桃色の鞄
「ワシが、この兄さんに話する。レオはモモタロウと2階に行っとき」
矢馬は犬を撫でながら言った。
茶色い大きな年老いた犬。
昨日は部屋の隅に居たのが、今は薪ストーブに近い場所で寝ている。
様態が悪化しているのかもしれない。
モモタロウは白いセーターと緑のオーバーオール。
ゲーム機をかかえたままレオに抱かれ
(部屋の奥にある)黄色いドアの向こうへ去った。
「わるいけど飲ませてや。素面では語れん。アンタは『あやかし』の専門家らしいけど……」
にごり酒を素焼きの器に注ぎ……座った。
聖は(座卓を挟んで)斜向かいに。
「モモタロウを拾たんは4月の初め、朝から大雨の日やった」
話ながら携帯電話を操作する。
「農道を真っ黒な瓜坊(猪の子)が走ってた。それを追うてな、川の下へ行ったんや」
そして携帯電話を見せる。
農道から下を流れる川を撮った画像、だった。
雨で木々も河原も川も不鮮明。
……これが何か?
暫く見つめると、岩の間にピンク色の物体があると分かる。
矢馬は拡大する。
ピンク色の物体は鞄〔リュックサック〕で、
鞄の下に何かが沈んでいると分かった。
「子供が川に流されたのは知ってた……ここまで流れてたんか、可哀想にとな、何はともあれ、ちっこい仏さんを、冷たい川から抱き上げた」
へ?
仏さん?
今、そう言った?
聖の疑問を予測していたのか
矢馬は別の画像を見せる。
河原に横たわるモモタロウの、
……遺体だった。
作業服の上着で包まれている。
鑞のように白い顔。打撲の紫の痣がある。
青いTシャツは所々破損。
剥き出しの下半身。
(川の流れが剥ぎ取ったのだ)
右足は膝から異様な角度で曲がっている。
聖は、まず有り得ない、と思った。
遺体に見えている、だけで生きているのだと……。
仮死状態と判断可能な材料を捜そうと
細部まで拡大し、観察した。
結果、やっぱり遺体だった。
「こ、この時点では、あの子は……生きていなかったんですね」
(なんで死んだ子が生き返ったの?)
当然の問いは口に出さなかった。
(どういうコト、やったんか、オッサンが教えて欲しい)
レオの言葉を思い出したから。
何で生き返ったかは矢馬にも分からないのだ。
「雨がキツなってな、車に乗せてから通報しようと、レオが抱いて後ろの座席に寝かせた」
「でも、通報してませんよね?」
何があった?
「レオについて瓜坊が車に乗り込みよったんや。追いかけてた、真っ黒のが。ほんで犬も後ろに乗せとったから、えらい事になったんや」
車は、おそらく(駐車にある)古い型のパジェロ。
猟犬は後部座席に突撃した?
遺体を寝かせているのに?
「瓜坊はどないしても捕まらん。犬が吠えて大暴れしよる、しゃーないから犬を外へ出した。犬は勝手に家に帰るからな。静かになったんで電話掛けようたしたらな、モモタロウが笑いましてん」
「笑った……そこで生き返ったんですか?」
「息はしていない。心臓も動いてない。目は閉じている……しやのに、うふふと笑い声が聞こえる。ワシは腰抜かした。レオはキーキー叫んでました」
「それは驚いたでしょう……自分は生首に話しかけられた事があります。きっと夢だと、その時は思いましたよ」
「ほう、生首、か。……そんなことも世の中には本当にあるんやな」
矢馬は少しホッとしたような顔をする。
「霊現象、でしょうかね……けどあの子は今、どう見ても幽霊じゃ無いですよね。で? 怪奇現象に驚いて警察に通報するのを躊躇したんですか」
「笑ったあとにな、今度は喋ったんや。寒い、って言うたんや。お腹が空いた、って言うたんや……可哀想でな。連れて帰った」
暖かい家につれて帰ろう。
温かいスープを飲ませてやろう。
通報は、その後で考えようと。
薪ストーブで部屋を暖め、スープを作った。
閉じた唇がスプーンに触れると、僅かに開いた。
「一晩介抱した。ほんでな朝になったら起き上がったんや」
「……生き返ったんですね」
「それがや、息はしてるんやけどな、心臓は動いてなかってん」
「へ?……まさかそんな」
ホントの話だと信じているけど
やはり信じがたい。
「レオと何回も確かめたで。ミヤタ先生呼んでな、ちゃんと聴診器当てて確かめて貰った」
「ミ、ミヤタ先生? 往診して貰ったんですか?」
聖は身を乗り出す。
心停止なのに、生体として機能してる。
ゾンビ状態。
医者はどう見たてたのか?
「獣医やけどな。あの先生は『半分あやかし』みたいなもんやからな」
「獣医さん、ですか」
フクロウみたいな、あの爺さんかも。
不思議な臭いとオーラは<半分あやかし>だから?
……で?
ミヤタはこう言った。
「人里に戻したらアカンで。山におったら、だんだん元気になると思う。そのうちに心臓も動き出すやろ。『黒いお方』はな、だんだん弱っていくやろな」
と。
「黒いお方?」
もしや真っ黒な瓜坊?
「そうや。付いてここまで入って来てたんや。ミヤタ先生はモモタロウの潰れた足を切り取ってな、……なんでかしらんけど、瓜坊に喰わせた」
「えーっ……(何ソレ)」
切断した足を瓜坊に……。
なんかの呪術?
ミヤタは何者?
黒いイノシシはその後、
室内飼いペットとなった。
モモタロウに懐いていたという。
ミヤタの見立て通り
モモタロウの回復と反比例に弱っていき
最後は呼吸困難。
苦しみから救うために撃った。
「成る程、警察に届けなかった事情は、何となくわかりました」
完全に元気になる前に山から出せば、
死体に戻ってしまうと恐れたのだ。
「まあ、そうやな。可愛らしいからな、このままずっと、おったらええと思てしもうた。親に殺された子やからな。親には戻せんやろ」
「え?……今なんて?」
親に殺された、と?
「桃色の鞄にな、氷が入ってたんや。おかしいやろ? 傷んでた足はな、人間の手で折られたようやと、ミヤタ先生は言うてた。片足折って、鞄に氷詰めて、橋から落としよったんやで」
想像もしなかった惨い事実。
長井は、
我が子も<殺して>いたのか。




