいな。綺麗な毛皮だから、きっと高く——」


 毛皮に視線を移したババアが、そこでふと言葉を切った。戸の隙間に覗く私の瞳が、囲炉裏の光を反射したからだろう。


「あら、お爺さん。そこにタヌキがおりますよ」


 ジジイもこちらを向いた。


「タヌキの肉は、煮ても焼いても臭くて不味いからなぁ」


 私は咥えていた栗を落とし、踵を返して駆け出した。

 畑を抜け、森を進み、岩を飛び越え、地面を這う虫たちを踏み潰して。

 自分の巣穴ではなく、彼女の棲家へ向かった。川の近くにある崖の、小さく開いた岩穴。


「兎」


 私は中に向かって呼びかけ、しばらく待った。返事はない。


「兎」


 もう一度呼んで、穴の中へ。秋の湿った土と、暖かな陽光で干した彼女の毛の匂いがした。彼女にはぴったりの棲家。私には少し狭い岩穴。


 私はそこに蹲り、入口をぼうっと見つめた。

 夜の暗闇、蟻の行列、狼の遠吠え、鈴虫の声。

 次第に闇が白み出し、透明な朝日が世界を照らした、その時。


「こんなところで何をしてるの?」


 朝日の中に佇む兎が、少し呆れた様子で尋ねてきた。私は目を見開き、岩穴の暗闇の中で体を起こす。


「……君の帰りを、待っていた」

「ダメだよ、そんな無駄なことをしちゃ。私たちの一生は短いんだから」

「君に、とっておきの栗の実をあげたくて」

「そうなの? でも、あなた、何も持ってないじゃない」


 兎が首を傾げる。私が「落としてきてしまった」と言うと、「しょうがないね」とくすくす笑った。


「あなた、しっかり者に見えて鈍臭いところがあるから」


 ふわふわで真っ白な毛並みの、真っ赤な目をした美しい兎。その姿が徐々に薄くなり、秋の陽光を透かす。


「……行くのか?」


 兎が「うん」と答え、どこか寂しげに微笑む。


「桃源郷で修行をすることにしたの」

「へえ」

「神様の元でたくさん勉強して、体も心も鍛えて、霊力を得るんだよ」

「そうすると、どうなるんだ?」


 彼女が「正義の兎になるの」と言って胸を張った。「強くて、正しくて、悪い奴をやっつけるすごい兎だよ」と続け、


「そうしたら、ここに帰って来れる」


 少し沈んだ声で続けた、こちらが本命の目的ということだろう。


「じゃあ、お前が帰ってくるまで、私はここで待つことにしよう」


 てっきり彼女は私たちの再会を求めているのかと思い、私は言った。しかし彼女は悲しそうに首を横に振る。


「修行には、とても長い時間がかかるんだよ。あなたの寿命じゃ、とても待っていられないほどの」


 私は自分がいる暗がりに、どす黒い何かが這いずるのを認める。


「でも、待っている」

「……無理だよ」

「無理ではない」

「どうして?」

「無理ではないから」


 黒い何かは私の中へ。五臓六腑を撫で回し、背骨の奥に収まった。怒り、悲しみ、憎悪、あるいは怨念。

 彼女の姿が消えていく。


「立派になったお前と再会するのが楽しみだ」


 私の言葉に、兎は真っ赤な瞳をまん丸く見開いた。それからくしゃっと顔を歪め、「ありがとう」と言って朝焼けに消えた。


 斯くして、私は待つこととした。

『悪い奴をやっつけるすごい兎』が帰ってくるまで、復讐を実行に移すことを。

 私が初めて成す罪は、他の誰でもない、彼女に裁いてほしい。

 彼女が初めて裁く罪は、他のどれでもない、私の罪であってほしい。


 * * *


 長い歳月が過ぎ、タヌキとしての体が朽ち果てても、私は私であり続けた。

 あの日のジジイとババアもまた朽ちたが、私は彼らの魂を探した。


 面白いことに、彼らは生まれ変わっても夫婦となった。

 私にとっては都合がいい。別々に暮らす人間を各々監視する手間が省けるから。


 そしてさらに歳月が過ぎた、ある満月の夜。


 神の使いとして戻ってきた彼女は、私のことを覚えていなかった。

 加えて、私もまた長い時間の中で多くのことを忘れていた。それでいて成長はなく、結果、畑を荒らすという単純な行動に至った次第だ。


 ババア汁を作ることを閃いたのは、天井に吊されてからだった。



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